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なぜ、日本は70年間も戦争をし続けていたのか?

全ての元凶は、ペリーにある

ペリーが、浦賀に来てから日本が大きく動き出した。

ペリーは、ペリーなりの理由はあったようだが、それよりも、イギリスとアメリカとの地政学的な関係性があったようだ。

鎖国時には軍事力によって他国を寄せ付けなかった日本だが、200年以上の時間の中で、海外と大きく差を広げられてしまった結果だった。

日本はアメリカの属国

日本とアメリカの関係性は開国時から何も変わっていない。むしろ、第二次世界大戦後に、よりその関係性が強化されたようにも感じる。

その後、日露戦争後まで不平等条約は締結されていた。

日本が、富国強兵政策をとり、欧米列強と肩を並べるまでになる一番の理由は、この不平等条約があった。アメリカとの不平等条約のため、植民地ではなかったものの、アメリカにとって見れば植民地と大差ない状況だったわけである。

この不平等条約によって、日本は、欧米の中では後進国だったアメリカが、唯一勝ち取った植民地といってもいい。

第二次世界大戦後、日本はGHQという名目でアメリカの支配を受けてきた。今も、アメリカの支配は変わらない。ただ、西側諸国の一員としての立ち位置があるので、そうは見えないが。

そして、第二次世界大戦へと進む

日露戦争で勝利した日本は、欧米列強と肩を並べる存在であると自負していた。しかし、周りはそう思っていなかった。

チー牛が、ボッチヤンキーを打ちのめしたからと言って、一軍に上がるわけもない。結局は、ポッと出のチー牛止まりだ。

ロシアやっつけたって、お前は所詮チー牛だろ?

それが、欧米列強の見解だった。

その当時、ヨーロッパでは、第一次世界大戦の賠償問題に喘ぐドイツがヒトラーを生み出そうとしていた。

親の財布から、金取ってこいと言われているいじめられっ子のドイツが、陰湿な感じでブチギレて、周りのヤンキーをフルボッコにしまくっていた。

割と余裕を見せていたイギリスも、次々とボコボコにされる友達を見て、そろそろ自分もやばい!と危機感をつのらせていた。

その頃、アメリカは、国内の問題で手一杯で、周りにかまけている余裕は一切なかった。
ブラックチューズデー。世界大恐慌の震源地だったアメリカでは、1936年まで地獄を見ていた。

世界大恐慌では、ドイツを破綻させた。ドイツがなんとか生きながらえていたのは、アメリカの支援があったからだ。しかし、支援元のアメリカがぶっ飛んでしまっては、どうすることもできない。ドイツの賠償金を当てにしていたフランスやイギリスも同様にぶっ飛んだ。

混乱と、混沌がヒトラーを産んだ。そして、世界は孤立していき、偶発的に戦線が作られた。3つ以上の戦線が生まれている状況が世界大戦という。

ヨーロッパ戦線、インド・東南アジア戦線、中国戦線、太平洋戦線。

ヨーロッパ戦線は主にドイツだが、インド、東南アジア、中国、そして太平洋(アメリカ)は日本が広げた戦線だ。

日本は戦線を広げすぎた。というより、広げなければならなかった。ABCD包囲網及びアメリカとの対峙によって、この状況が生まれた。

ドイツ、イタリア、日本は同盟を結んだが、ドイツもヨーロッパ大陸で戦線を広げすぎたし、日本も太平洋を中心に戦線を広げすぎた。

一つの戦線に注力できれば、勝てる軍隊でも、戦線を広げすぎる事によって、兵力は分散し力を失ってしまう。軍事的戦略というよりも、外交も含めた政治的戦略によるところが大きい。

日本は、第二次世界大戦中は軍部が統治していたが、軍事的戦略ではなく、政治的戦略によって負けたのだ。政治家とともに戦っていれば、もしくは。


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中江兆史
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