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第25話 トンネルの出口

スウィートブライド代表中道諒物語。ウェディングプランナーに憧れ百貨店を退職し起業。でも40歳で全てを失う大きな挫折。そこから懸命に這い上がりブライダルプロデュースの理想にたどり着くまでの成長ストーリー。※この小説はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。

2012年2月2日。

先日デザインオフィスの候補として見せていただいた物件より他にもいい物件があると不動産屋から連絡があり、今日は2か所の物件を見学する事になっていた。

どちらも姫路中心部からは離れた郊外の物件だ。
「コンクリート系の外観で、出来れば海沿いがいい」というのが僕の希望。デザインオフィスに新規のお客様が来店される訳ではないから、場所はどこでもよかった。

ただ、海沿いの物件は昔からの僕の夢。
この際だから、その夢を叶えてみたいと思ったんだ。

デザインオフィスの開設時期はプチウェディングとのコンサルティング契約が終わる7月以降と考えていた。まだ半年もあるから今からゆっくりと色んな物件を見てまわればいい。そんな風に思っていた。

前会社オードリーウェディングとの契約事項が1月20日に全て完了した事で、僕の心は久しぶりに自由で開放感のあるゆったりとした空気の中にいた。

これだけゆったりとした気持ちになるのは、本当に久しぶりだった。
いつも何かに怯え、不安で、身を縮めて生きてきた。だから例えこれが束の間の事であったとしても、僕は十分に幸せを感じていた。

それでもまだ姫路の中心部であるみゆき通り商店街や神社仏閣など何となく公共的な場所には足が向かず、お天道様から逃げているような生活に変わりはなかったけれど・・・。

2012年2月5日。

朝、リヴェラデザインのクライアント様であるイタリアンレストラン「パスティーユ」のオーナーから連絡があった。

「中道さん、今日の14時から15時の間で料理撮影来れない?」

飲食店のホームページでは、「今月のメニュー」というコンテンツがあるもので、そこにアップする料理を撮影をするというのも毎月の僕のルーティンワークになっている。

僕は14時にカメラバックを肩にかけ店に出向いた。
店内の奥にある小グループ用に仕切られた部屋に入り、撮影のセッティングをする。

運ばれてきた色とりどりのパスタやスープなどを手際よく撮影し、14時30分には撮影も終了した。

撮影後、珈琲をいただきながら少し雑談をしていると、オーナーから思いもよらぬ球が投げられてきた。

「中道さん、ここで結婚式できるかな?」

「え?そういう話がきてるんですか?」

「いやいやそういう訳じゃないんだけど、新しい取り組みを始めようかと思ってて。でもどういうスタイルがいいのかわからなくて・・・」

「この店の立地だと式場も周辺に多いので、ビュッフェでの1.5次会また2次会にはもってこいでしょうね。いいと思いますよ!」

「うん、2次会は何となくわかるけど、ちゃんとしたレストランウェディングもできる?」

「そうですね・・・、着席だとコース料理を出すとしてこの広さだと物理的に20名から多くても25名くらい。今、話をしているこのスペースは美容着付けの控室に使うとして、高砂席をあのあたりに置くと、ゲストテーブルは入口に向けて流しになるでしょうね。少人数にはなりますけど可能ですよ」

「なるほど。じゃそれ中道さんに任せるから考えてくれない?結婚式をやる事で料理長の士気も上がるだろうし、配膳スタッフのマナー教育にもなるだろうし、お店全体のレベルアップには良い企画じゃないかな」

僕の方に球が飛んできた事には少しのけぞってしまったけど、お店のスタッフのモチベーションやレベルアップのために結婚式事業を捉えるというのはオーナーの発想としては素晴らしい事じゃないかと僕は心から賛同した。

「いきなり1次会をやるには色々と準備も大変だと思うので、まずは2次会からスタートしませんか?」

僕は即答を避け、ひとまずパーティーウェディングからのスタートを進言した。お店の雰囲気や成り立ちからも1次会よりは1.5次会向きだと思ったので、売れる方からキッチリと整えていく事でいいのではないかと。

その時点では、最終的に1次会をやるとなればプチウェディングでプロデュースをすればいいんじゃないかと考えていた。

僕は自宅に戻り、早速パスティーユのホームページ内に2次会用のページを作成した。姫路で2次会と言えば魚町ばかりなので、駅前のこういう感じのいいお店で2次会ができるとなるとお客様から喜ばれるんじゃないかとページを作りながら思った。

(でも1次会をするとなると、課題は色々とあるな・・・)

僕はパスティーユでレストランウェディングをすると仮定して、その際のシュミレーションをノートに書き溜めていった。

もともと僕はディズニー映画「わんわん物語」でトランプとレディがミートボール入りのパスタを食べてる横で店主のトニーがアコーディオンを弾きながらベラノッテを歌うシーンに憧れてブライダルプロデュースを志したので、こういうカジュアルなイタリアンレストランでプロデュースをさせていただく事は、実は念願でもあった。

だからノートにシュミレーションを書き留めながら、僕自身の気持ちがすごく高揚しているのを感じていた。

その翌週。
僕はフレンチレストラン「ブラージュ」にいた。

先週の事、突然ブラージュのオーナー田辺さんから電話が入った。
ホームページの制作依頼だった。僕への依頼の経緯を聞くと、イタリアンレストランパスティーユでペーパーデザインを請け負っているデザイナーの山口さんから僕を勧められたらしい。そこで田辺さん自身がパスティーユのホームページを見てそのデザインを気に入ってくれたようだった。

ブラージュに着いた僕はその都会的な雰囲気にときめいた。その一角だけが姫路ではなく神戸の香りを漂わせていたから。

(こんなステキな店、僕みたいなのがさせていただいていいのかな)

そんな一抹の不安を感じながら僕は店に入った。
店内は、エントランスからテーブル席、そしてオープンキッチンとどこを切り取ってもオシャレに作られていた。

(あ、夙川のイゾーラに世界観が似てるかもしれない。そう言えば鈴木さん元気にしてるかな・・・)

そんな事を考えていると、オーナーの田辺さんが現れた。
どんなダンディなシェフかと思いきや、まだ20代後半くらいの若さだったからちょっと驚いた。

(この若さでこれだけの店持てるってすごいなぁ)

人生失敗して昼も夜も働きづめでどん底の困窮生活を送っている僕には全てが羨ましく、キラキラと輝いて見えた。

僕はそういう部分に少なからず嫉妬心を持ちながらも、お仕事をいただける事に感謝していた。

田辺さんと少し話をしてわかるのが、従来からの俗に言う「包丁一本」の世界ではない人だという事。現代アートが好きなようで、料理職人というよりはブランディングに長けたアーティスト的な印象を持った。

空間のデザインやお店のロゴなどを見てると、世の中にあふれる色々なデザインを自分の感性の中でうまく消化して吐き出すのが上手い人なんだろうと感じた。

そしてわがままで変わり者だろう。

(なるほど・・・、僕と縁がある訳だ)

商談はスムーズに進み、僕の方でホームページを作らせていただく事になった。会話の中で、オーナーのこだわりや好みが非常にわかりやすくハッキリとしていたのでホームページのデザインコンセプトも商談中にすでに僕の頭の中で出来上がっていた。

紹介してくれたデザイナーの山口さんには感謝だ。

ホームページの話がひと段落した時、オーナーの田辺さんから先週のパスティーユと同じような球が投げられてきた。

「色んなプロデュース会社からレストランウェディングの話があるんだけど、中道さんはもうプロデュースはやらないの?」

「今はプチウェディングのコンサルを6月までの契約でさせてもらってるんですけど、それが終わったらもうブライダルからは足を洗ってデザインオフィスを作ろうかと思ってるところなんです」

「えー。やればいいのに」

「田辺さんが本気なんだったら、プチウェディング紹介しますよ」

「いや、やるならプチウェディングとかそういう事じゃなくて、中道さんに任せたいけど」

何ともありがたいお言葉。
しかし、それにしても先週イタリアンレストランパスティーユでプロデュースの打診があったばかり。

不思議なもので、もうブライダルを断ち切ろうと決意したこのタイミングでブライダルの話が重なるというのも何とも皮肉な話だった。

僕は良いも悪いも返答は濁らせて、ひとまずその話は棚上げにした。

さらにその翌週。
僕はフレンチレストラン「グランメゾン」にいた。

なんだかんだと一番僕の事を理解してくれているのは水木支配人。僕が脱サラして独立起業した2005年からだから最も古い付き合いである。

姫路の結婚式情報サイト「オードリー!」の立ち上げ、それからオードリーウェディングに改名してサロン出店、神社での専門式場運営、法人化、そして大きな失敗挫折がありプチウェディングの立ち上げ・・・と、僕の目まぐるしい半生をいつも横で見てくれていたのが水木支配人だ。

オードリーウェディングを辞めた時、ほぼ全ての人が僕と縁を切っていったけど、その後も交流をしてくれたのはウェブ事業をサポートしてくれている岸田君と、フラワーショップブレスフローラの本田さんと、このグランメゾンの水木支配人くらい。

だから僕にとっては数少ない大切な人なのである。

水木支配人とは姫路フィンランディア教会の企画が立ち消えになって以来久しぶりだった。あの一件以来、僕はもうブライダルをやめようと決意するようになったんだけど、そのあたりも含めて色々と相談をさせていただいた。

「支配人、どう生きれば正解なんでしょうね・・・。色々悩んでしまって」

僕のダラダラとした悩みに水木支配人は明確に答えてくれた。

「前の教会を作るという話はちょっと大ごとでしたよね。中道さんはもっと従来からのプロデュースというかそういう方向でもう一度やってみるべきじゃないかな。もし中道さんがもう一度プロデュース会社をやる気なら、グランメゾンのレストランウェディングを任せてもいいですよ」

(いつも支配人はグッとくる事言ってくれる・・・)

今のこんな何もない僕にそんな風に言ってくださる事に、僕は心から感謝した。例えそれがならない話であったとしても、その好意が嬉しくて弱っている僕を支えてくれている気がした。

「実はもうブライダルやめようと思ってたんですけど、支配人がそう言ってくれるならもう一度ゆっくり考えてみます」

水木支配人と別れたその足で、僕はプチウェディングの神谷さんのもとに向かった。そしてこれまでの経緯を説明した上で僕の気持ちを話させていただいた。

「中道さんにはプチウェディングをここまで形作ってもらって感謝してます。少し前のチャペルの話は何となく中道さんらしくないなぁと思って見てました。中道さんは誰かと組むより、自由なプロデュース会社をする方が合ってるように思います。中道さんがそうしたいなら、僕は応援しますよ。」

僕がプロデュース会社を作るという事は、プチウェディングにとってはライバルになる可能性もある。それなのに神谷さんはそういう事ではなく僕という人間がどうあるべきかという事を一番に考えてくれていて、その度量の大きさに改めて頭の下がる思いがした。

グランメゾンの水木支配人もそうだけど、僕はこういう人たちに助けられてこの暗闇の2年間を歩いてこれたんだと実感した。

長かったトンネルの出口・・・。
そんな人たちのおかげで、僕はようやくその先の光が見えてきたような気がした。

話を終えた僕はプチウェディングのサロンを出て、イーグレ姫路の北側にある自動販売機で缶コーヒーを買い、向いの公園のブランコに座った。

空を見上げると、雲ひとつない青い空。

ここまで本当に苦しかった。
色んな事が脳裏をよぎると、ぽろぽろと涙がこぼれてくる。

僕はその涙をぬぐい、決意した。

よし、もう一度ブライダルをやってみよう。


第26話につづく・・・



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