錯視

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はい、この画像を見た瞬間、何かを妄想した人は挙手!

うむ、正直でよろしい^^
猫を飼ったことがある人はわかるだろうけど、かわいい猫ちゃんに頬ずりしようとして、でも猫のほうではそれをうっとうしく思っていて、その頬ずりを両手を突っ張って全力で拒否したりする。
そういうほほえましい画像なんだけど、ピュアではない心を持った大人には、一瞬別の意味を持って見えます^^

人間は生きていくなかで、情報量の8割を視覚からインプットしているという。
五感(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)などと一括りに言われるが、入力の割合がそれぞれ25%ずつかというと全然そうではない。視覚の割合が圧倒的だ。
しかし座頭市のような全盲の達人は世界をずいぶん違った風に感知しているし、ヒトの100万倍~1億倍の嗅覚を持つ犬も、人間とはかなり違う感覚世界に生きているだろう。
ともかく、多くの人間は視覚メインの世界に生きている。この背景には、世界認識を視覚メインでやったほうが生存に有利だったという、進化的な理由があるだろう。
なんといっても、ことわざが「百聞は一見にしかず」(百の聴覚情報よりも、一の視覚情報のほうが有益)と言ってるぐらいなんだから。

ただし、視覚情報が絶対的に正しいかというと、そうではない。上の画像に見られるようにね^^
「錯視」で画像検索すれば、おもしろい画像がたくさんヒットする。

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同じ長さの棒があっても、これを「同じ長さ」だと感じられないんだよ?
この例だけからでも、人間の目がいかにあてにならず、だまされやすいかがよくわかる。

画像3


この画像は、サッチャー錯視(Thatcher illusion)といわれる錯視。
一見、単なる上下逆さの画像に見えるでしょう?
しかし、画像を反転して正位置に戻して、見てください。
右側の写真が、人間の顔にはあり得ない「化け物」だと気付くだろう(目と口が上下逆さになっている)。
最初、上下逆さのままで見ている分には、全然違和感がないことが不思議だ。
なぜなのか?正位置なら「化け物」に見えるはずの顔を、上下反転するだけで、なぜ違和感なくスルーしてしまうのか?

ここには、人間の顔認識機能が関係している。
「犬は細かいにおいをかぎ分けられるからすごい」という話をしたが、人間も意外にすごくて、人間は何千人という顔の違いを認識できる。これは犬にはできない芸当だ(犬は視覚ではなく嗅覚によって、何千人の人間を識別するだろう)。
人間は、成長過程で様々な他人に出会うなかで、顔知覚を発達させる。この知覚は「目があって、そのあいだに鼻があって、下に口があって」という全体的なパーツの把握と、それぞれの細部の特徴を認識する処理からなる。しかし倒立した顔に対しては、パーツの処理が行われず、細部の認識が困難になる。
なんと、脳梗塞などでこの顔認知機能が損傷された人(相貌失認)では、このサッチャー錯視を見ても、何ら違和感を持たないという(右の画像が「化け物」だということが認識できない)。
逆に、すでに生後6か月の乳幼児でさえ、サッチャー錯視の不自然さを認識できる。
『サッチャー錯視と乳幼児の顔認識』
https://onlinelibrary.wiley.com/doi/abs/10.1111/j.1467-7687.2004.00363.x

人間がだまされるのは、もちろん視覚に限ったことではない。体に有害な合成香料を「いいにおい」と感じてしまったり、化学調味料や人工甘味料を「おいしい」と感じてしまったりする。嗅覚であれ味覚であれ、本来人間は生存に好ましいものを快適に感じるようにできている。「そういうものを快適に思う個体が淘汰を受けて残ってきた」というのが進化論的な考え方だが、どうやら「抜け」はたくさんあるようだ。

こういう「抜け」が、ユーモアや娯楽として使われるのなら、すばらしいことだ。あっと驚く手品とか、予想外の展開に引き込まれる小説なんかも、人間の思考形式の盲点をついたものだと思う。こういう娯楽は、いわば「人間をだます」ことがその魅力になっているとさえ言える。

でも、世の中にはそういう無害なものばかりではない。本能の声に従って、うまいうまいと砂糖や化学調味料てんこ盛りの食品を食べ続けては、あっというまに健康を害してしまう。現代はそういう時代なんだな。そうならないためにも、知識で身を守ることが大切だ。