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子を授かりました


不思議な日々が続いています、子を授かりました。未婚のシングルマザーになります。いろいろなひとがひろいろな考えをもつのかもしれませんが、すごくうれしいです。

ここで多くを語ることはしませんが、そこそこのつらいこと(精神的虐待、家庭崩壊、いじめ、ハラスメント、裏切り、DV など)を受け取ってきたじぶんが、そのようなことを与えてきた人たちが自然と築いてゆく生活と同じような生活を築くことはとても不自然なことなのでした。

誰のことも恨んでいないです。それぞれがそれぞれの信念をもって生きていて、その過程でじぶんが犠牲になることが多かった、そしてじぶんにはそれを受け取るだけの器があったということです。というかつくってきた。いろいろなひとの考え、行動に出くわすたびにそれぞれのことを汲み取り、必要な器をつくり、受け取ってきました。じぶんは空間にせよ食事にせよ、自分自身にとっての快適を追究しておりますが、これもじぶんが生きるための術であり試みなのだとおもいます。

じぶんはどう生きたいんだろう?と真剣に考えた結果として今があります。「受け入れられない、わからない」というひとに出くわすと浅い人間だなあと思ってしまいますが、「受け入れる」という技術はじぶんが積み重ねてきた努力なので、そりゃそうか、仕方がないかとまた受け取る側になるだけです


これまでの制作はすべて繋がっています、どのかなしみもじぶんから欠けてはいけなかった
親になったら子の幸せを願うものなのでしょうが、幸せなだけじゃなかった自分自身の肌感として「かなしみや絶望がない人生はほんとうに豊かなのだろうか」と、思ってしまう。まあそんなに心配しなくても、誰にでも何かしらは起こるものだと思いますが。そして、「子供の幸せのため」とやりすぎてしまう親が子供をボロボロにしていくことも知っている。そのバランスを見極めながら、じぶんはじぶんのはやさで生きていきます、子に絶望が降り注いでも、じぶんは大きく包んでいたいとおもいます。

毎日毎日、今日も無事でいてくれているのか心配でたまらない、ふつうのお母さんとおなじです

まだ無事に生まれるかはわかりません。
実家は大荒れです。
なので、じぶんはこうやって堂々と公表していますが、まだそっとしておいてください。とくに地元の方は、心のうちに留めて、まだ周囲には黙っていてください、すみません。

一人暮らしをしながらつわりとたたかっております。これは(そろそろ公表しようかな)と思った理由なのですが、先月からTwitterで淡々とやっていた『できるだけ買い物にいかないであるものでなんとかする企画』がだんだんと病人みたいな食事になっていき、ずっとみていてくださった方のなかには心配になった方もいたんじゃかいかと。結局、まともに食事がとれなくなったので、いまは企画をお休みしています。けれども投稿は楽しかったし、見届けてもらいたいなとも思うので、またちがうかたちで復活させようと企てております


一人暮らしのつわりってどうなるんだろう?と思っていたのですが、じぶんの体調に対応していくだけでいいので、家族がいるより楽だなと思いました。食べられるものや時間帯が日々変わり、食べることすらできない日もあり、においや視覚からの情報に酔うために料理はほぼ不可能です、他人に構うなんて無理ですし、他人がこのペースに合わせることも難しいと思います。
夜中じゅう吐いたりもしていますが、幼いころからストレスで日々吐いていたので、吐くことに対する抵抗やショックがなくて、ツイッターとか見ながら淡々と吐いています。無音で吐くスキルも身につけました、ゲロのプロ、略してゲロプロです


初めて知ったのですが、つわりのピークって端からみたら身体に一切変化のない今なんですね、まだ流産のリスクが高く(6-8人に1人)、マタニティマークや母子手帳すら無く、役場への妊娠届けも出せない時期です。そのため、会社勤めされている方なんかは妊娠報告をしていない時期で、人によっては両親にも言わずに、ただひたすら耐えているのです。学生さんなんかは、とくに誰にも言えずに、どうしていいかもわからずにいるのではないでしょうか。わたしは幸いにも仕事がない(収入もなーい)のですが、じぶんとしてはお金が無い不安よりもこんな体調の中出勤・通学する不安とストレスのほうがずっとおおきいので、世のひとびとはすごいなあとおもいます。救われてほしい……


つい最近、結婚、出産を経ると女性作家はどんどん衰退していく、でもそれはその人の人生だから、仕方がないんだけど
と言われ、じぶんはどうなるかなと思いました。
これってほんと、考えの浅い人が話したら地獄みたいな展開になるんですが、仕方の無いことだとおもいます。そしてもちろん、これは女性に限ったことでもないです。
時間がない、お金が無い、場所がない、先生の指導のせいで…… エトセトラ。いろんな理由で表現することから離れていくひとがいます。でもこういう理由づけって、言い方は厳しいですが言い訳なんですよね。
「自分には表現することの切実さが無くなった」
これに尽きると思っています。端からみたらそれは美術家としての衰退なのかもしれませんが、その人の人生にとっては、それは救いだったりもするのです。仮にじぶんがそうなったら、それはもうじぶんでは無いのですが。

ここまで触れてきませんでしたが、みなさまご存知のとおり、つわりがピークのいま、個展の準備もピークなのであります。
個展タイトル「わたしたちのいるところ」は、じぶんの制作が何であるかについての言語化がずっと難しいまま数年過ごしてずっと探していたなかで、去年にたどりついた言葉です。そして、その「わたしたちのいるところ」が何であるのか。
これについてわかったのは、子を授かったからでした。そのためにこのタイトルをつけることができました。長くなるのでここでは説明しませんが、それとじっくり向き合った展示になるとおもいます。


わたしとしては、みなさまから、ただ見守っていてもらいたいです。この生き方がいつか、誰かの道しるべとしてやさしく発光しているように。
人間と生活、社会との繋がりについて、一作家として取り組みたいことがあります。人が生き、暮らしていくことについての小規模なまちを創造したいです。個展が落ち着いたら、具体的に何ができるのか、動いていこうと思います。






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お味噌汁おいしい
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中村菜月 絵と言葉. 思考 http://pirka.goat.me/