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台湾政府が中国政府に勝利する方法

今月16日より中国共産党大会が開催され、国家主席として異例の3期目を迎える習近平さんは、台湾との統一に対し「武力行使の放棄は約束せず」と述べました。また19日には、台湾がアメリカと共同で武器開発を検討していると報じられました。台湾を巡る緊張が高まっています。

そこで、台湾(中華民国)が中国(中華人民共和国)から戦争を仕掛けられた時に、軍事衝突をなるべく回避するための方法案、あるいはもし戦争になってしまったとしても戦況を有利に進めるための方法案を考えます。


故上兵伐謀、其次伐交、其次伐兵、其下攻城、(後略)

孫子 - 謀攻篇(第三)の二

そこで、最上の戦争は敵の陰謀を〔その陰謀のうちに〕破ることであり、その次ぎは敵と連合国との外交関係を破ることであり、その次ぎは敵の軍を討つことであり、最もまずいのは敵の城を攻めることである。(後略)

金谷治(2000) 『新訂 孫子』 岩波書店

方法案

中国軍が侵攻のための戦力を配置、あるいは侵攻開始直後の段階で以下の要求をします。要求の主旨は次の2点です。

  1. 台湾政府としては、台湾に住む中華人民(台湾人)はもちろん、中国に住む中華人民(中国人)の命と生活を大切にしたい。そのため軍事衝突は避けるべき。

  2. 要求1がどうしても承諾できない場合は、台湾に滞在している中国人を含む外国人、非戦闘員を退避させるための数年間の猶予がほしい。

要求1の目的

中国政府の正当性と大義を失わせることが目的です。

戦争を仕掛ける場合、どんな国でも国内に対する大義は必要となります。例えば、ロシアは「非ナチ化」や「ロシア系住民を守る」といった主張でウクライナへの侵攻を正当化しようとしました。それは対外的な主張ではなく、ロシア国内に対して大義を持たせるためのものだったと推察しています。

中国政府よりも台湾政府の方が中華人民全体の命や生活を大切にしていると示し、中国人の心を掌握することで、中国国内の戦争への正当性や大義を失わせることができると考えます。

この要求1が受け入れられるかどうかは分かりませんが、受け入れられず戦争が始まった場合でも、受け入れられた後に戦争が始まった場合でも、中国政府側に大義はなくなります。それにより、中国国内の士気は下がり、台湾にとって戦況を有利に進められる可能性が上がります。

要求2の目的

中国政府の孤立、他国からの関心と支援を集めるのが目的です。

できるだけ具体的に滞在者の国籍と人数を示すことで第三国の反発を誘い、中国を孤立化させます。また、要求1によって大義を失っている状態のため、中国の友好国も支援し難い状態にさせます。

私欲のために戦争を仕掛けようとする中国政府と、なんとしても軍事衝突を避け、人々(中国人も含めて)の命を守ろうとする台湾政府。構図がはっきりと分かれるため、対照的に台湾に対しては支援や協力が集まり易くなります。

猶予の期間としては10年くらいが妥当かと思います。中国政府が要求を拒否したり、猶予期間の短縮を求めてくる可能性はありますが、それによってさらに中国政府は国内外で孤立することになります。

アメリカ政府は賛同してくれるか?

アメリカ政府は賛同してくれると思います。たとえ初めは賛同してくれなかったとしても、世論に押されるかたちで結果的に賛同してくれると考えています。

おわりに

台湾政府が中国政府に勝つ方法を書きましたが、最善の道は戦争や内戦を回避し、両国ともに犠牲者を出さないことです。

国と国の間、人と人の間に本来境界はありません。人が集まって作り出された幻想です。中国と台湾が敵対しているこの状況も、同じく集団幻想が作り出したものです。日清戦争や日中戦争など、日本の犯した過ちも、その幻想を作り出した要因の一つかと思います。日本人として恥ずかしく、申し訳なく感じています。

老子や孫子など、古代中国の偉人たちは戦争を嫌い、「戦わずして勝つ」といった考え方を重視していました。

習近平さんにこの言葉が届くのかは分かりませんが、台湾に住む人々は中華人民であり、統一すべき自国民と考えるのであれば、武力行使は上策ではありません。自らの手で自国民同士を戦わせ、殺害することは、指導者としてあるまじき選択であり、愚策です。

さらに言えば、武力によって台湾を無理やり服従させ、革命の因子を内部に取り込むことも愚策となります。

考え方の違いはあっても、空虚な幻想に打ち勝って歩み寄り、両国が互いの成長と成功を喜び合える関係になることが、本当の意味での「戦わずして勝つ」だと僕は思います。


用兵有言、吾不敢爲主而爲客、不敢進寸而退尺。是謂行無行、攘無臂、扔無敵、執無兵。禍莫大於輕敵、輕敵、幾喪吾寳。故抗兵相加、哀者勝矣。

老子 - 玄用第六十九

戦争をするときにおいて次のような言葉がある。「こちらから攻撃するより、迎え撃つような形を取り、こちらは少しも進もうとはせず、むしろ一尺でも退くのがよい」と。これを、行こうにも行く「道」がなく、腕まくりできないのに腕を上げ、ひきずり込もうとしても敵はなく、取ろうとしても武器はなし、というのである。禍いが生ずることについては、敵を侮ることより大きなことはない。敵を侮れば、私の宝(三宝)をほとんど失うことになるだろう。だから兵を挙げてお互いが戦争するときは、戦いを悲しむ(三宝が有る)ほうが勝つのである。

野中根太郎(2019) 『全文完全対照版 老子コンプリート』 誠文堂新光社


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