見出し画像

1964東京 初めてアジアに来たユーゴスラビアの若者が親日家になるまで

1964年、アジアで初めて開催された東京オリンピック。ユーゴスラビアの若者が、サッカー選手として来日した。
当時は東西の冷戦時代で、ユーゴスラビアは中立政策を採っていた。日本でどのような待遇を受けるのか、出発前は不安が有った。
 
初めて訪れたアジア。飛行機を2回乗換して着いた東京は想像以上に発展していて驚いた。心配していた差別や政治的な対立は無く、各国の選手が自由に交流していたのに感動した。練習試合で大阪に行く為に乗った新幹線、初めて見るカラーテレビ。快適な合宿所の暮らしを満喫した。
 
何もかも珍しく自転車を借りてひたすら東に向けて走った。近代的な大都市を出ると田野が広がっていた。市川で休んでいたところ、農家から女性が出てきて梨を手渡してくれた。言葉は通じなかったが、親切と、非常に美味しい味に感動した。
 
彼はこの滞在で大の親日家になった。帰国後その興奮を事あるごとに知人に話した。土産に買った着物は翌年の結婚式で妻のウェディングドレスになった。その後もサッカー選手として活躍した彼は40年後、サッカー日本代表チームの監督になる。オシム氏だ。


今回のオリンピックでは、海外選手と日本人の交流する機会はほぼ無い。親日家、将来日本を応援してくれる人を増やす機会がほぼ無くなってしまったのが残念だ。来日する人が全員親日と言うわけではないが、帰国する時点では全員親日であってほしい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?