天の導き

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京都では多忙はまったく美徳ではない。
なるほど、京都の人も「お忙しそうで、よろしおすなぁ」と口では言うだろう。しかしこれはもちろん嫌味で、「貧乏暇なしどすなぁ」これが真意である。
いや、しかし、京都の人にさげすまれることを承知で言うんだけど、最近本当に忙しい
ありがたいことに、クリニックの診察予約は隙間なくぎっしりつまっている。タイミングを逃すとトイレに行く時間も工面できなかったりする(笑)本当はブログをもっと書きたい。ネタは無数にある。コロナ関係で書くべきことは次から次に出てくるし、臨床で経験した症例のことも書きたい。しかし時間がない。来週三宮の小さな会場でコロナワクチンをテーマに講演をする。そのためのスライド作りをしないといけない。『安心』の原稿も催促されている。コロナ関係で読むべき本もあるし、見ておくべき動画もある。ロンの世話やら遊び相手もしないといけない。やるべきことが多すぎて、時間がなさすぎて、実にもどかしい。パーマンに出てくるコピーロボットみたいなやつ、あれマジで欲しいんだけど(笑)
2年前は閑古鳥だった。ブログの推敲にたっぷり時間を使うことができ、それでも時間が余るものだから、ずっと将棋のネット対局をしてた。棋譜をソフトで解析して、どこが悪手だったのかを検討して、ってやってたおかげで、ムダに将棋の腕を上げた(笑)
ずいぶんぜいたくな時間だったと思う。でも戻ろうとは思わないな。忙殺(そう、忙しさに”殺されている”)されている今のほうが、よほど密度の濃い人生を生きている感じがする。でも、疲労とかストレスがひどいかというと、全然そんなことない。人から強制された仕事はひとつもなくて、すべて自分で引き受けた仕事だから、自然と「よし、やるぞ」となる。
優雅な都人からは「さぞ景気のええことで」などと言われそうだけど、不思議なことに、全然景気はよくない。啄木のこの歌が僕の心境を代弁している。
働けど 働けどなお 我が暮らし 楽にならざり じっと手を見る

二日前の木曜日、名古屋に行ってきた。高橋徳先生とお会いするためだ。
徳先生のクリニックで精神科デイを実施しているので、僕もそこに参加させて頂いた。精神科デイケアは勤務医時代に何度も見たことがあるが、徳先生のスタイルは僕の知っているそれとはずいぶん違っていた。耳つぼのマッサージをしたり、白川公園(クリニックのすぐ近くにある公園。木々が鬱蒼と茂っていて、名古屋で一番の繁華街にこういう公園があるのがすごいと思った)で参加者全員で輪になって気功体操をしたり、瞑想をしたり。
癒された。すばらしい時間だった。
たとえば瞑想。15分間、ただじっと、何もしない。心を空っぽにしようと努めるが、無はなかなかやって来ない。いろいろな雑念がわいてくる。しかし、雑念をあえて払うこともしない。ただ、なすがまま。ぼんやりしていると、そういう雑念も消えて、また静かになる。
瞑想がこんなに気持ちいいとは知らなかった。「なんて豊かな時間なんだろう」と思った。スティーブジョブズとか、時給換算したら何千ドルと稼ぐスーパーリッチが、あえて瞑想するために時間を割く理由がわかる気がした。何も考えない空白の時間。こんなに豊かな時間ってない。このデイ、月2回実施しているとのことだけど、普通に僕も参加したい(笑)

デイが終わって、徳先生と一緒に食事をした。
「神戸のどこに開業してるの?」と聞かれて、「元町です」と答えると、重ねて「元町のどこらへん?」とくる。どうせ言ってもわからへんやろうと思ったけど「4丁目。花隈公園の近くです」と言ってみると、「ああ、あそこね」と納得しているものだから、逆に僕が驚かされた。「僕は神大の学生だったから、あの辺りは詳しいよ。もう50年も前の話だけど」と笑う。
そう、徳先生は1970年代を神戸で過ごした。当時の神戸は世界トップレベルの貿易港で、経済的な勢いもすごかった。徳先生は、神戸が本当に輝いていた時代を知る生き証人だ。しかし阪神大震災後、神戸は衰退の一途をたどり、今や一地方都市に転落した。僕はその神戸に、ほんの数年住んでいるだけのこと。岐阜出身名古屋在住の徳先生のほうが、神戸在住の僕より神戸を深く理解しているという、妙なねじれがあった(笑)
「学生時代に今の妻と知り合い、結婚した。そして3人の子供に恵まれた。十数年勤務した後、アメリカに渡った。ミシガン大学、デューク大学、ウィスコンシン医科大学、合わせて20年ほど研究生活をして、7年前に日本に戻ってきた」
20年って、すごいですね。向こうで成果を出してる人って、日本に帰って来ませんよね。利根川進とか。徳先生も、そのままアメリカにずっと永住、っていう可能性もあったんじゃないですか?
「うん、あり得たと思う。自分のラボ持ってて、研究員も抱えていたし。生活は悪くなかった。実際、毎日ゴルフざんまい、みたいな時期もあった。でも退屈だったね。こういうのは自分の生き方じゃない、と思った。
帰国した当初は、岐阜にある親のクリニックを手伝っていた。オキシトシンの紹介をしたりしながらね。数年前に名古屋にクリニックを開設。そして、コロナが起こった」
徳先生はニュースを追っていくにつれ、コロナ騒動に違和感を持った。いろいろと調べていくにつれ、確信した。「これは明らかにおかしい」と。そして、そのおかしさを自分のYouTubeチャンネルなどで情報発信していくうちに、人々の注目を集め、次第にマスコミからコメントを求められることも多くなった。
そして、あるとき、ふと気付いた。「私はね、自分でもなぜ日本に帰ってきたのか、正直よく分からなかった。いや、もちろん、アメリカで名誉教授として悠々自適で暮らす生活が退屈で、その退屈さが嫌で帰国したという、それはそれで本当なんだけど、もっと別の、大きなものに導かれているような気がしていた
それが何か、ようやく分かった。コロナワクチンの危険性を広く知らしめ、一人でも多くの人にワクチンを打たせない自分の人生は、そのためにあったのだな、と

同じようなことを、張雲さんが言っていたことを思い出す。
「天命、というものがあります。天がそのように人を導いているんです。それにあらがっても無駄で、回り道をして結局同じところに戻ってくるはずです。僕らみたいに仕事柄毎日気を活用している人間は、そういうのに敏感です。先生もそういう、天の導き、運命のあらがいがたさ、みたいなのを感じたこと、あるのではないですか?」

確かに、あるような気がする。でも徳先生みたいに確信を持ったことはないけど。
患者などから「うちの親、コロナワクチンを楽しみにしていたんですが、先生のnote、あれをプリントアウトして、親に見せたんです。そしたら「絶対打たない」ってなりました。先生のおかげです」
そういう声をちょくちょく聞く。
そういうのを聞くたびに、「よかった」と思う。「これで命がひとつ救われたな」と。
特に、若い世代、将来子供を持つ可能性のある世代の人がコロナワクチン賛成派から反対派に鞍替えしてくれると、さらにうれしい。若い世代の場合、その人の命だけじゃなくて、さらに未来、未だ生まれざる命をも救った気持ちになるから。

今は、はっきり”戦時中”で、栄養情報の発信などという、悠長なことをしてる場合じゃなくて、コロナ関係の情報発信に努めて、一人でも多くの人の目を覚まさせる。それが僕の天命なのかな。いや、うーん、確信はないけれど。