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責任感、当事者意識、自分ごと化の違いとは?

弊社のホームページでどの内容がよく読まれていたのかを確認していたところ、ブログ記事の「責任感、当事者意識、自分ごと化って何が違う?」がU理論解説のページの次に多いという結果となっていました。
こちらはもう6年近く前のブログ記事なのですが、社会・環境変化の中においてもこのテーマへの関心度合いは以前と変わっていないらしい、というのは非常に興味深く感じますし、実際に現在でも様々な企業のご担当者が話されるキーワードです。

実際に、部下や同僚、もしくは上司に対して
「責任感を強く持ってほしい」
「当事者意識が低くてはいけない」
「課題の自分ごと化が重要である」
こんな要望を持っていたり、実際に部下に指導したことがある、という心当たりがある方もいらっしゃるのではないでしょうか。

一方で、
責任感・当事者意識・自分ごと化、これら3つが示す姿が混同されたまま使われているのではないかと思う場面もよくあります。

皆さんはこれらの違いをどのように表現しますか?


ブログ記事にもある通り、それぞれを以下の通りに定義しました。

・責任感:「ある特定の役割を担う人が持つ、道義的な思想、合理的な判断、利害感情のいずれか(もしくはいずれも)に影響されて醸成される【意識】」

・当事者意識:「自分がある事象の引き起こし手であるという自覚を深い実感を伴って持っている【状態】」

・自分ごと化:「その対象を自分の人生にとって大事なこととして捉えていること」

今回はこの定義を元に
・混同されがちな責任感と当事者意識の違いについて
・自分ごと化について
この2点についてご紹介します。


(1)責任感と当事者意識の違い

責任感は、例えば「自分の仕事きっちりやろう」という道徳観や意思の問題であるため、責任感の有無は本人が自覚しやすいものであるのと共に、責任を果たそうとするかどうかは本人が決められることになります。

それに対して、当事者意識は「自分が、この問題の片棒を担いでいるかもしれない」というように、自分が状況の一部になっている、即ち自分という存在自体が現在生じている事象の発生に何かしら与えているという影響の実態に対して、自ら気づいていることを意味しています。

責任感に関しては、単純にその有無しか存在していません。
しかし当事者意識に関しては、実際には当事者であるもののそのことに意識が及んでいない・・・即ち気づいていないということが生じえます。
言い換えると、「責任感はあるけれども当事者意識がない」という状態です。

自分の身の回りで起きている状況や問題症状を観察し、自分が状況の一部となっている、すなわち、「自分がどのように問題の片棒を担いでいるのか」を深く内省し、探究を続けた先にある瞬間、たどり着けるのが当事者意識です。
各着眼点の詳細については、HPにてより詳しく記載しています。
ぜひご覧ください。
https://www.authentic-a.com/case02


(2)自分ごと化とは?

さきほど、自分ごと化とは「その対象を自分の人生にとって大事なこととして捉えていること」と定義しました。
それは言い換えれば「自分の人生観、価値観としてそれが大事」ということになります。

とある上司が体調不良の部下を気遣う言葉をかけるときに、
「日頃の自己管理がなってないのではないか?」と
【業務上の責任を果たさねばならない】役割上の責任感からくる発言なのか、「あなたには、日々健康でいてほしい。早くよくなってくれることを願うよ」と【部下が心身ともに健康で活き活き働いている状態を作りたい】というその上司の個人的な人生観、価値観が表現された発言なのか。
それぞれ部下に伝わるインパクトは全く違うものになるということは想像に難くないと思います。

そして、それを気にしている側の人にとって、その対象がその人の人生にとって大事なこととして見えていればいるほど、「自分ごと化」の度合いが高まるのではないかと思います。

特に、それが「恐れ」から来るものではなく、その人の「本質」に根差したものであればあるほど、その質はより高まるのではないでしょうか。

つまり、「自分ごと化」の質を高めていく上で、究極的に問われるのは死生観ということになります。自分の死生観が極められていればいるほど、利他的な視点で「自分ごと化」できるのではないかと思います。

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