マスクどうする?

大原さん(今泉棋士の奥様)から「児玉先生がお話会をするので来ませんか」と誘われたので、お受けしたところ、

単なる客ではなく、スペシャルゲストということで、ほぼ演者の扱いでした(笑)前半を児玉先生がしゃべって、後半は児玉先生と僕の対談みたいな形式。人前で話すとなれば手は抜けない。僕もがっつり本気でしゃべらせていただきました。

講演のオファーがあるとして、それを受けるか断るか。そのあたりの判断は妻にほぼ一任している。「これ、受けたほうがいいよ」と言われたらやるし、「やめといたら?」と言われたら受けない。たまに例外があるけれど、この3年間だいたいそんな感じでやってきた。いわば、妻は僕のプロモーター(あるいはマネージャー)的な役回りをしている。おかげで僕はプレイヤーに徹することができた。分業体制なんです。
このコロナ禍の3年間で僕はそれなりの知名度を得ました。「ツイッターやnoteでずっと情報発信してきたおかげですね」などと言われれば、まぁその通りなんだけど、それだけでは絶対にダメだった。僕は、情報発信はそれなりにできるけれども、自分を売り込むことが壊滅的に下手くそなんです(笑)その点、妻はそういうのがうまいので、僕と相手の間に立って何かと調整したり僕をさりげなく売り込んでくれる。妻の外交手腕なくして今の自分はなかった。これは間違いないですね。
あともうひとつ、僕はLINEをやってない。たとえば講演のオファーをくれた主催者とやりとりをするにしても、LINEが圧倒的に便利なんだけど、僕がやってないものだから、妻がやることになる。そういう事情もあって、妻に全権委任している格好なんです。

妻が「今度の児玉先生の講演会、0次会の誘いが来てるけど、どうする?」
「0次会って何?」
「児玉先生、しらふでしゃべられへんから、講演の前にお酒で景気つけとくねんて」
吹き出してしまった。児玉先生らしいなぁ。0次会、もちろん同席させていただきます。
たまに児玉先生の話がふと話題にのぼることがあって、そんなとき、必ず笑いが起こる。本人がその場にいなくても、話題になるだけでみんな笑顔になる。このあたりが児玉先生のパワーだと思う。

児玉先生、講演が始まって冒頭、いきなりジャブ。
「3月13日。明日からマスクを外してもいい、ということですが、僕は明日からマスクしようと思っています」
会場はこれだけでドッと沸く。
2020年コロナ禍の真っ最中に、児玉先生は訪問診療に従事していた。そんなときにさえ先生はマスクをつけなかった。ノーマスクで各御家庭を回っていた。そういうことを知っている人にとっては、「明日から僕だけはマスクをします」という宣言は強烈なギャグになるわけです。
対談のとき、僕は児玉先生との出会いから話した。出会っていきなり乳首を触られたことを言うと、それだけで笑いが起こる。ネタはいらない。事実をそのまま話すだけでうける。児玉先生の人徳やなぁ(笑)

さて、3月13日。皆、マスクを今日から外したのだろうか?

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230313/k10014006191000.html

全然外さない
僕も道行く人の顔をちょっと注意して見ていたけど、まぁ9割方マスクですね。ノーマスクはせいぜい1割程度。

https://www.facebook.com/100023173982896/videos/111424111898160/?idorvanity=688171402206297

いまだにマスク信仰の医者がいる。絶望的なのは、わざわざこんな医者を講演に呼んで、子供たちの前でしゃべらせていること。子供をどこまで洗脳すれば気が済むのか。
講演に呼ぶなら児玉先生を呼んでください。どんな大人と出会うのか次第で、子供の人生は本当に変わりますよ。

マスクの無意味さ(あるいは有害性)を示す研究は山のようにある。

『妊婦、小児、若年者におけるマスク着用による慢性的二酸化炭素の毒性』
レビューというエビデンスレベルの高い論文だけど、マスクの有害性が明確に示された。
こういう研究があるのに、子供相手にマスクを堂々と推奨する医者というのは、不勉強です。でもそれだけでは済まない。はっきり言いますけど、そういう医者の存在自体、害悪です。ノーマスクで空気を吸うことが罪であるかのような意識を子供に植え付ける。子供にどれほど悪影響があることか。

医者の自分が言うのも何だけど、病院なんて行っちゃダメだよ。

病院ほど非科学がはびこっている場所は他にない。あんな場所は行くべきじゃない。行ったら病気になるよ。当院も含めて(笑)
マスクには感染症を防ぐ効果がないことが分かっている。これは科学の最終結論なんです。それでも、病院はマスクを外さない。なぜか?病院は科学で動いてない。信念で動いている。信念で動く組織は、宗教団体とさほど変わりません。だから僕は言っているんです。病院には行くなと。

今泉さんが言っていた。「先週の対局ではマスクが要ったけど、3日後の対局ではしなくてよくなる。バカバカしいな」
先日、鼻出しマスクで反則負けになった日浦さんとお会いしたけど、日浦さんも同じ思いだろう。
今、日浦さんは謹慎処分を受けている最中だけれども、僕が日浦さんの立場なら、晴れて謹慎が明けて対局に復帰するときには、逆にこういうマスクをしていくと思う。

「鼻だけマスク」(笑)
鼻出しマスクで反則負けになった日浦さんにしかできない捨て身のギャグだけど、棋士は将棋は強くてもユーモアセンスのない人ばかりだから、思いっきりすべるだろうなぁ(笑)

島根県知事「マスクしない店は認証取り消し」
あのさ、ただでさえ過疎で経済大変なんでしょ?そのうえコロナ脳ぶりを全国にアピールすれば観光客からも見放されるけど、それでいいの?

鳥取県「卒業式でマスクは任意とする。ただし距離をとるなど感染防止対策をせよ」
任意としながらも条件をつければ、現場は萎縮する。これでは誰も外さない。

サービス業は永遠にマスク外さない可能性、けっこうあると思う。飲食店のウェイトレスとかタクシーの運転手、ホテルマンとか。客相手にペコペコへりくだるような仕事って、マスクと親和性が高い気がするの。
日本の文化では、口は下品っていうのが根底にある。たとえば大きな口をあけて笑うのは下品だから、笑うときは口を手で隠すとか。目は口ほどのものを言うけど、「口は禍の元」ともいうし。「大口を叩く」とか「大きな口を利く」、「口先だけ」、口関係のフレーズって、悪い意味のが多い。
その口を覆うことが、感染対策という意味だけではなくて、もっと別の意味、たとえば客に対する謙譲とか遠慮みたいな意味合いを帯びてきたんじゃないかな。このコロナ禍の3年間で。
もともと口元をさらすことをよしとしなかった文化的背景があって、そこにコロナ禍のマスクの(実質)強制の3年間を経たことで、ある意味国民性が変わってしまった。それぐらい大きな変化があった気がしている。
たとえば、皆さんがタクシーに乗ったとして、運転手がノーマスクだったらどうですか?僕はうれしいですよ。「分かってる運転手だな。ワクチンも打ってないだろう」って。でも多くの人にとってはそうではないでしょ。「こいつ、こんな密な空間でノーマスクって何考えてるんだ。非常識だ。無礼だ」ってなると思う。
そう、ノーマスクは無礼なんですよ。もはや。いったんこういう意識が刷り込まれてしまったら、もう簡単には変わらないですね。
政府がマスクのネガティブキャンペーン(「マスクは不健康」とか「マスクしてる奴はバカ」とか)でもやらない限り、脱洗脳は難しいんじゃないかな。いや、脱洗脳というか、またもう一回別の洗脳をする格好だけど。


NYでは市長が「店に入るときはマスクを外すように」と訴えている。万引き対策として訴えている。マスクで顔を隠しているという意識が、罪の意識をも鈍らせる。結果、万引きなどの犯罪が増える、という流れは当然あるだろうね。NYに限らず、日本でも事情は同じようなものだと思う。


2年前、僕はマスクの有害性を説いて「マスクを外しましょうよ」って熱心に呼びかけてたけど、だんだんトーンダウンして、あまり言わなくなりました。これは自分の無力を悟って何か疲れてしまったというのもあるけど、同時に、政府の今後の方針を知ったこともあります。つまり、政府はこれから顔認証技術を使った管理社会を進めていくつもりなんですね。街のあちこちに監視カメラが仕掛けられています。回転寿司の騒動がきっかけで、回転寿司屋にさえ監視カメラがある。そういう政府の方向性を思うと、今、国民がマスクを外したがらないのは、むしろ好ましいことなんじゃないかなって。そういうこともあって、以前ほど皆さんの顔からマスクを外そうと思わなくなったんですね。
『ほこたて』みたいですね。「どうしても国民にマスクを外させたい政府 VS 絶対にマスクを外したくない国民」とか。こういう構図になると、むしろマスクを外したくない国民を応援したくなる不思議(笑)
僕は外しますよ。でも、外さない人は、それはそれで、頑張ってくれたらいいのかな。今はそんなふうに思っています。
ちなみに、監視社会の最先端、中国では今、こんなふうになっています。

信号無視をすると、顔認識システムがすぐに作動して、巨大スクリーンに顔写真と名前が表示される。もちろん、この情報は政府のデータバンクにも報告されて、紐づけされた口座から自動的に罰金が徴収される。
ディストピアですね。恐らく立小便ひとつ許されない社会になりますよ。日本もいずれこういう社会になるんだろうね。
マスクをずっとし続ける人が、そういう社会が到来するのをちょっとでも遅らせるような防波堤になればいいんだけど、それはそれで難しいでしょうね。結局今もマスクを続ける人というのは、”お上”の命令に従う人であって、そのお上がガチで「外せ」と言えば、やっぱりそれに従うと思う。残念だけど。いろんな意味で。