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なぜ心理的安全性が必要か?-恐怖から解放すること-

とある高校のサッカー部での出来事

最近、とある高校のサッカー部でコーチによる暴力行為が部員のSNSに投稿され、大きな話題になった。

簡単に言うと、コーチが部員に対して、暴力行為を他の部員に撮影されるくらい公然と行っていたという内容である。

違和感しかない出来事であるが、なぜこのような事が起こったのか?

恐らく、コーチは、部員と信頼関係が築けず、恐怖で相手をコントロールしようとしていたのである。

会社組織での出来事

会社組織においても、恐怖で相手をコントロールしようとする例はパワハラという形で見られる。厚労省によるとパワハラの定義は次のように定められている。

①優越的な関係に基づいて(優位性を背景に)行われること
②業務の適正な範囲を超えて行われること
③身体的若しくは精神的な苦痛を与えること、又は就業環境を害すること

https://www.mhlw.go.jp/content/11909500/000366276.pdf

言い換えると、元々優越的な地位にあるものが、苦痛を与える事で自分が優位であることを相手に知らしめる行為といえる。
要するに、恐怖によって、相手をコントロールするのである。

構図は、先程のサッカー部の例と変わらず、とあるサッカー部の出来事は、残念ながら大人達の世界でも起こっているのである。

恐れのない組織

恐怖で相手をコントロールした際のパフォーマンスはどうなるのだろうか?

「恐れのない組織」という本を少し引用したい。

不安は学習を妨げる。神経科学の研究によれば、不安のせいで生理的資源が消費され、ワーキングメモリの管理や新情報の処理をする脳領域に資源が届かなくなるという。そのせいで分析的思考、創造的考察、問題解決ができなくなる。不安を感じている人が最高の仕事をしにくくなる所以である。

エイミー・エドモンドソン「恐れのない組織」

「恐れのない組織」の中では明確に不安でやる気は引き出せないと述べられている。そして、「心理的安全性」を構築することの重要性を述べている。

では、「心理的安全性」とは何なのだろうか?

心理的安全性とは、率直に発言したり懸念やアイデアを話したりすることによる対人関係のリスクを人々が安心して取れる環境である。

エイミー・エドモンドソン「恐れのない組織」

そして、「心理的安全性」が確立されている場合には、組織のパフォーマンスに素晴らしい効果がもたらされると述べている。

「心理的安全性」は、恐怖からつくることは不可能であり、恐怖を解放することによりつくりあげることが出来るのである。

アンチェロッティがやったこと

先日のチャンピオンズリーグの準決勝でレアルマドリードの監督のアンチェロッティは選手交代について選手に相談したという。

クロースは試合後、「監督は誰を下げて誰を入れるか、いくつか悩んでいた」と口にし、指揮官に交代策のアドバイスを求められたことを明かした。 「僕ら(レアル・マドリーの選手)は、自分たちの試合を見てきていた。だからこそ、アイデアの相談ができる状況なんだ」 「このような相談ができることは、アンチェロッティという人間を示している。並外れているよ。最終的に決めるのは彼だけど、監督は僕たちの意見に興味をもってくれる」

https://news.yahoo.co.jp/articles/e46a1b349ffcdd9cf672b4c3030b90ddea1eb96e

アンチェロッティは、五大リーグ全てを制した名将であるが、恐怖とは正反対の方法で組織を率いているのである。一時の話ではなく、日頃からチームに「心理的安全性」が担保されていなければ、選手側も自分の意見を監督に伝えることは困難だったと思われる。

サッカーというスポーツをマネジメントするにあたって、組織により「恐怖で支配するのか?」「恐怖から解放するのか?」という全く異なるマネジメントが行われている。
これは、会社組織においても同じであり、サッカーの事例から学べることは、自身の優越感ではなく、自組織の成長を第一に考えるのであれば、「恐怖から解放する」という選択をすべきということである。

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