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公務員を辞めるまで#2

辞めることをはっきり意識したのは、13年前に父が亡くなったことがきっかけです。

父は戦時中に兵庫県尼崎市で上杉家に生まれ、半年後に終戦を迎えました。当時は不治の病だった結核を患っていた父の父が亡くなり、継いで父の母も病気で亡くなって、父の姉は親族に、父は近所の中本家の養子となりました。

みんな食べる物に困っていた時代。中本家も親族を頼って茨城県志筑村(現在のかすみがうら市)に。父は幼少期から新聞配達をして家計を助けていたようです。冬の早朝は手がかじかんで、自分で貯めたお金から手袋を買ったら養母に怒られて惨めだったと、酔うといつもこの話をしていました。

高校生の時に母と出会い、恋愛結婚。これにもかなりのエピソードがありますが割愛(笑)
母の父の「スープの冷めない距離に(住みなさい)」という言いつけで、母の実家がある石岡市の隣町、美野里町に住まいを求め、兄と私が生まれました。この言いつけが刷り込まれていたのか、兄と私が結婚後も実家近くに住むことに繋がったのだと後年気づきました。

両親と兄と私

酒が大好きだった父は、飲み過ぎがたたって内臓を痛め、67歳で他界。私が37歳の時でした。このとき私は初めて「自分の命の期限」「自分の命の使い道」を真剣に考え、定年を迎えるまで公務員として時間を使うことが自分の本意ではないと気づきました。

◉中本正樹 Nakamasagas代表  記事

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