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(18)スリジー城4日目  精神科医

食事は終わった。
それぞれが席を立つ。
食べ終えた皿を配膳所に運んでいく。
久重はついでにレヴィナスのものも片付けた。
レヴィナスが立ち上がる。
久重は手を貸そうとした。
レヴィナスは無言で拒んだ。
小柄だがどっしりした体躯を運んでいく。彼の足取りは確かなものだった。歩きながら走りながら哲学をしたのか、鍛えられた足取りだった。
彼と一緒に城の外に出た。
庭には、コーヒーや紅茶などが用意されていた。
丸いテーブルの周りに椅子が並んでいる。各々が手にカップをもって座る。
レヴィナスに話しかける人がいたので、久重は離れたテーブルに向かった。
プラタナスの樹の下に置かれたテーブルに座る。コーヒーカップを置く。夏の終わりの風が吹き抜ける。白いテーブルクロスの上の木漏れ日が揺れる。

一人の男が久重の前に座った、握手を求めてくる。
英語で自己紹介をする。
背が高く青い目が印象的だった。

時に空のような青い目に出会うことがある。時に海のような青い目に出会うことがある。
東洋人の黒や褐色の目の色とでは、風景が違って見えるのではないかと思うことがある。
グラビア写真で、イギリス人の歌手デヴィッド・ボーイの片方が青、片方が灰色の目を見たとき、片方ずつ見る景色が違うのではないかと思ったものだった。

アメリカ人は謎めいた青い目で語り始めた。
「私はアメリカで精神科医をしています。精神を病んでいる患者を診ています。
親がクリニックに、うつ病になった子供を連れてくる。脅迫観念にかられる夫や妻がやってくる。
この関係の中に、プロフェスールヒサシゲの言われる、非対称の関係、受苦の問題が潜んでいる。そこには悪の問題も。

ところで臨床の場で、問題を抱えている人間の方が正常ということがある。自分を責めて病んだ人間の方が人間的だったりする。
むしろ問題は、過ちを犯す人間よりも、自分を正しいと思っている人間です」

久重は答えた。
「私の論考は、悪を犯す人間に反省を求めるものです。悪を行う、或いは行った人間に、その罪を自覚させるための論考です」

アメリカ人の精神科医は言った。
「悪はもっと邪悪。悪を成す人の特質として、彼らは平気で嘘を吐く。平気で人を傷つける。そしてそういう人と交わるとき、自分を責めるのは、善良な人間の方です。彼らの意志の強さに傷つくのは、自分の罪悪を自覚する人間です。
プロフェスールヒサシゲの概念を使って、自分自身を追い詰めていく時、あなたの心の中の他者とあなたの外にいる他者は、全く違うものではないのか。あなたが対象とする他者は、あなたに傷つけられ苦しめられた他者だが、あなたの外にいる他者はあなたから負った傷によって、悪魔になっているかもしれない。自分の非を認め、自分を悪いと反省するあなたの弱みにつけこむ、モンスターになっているかもしれない。

私はそうしたモンスターと日々戦っています」

久重はコーヒーに砂糖を入れて混ぜる。
しばらくして久重は答えた。
「人間は複雑です。魑魅魍魎です。人間の複雑さの一片を、魑魅魍魎の破片を、私は解明しようとしたに過ぎません。
哲学は、真理を探究する一方で、新たな問題も提示する。納得させられるよりも、新たな疑問に揺さぶられる。
その疑問にこだわることで、あなたがあなたの目で、人間というものを発見してください」
久重はコーヒーを一口飲んだ。コーヒーの芳しい香りを嗅いだ。

話しを続ける。
「100年以上前に、日本は開国を迫られ西欧を受け入れました。その時、哲学と一緒にキリスト教が入ってきました。
私の思想には、キリスト教的な考えが染み付いていると思わないではありません。しかし私の論考した「罪悪感の現象学」の根底には、仏教の思想があります。

よかったら私の本を読んでください。『罪悪感の現象学』はソルボンヌの図書館に置いてあります」


久重はコーヒーを味わう。
日本の軟水で煎れるコーヒーよりは、硬水のヨーロッパの水で煎れるコーヒーの方が味も香りも濃厚な気がした。

彼精神科医の知り合いらしい男が近づいてきた。
久重と握手を交わす。
彼は、久重の本を読むと約束して、立ち去っていった。


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