見出し画像

グローバル・チームの中で

(この記事は無料で全文が公開されています。もし面白いと感じたら、投げ銭をいただけると、私がとても嬉しくなります。よろしくお願いします。)

シンガポールでは6人の部下がいました。全員国籍の違うメンバーでした。シンガポール、台湾、マレーシア、タイ、フランス。上司はオーストリア人でした。150人近く働くシンガポール拠点の中で、日本人は私だけでした。

その環境は、私にとって居心地の良いものでした。奇妙なことに、私は日本にいた時のほうが自分を外国人のように感じていました。経営コンサルティング会社を経て中途入社した私は、日本支社の中ではいつまで経っても異分子でした。私は社内で、自分のことを上野動物園のパンダか、あるいは外国人傭兵のように感じていました。会議での発言内容に細心の注意を払っていました。それでも、私の発言が波紋を生むのをあちこちで感じていました。

シンガポールに来てからも暫くの間は、それまでの癖で発言内容に気をつけていました。その内、思ったことをそのまま言っても大丈夫なことが分かり、加速度的に気楽に口を開くようになりました。どんどん発言することによって、どんどん周囲に受け入れられるのが分かりました。

ハイ・コンテクスト文化とロー・コンテクスト文化という考え方があります。日本はハイ・コンテクスト文化だと言われます。同じ釜の飯を食う仲間たちが、多くの言葉を介さなくてもお互いを理解し合うのがハイ・コンテクスト文化です。例えば、「ランチなに食べる?」と聞かれて、誰かが「任せるよ」と答えたとします。ロー・コンテクスト文化であれば、これは、そのままの意味です。回答者に特に希望はないのです。一方、ハイ・コンテクスト文化では、回答者の真意は分かりません。食べたいものが本当はあるのに遠慮して言わないだけかも知れないし、本当に何でもいいのかも知れません。その声のトーンや言い方、あるいは回答者の性格等の発言以外のファクターから、真意を察する必要があります。

グローバルなチームは、否応なしにロー・コンテクスト文化です。誰もお互いを察することは出来ません。何故ならみんな違うバックグラウンドで育ってきたからです。その中で、自分の考えを理解してもらうためには、きちんと分かるように言葉で説明するしかありません。

私には、それが気楽でした。説明は苦手ではありません。一方で、察するのはとても苦手です。

ある時、私は部下に厳しい評価を伝えなくてはいけませんでした。このシチュエーションは、日本でもシンガポールでも経験したことがあります。日本で厳しい評価を伝えた際、部下は私の目の前で黙り込んでしまいました。私が「この評価で進めても大丈夫ですか?」と聞いても彼は憮然とした表情で「どうぞ」と言うだけでした。その面談は10分と掛かりませんでした。

シンガポールでは全く状況が違いました。私と彼の間の議論は3時間以上続きました。彼は自分の功績を並べ挙げ、私がどうしてそれが十分ではなかったかを説明します。時たま和やかな会話をはさみつつも、両者は一歩も譲りません。結局、評価については私の内容で決着しましたが、彼は私にもたくさんの宿題を出しました。面談の終了時、私が「それでは次回の評価まで頑張ってください」と伝えると、彼は「そっちもね(You, too)」と言いました。それを聞いて、私は彼に手を差し出しました。私たちは、笑って握手しました。

似たような人が集まっている集団の中では差異を、異なっている人が集まっている集団の中では類似を見つけようとする習性が人間にはあるそうです。シンガポールのチームは、みんなが異なっているからこそ、類似を見つけようとする志向が強く働いていました。男性はサッカー、女性は夫あるいは彼氏の悪口でよく盛り上がりました。職場で毎月一度誕生日をお祝いしたり、定期的にチームアクティビティが企画されたりするのも、異なる価値観を持つ人たちを一つにまとめようという意図が窺われました。

日本では、あちこちで同調圧力が強く働いています。似たような人たちの間で細かな差異を見つけ出し、どんどんその差を小さくしようとします。

今後、グローバルな環境に日本も出ていくのであれば、まったく違う人たちの中に自分との類似性を見つけ出すような、現在とは真逆のアプローチが必要です。例えば、総理大臣とホームレスとあなたの3人でちょっとした立ち話をするとしたら、どんな会話で盛り上がることができるでしょう? 考えてみてください。

ここで今回のレッスン・ポイントです。

グローバルなチームは、否応なしにロー・コンテクスト文化。自分とは全然違う人とも絶対に理解し合えるという強い思いをもって、言葉を尽くそう。

ここから先は

0字

¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?