フィルム_フェスタ

『さよなら僕の性格』第19話 哲学

高校二年になったのに、友達がいない。何もしていないのに「なすび」と言われる。

……希望が見えない。

一体、どこを目指して、何をすればいいのか。

心の支え的な、軸的なものが欲しい。「これに従って生きていけばいいんだ!」みたいな、心の軸になるようなものがあれば……。考え方……思想……。

――そうだ、哲学を学んでみよう。


人はなぜ生きるのか、愛とは何か、自由とは何か、正義とは何か……。考えても答えの出ないような問題を、それでもなお(無駄に難しく)考える学問。

哲学に対して持っていたイメージはそんなものだった。


とはいえ、それこそまさに、僕の一番知りたいことだった。人はなぜ生きるのか、そして僕はどう生きればいいのか?

答えの出ない問題なのかもしれない。だけど、その問題に真剣に向き合った高名な哲学者たちは、それに対して一体どう考えたのか。純粋に知りたかった。

それに、学んでいるうちに、誰も思いつかなかったような、コロンブスの卵的な、画期的な答えが僕の頭にひらめくんじゃないかという根拠のない期待もあった。

僕の手にかかれば、哲学者たちが「なあんだ、そんな考え方があったのか。いままで難しく考えすぎてたよ。どうもありがとう」と、ようかんを手土産にお礼に来るほどの考えが生まれるかもしれない。

とにかく、哲学を学ぼう。そうすれば、僕の心は救われるかもしれない。

インターネット書店で『ソフィーの世界』という本を取り寄せた。

ソフィーという女の子に哲学の先生が哲学を教えるという小説の形式を取った哲学の入門書だ。

一日二日ではとても読み切れない量だったが、始めからじっくり、ノートにメモを取りながら丁寧に読み始めた。

ソフィーへの哲学の授業は、哲学史に沿って行われる。最初は古代ギリシアの哲学から始まる。万物は何で出来ているのか、その根源の探求である。タレスという哲学者は「全てのものは水で出来ているんじゃないかな」と考えた。

それからアナクシマンドロス、アナクシメネス、エンペドクレス、アナクサゴラス、といった人たちが、変な名前のくせに「空気だよ。空気を凝縮すると水とかになって、薄めると火になるの」とか「火と水と土と空気が組み合わさってるんだよ。四大元素だよ。ファイナルファンタジーにも出てきたじゃん」とかしゃしゃり出て来て、最終的にデモクリトスという人が「すんごい小さな粒がいろいろ組み合わさってるんじゃね?」という、分子とか原子が発見されている今から見て正解に近い発想を提示する。

それが哲学のスタートか……。面白いと思った。この世界がどう出来ているのか、中学の理科で習うようなことも、昔の人は知らないまま死んでいったのだ。今の中学生が無理矢理覚えさせられるようなことを、昔の哲学者はどれほど知りたかったことだろう。

それから、ソクラテス、プラトン、アリストテレスと進んでいく。キリスト教哲学、ルネサンス、宗教改革、神はいるのか、自由意志はあるのか、そんな話になっていく。

普段ゲームばかりしていて、読書は苦手だったが、苦痛ではなかった。なにしろ僕は深く悩んでいた。自分の生き方を探していた。

次に登場する哲学者が、それを教えてくれるかもしれない。

次のページをめくれば、僕を救ってくれる思想と出会えるかもしれない。

その先出てきたのは、ロック、ベーコンらのイギリス経験論、デカルト、スピノザ、ライプニッツの大陸合理論、これらを統合した、カント、ヘーゲルらのドイツ観念論。

読んでいると、みんな正しいことを言っているように思える。だけど別の哲学者が次々出てきては、それを塗り替えるように、新しい論を展開する。

……面白い。夢中で読んだ。まるで、どんどん推理が覆されるミステリー小説でも読んでいるような面白さだった。認識論の流れは、最後にヘーゲルで上手いことまとまる。

ところが、「そんな認識の話はどうでもいい。重要なのは、私たちがどう生きるかということだろう」そんな口上で、次に登場したのが、キルケゴールだった。

そうだった。認識論の面白さに、すっかり忘れていた。僕が知りたかったのはそこだった。

これだから、哲学はやめられない。そこから、ニーチェ、サルトル、ヤスパース、ハイデガーといった実存主義に突入していく。

もう、眠るのも忘れて,布団の中でページをめくっていた。

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