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自分自身の『弱み』との向き合い方

11月1週目のnote「責任感、当事者意識、自分ごと化の違いとは?」は、弊社HPでアクセス数の多いブログ記事からのご紹介でした。
今回も同じく多くの方にお読みいただいている、表題のブログ記事内容からのご紹介です。

このブログ記事を書くに至ったきっかけが、弊社の講座卒業生の方々と共に立ち上げた「発達指向型組織を自社で実現する」ことをテーマにした研究会での活動でストレングスファインダーについての勉強会があったことからでした。
(※こちらの研究会ですが、今月で活動開始から4年5ヵ月・会合は50回を超え、今なお新たなメンバーをお迎えしながら活動中です。)

ストレングスファインダーに留まらず、世の中には様々な個性診断があります。
SNS等でも簡易的な診断ツールの結果を多くの皆さんがシェアしているのを見るにつけ、自身の「強み」「特徴」への興味関心度合いの高さを感じます。

私自身20年以上にわたって様々な個性診断を受けたり学んだりしていますが、その中で必ずといっていいほど話題になるのが、「強みにフォーカスするのはいいとして、弱みはどうするんだ?」ということです。

「強みを伸ばす、フォーカスする」というのが輝かしく、ポジティブなメッセージである分、こうした弱みに着目した話題が意外と避けられがちなのと、そこに対して明快な回答がされているケースをお見受けすることがあまりありません。

当時の勉強会でも、この自分自身の弱みにまつわるテーマを共有してくださった方がいらっしゃいました。
その方は、34個あるストレングスファインダ―の中で「共感性」が下位資質(30位台以降の資質)に位置づけられているということから話が始まり、ご家族との会話から、このような質問をいただきました。

「あなたは共感力が低いことが問題だ、といったことを指摘されているのだが、自分のストレングスとして共感性は下位資質になっている。それは他のストレングスでどうやって補えばよいのか?」

それに対して、弱みをどう扱うのかについての考察を仲間内に共有した内容を、ブログに掲載していたのですが、改めてメルマガでもご紹介させていただきます。

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※参考:ストレングスファインダーとは

アメリカのギャラップ社が開発した人の「強みの元=才能」を見つけ出すツール。
Webサイトで177個の質問に答えていくことで診断できます。
「さあ、才能(じぶん)に目覚めよう―新版 ストレングス・ファインダー2.0」等の書籍に付属するアクセスコードを用いると、上位資質5つを診断することができます。
また、ギャラップ社のwebサイトから資質34個すべてを診断することも可能です。
URL:https://onl.sc/xnPaWP2
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まず、ストレングスファインダーを始めとした個性診断によってあらわされる「強み」「弱み」については『個体差としてある傾向が表出するもの』として捉えています。
また、ここでは以下の2点を「弱み」として考えたいと思います。

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(1)「強み」の弱み使い
その個体差として「強み」があるものの、それを無自覚に使ってしまっていたり、その副作用的な負の影響を看過してしまっていることによって生じるもの

(2)下位資質の劣等機能
ストレングスファインダーでいえば、30位以降に位置するものが下位資質とされています。
他の個性診断においても、特定の領域における特性が弱いというもので、基本的にそれが駆動することがない/ないしは駆動しようとする欲求がそもそもわかない、という認識をしております。
今回は、あえてわかりやすく「劣等機能」と表現します。
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結局のところ「弱み」が問題になるのは、ある課題や状況下において、求められるパフォーマンスがある中で、それを発揮するためのコンピテンシーが満たせていない場合であると考えます。

ここでいう「コンピテンシー」とは、「能力」というより、「求められるパフォーマンスを発揮するために必要となる行動特性」です。
法人営業であれば、対人対応力やソリューション力なども必要でしょうし、財務戦略を考える職務であれば、論理性、財務知識、判断力、戦略性なども必要になるでしょう。

ある課題や状況下において、求められるコンピテンシーのサブセットがあり、それが満たせていないと問題が生じます。
そして、それが慢性的に満たせていない状態が続くためにパフォーマンスが発揮できず、コンピテンシーが満たせていない状態が個人の特性から来ているものなのだとしたら、それが「弱み」として認識されやすくなります。

先に挙げた質問をしてくださった方の場合、ストレングスファインダーの「共感性」が下位資質になっているとのことだったのと、家庭ではその共感性の低さを奥様から課題として指摘されているというお話でした。
その意味では、「家族関係」という状況下において、期待され求められるコンピテンシーが「共感的に感じ取り、その姿勢を示す」ということになっているのではないかと思います。

その方のケースにとどまらず、「ある課題や状況下において慢性的にコンピテンシーが不足している」という状態は、そこかしこで発生しています。

それをなんとかしようとして、もがいていたこれまでの状況に対して、「弱みを無理に扱うようなことはやめよう」という話が生まれやすくなり、強みにフォーカスしようという傾向が世間的なトレンドになっています。

しかし往々にして、個体差である「弱み」が、そのままコンピテンシーの不足と同等に扱われることが多く、「それは個体差による『弱み』なのだから、そこは目をつぶってそのコンピテンシーの不足の克服はしようとせず、『強み』にフォーカスをするように、相性のいいコンピテンシーを伸ばしましょう」といった形で「個体差とコンピテンシーの混同」が発生することがかなり多いです。

実際に、その求められるコンピテンシーと『強み』が相性がよければ、そのパフォーマンスを出しやすかったり、「好きこそものの上手なれ」という形で能力を伸ばしやすくなるので、それは言うまでもなく大事にするほうがいいでしょう。
それは家庭という状況下の中で、共感力がコンピテンシーとして求められる面においては、共感性が上位資質になっているほうが確かに都合はよいといえます。

しかし、実際には「ある課題や状況下において慢性的にコンピテンシーが不足している」ことをなんとかしないといけないことはかなり多く、「個体差とコンピテンシーの混同」によって投げ捨てられるほど、ことは単純ではなかったりします。
では、「ある課題や状況下において慢性的にコンピテンシーが不足している」という状態に対して、個体差である「弱み」の相性が悪い状態になっていることにはどのように対応したらよいのでしょうか?


結局のところこれは、以下の命題にいきつくことになります。

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(1)慢性的に不足しているコンピテンシーは、他のスキルで補うことができるのか?

(2)慢性的に不足しているコンピテンシーに関して、他者の協力を得ることができるのか?
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この(1)と(2)の命題でしかないのに、慢性的なコンピテンシー不足の問題に対して
・個体差である「強み」を活かすのか
・「弱み」を克服するのか、目をつぶるのか

といった「強み・弱み論」として課題を定義してしまうことが、命題の解決から遠ざけさせてしまっていたり、問題をさらに複雑化させてしまっていたりします。

先ほどのご家族の件で相談された方のケースでいえば、「共感力がない」と奥様から指摘されていたとして、それがその方の克服課題ではないと私は思います。
大事なのは、「共感できるようになること」ではなく、ご家族がその方に「配慮されているな」とか、「自分のことをちゃんと知ろうとして、大事にしてくれているな」と実感が行き届くようにできるかどうかだと思います。

すなわち、このケースだけでいえば、
・「視点獲得能力」を発達させられるか
・そこで見えたことを行動に移せるか
どうかだと思います。
従って、「ある課題や状況下において慢性的にコンピテンシーが不足している」ことに関しては以下を着眼点としていく必要があると思います。


(1)課題解決の上位目的を明確にする。ないしは課題の再定義を行い、コミットする
→これができていなければ、「個体差とコンピテンシーの混同」に陥りやすくなります。

(2)個体差による「弱み」を「諦める」のではなく「受け入れる」
→個体差による「弱み」について、よく見かける傾向が「私は〇〇タイプだから苦手」という言い訳だったりします。
ストレングスファインダーによらず、個性診断によって明らかになった「弱み」による劣等機能が、そのコンピテンシーの不足を補わないことの言い訳や正当化に使われると、結果的にその人の可能性を阻害するだけでなく、関係性の悪化につながりかねないため、個性診断がかえってマイナスの影響をもたらすということが看過されていることが多いです。

そうした正当化の影にあるのは、その「弱み」を「諦めよう」としているだけで、本当は執着があることに気づいていません。
それが結果的に利己的な姿勢を引き起こすことになり、周りからの協力を得られなくなるというパターンを出現させます。

それに対して、その個体差による「弱み」のあるがままを「受け入れる」ことができるようになれば、ただ、謙虚になり、自分がコミットしているより大きな目的に向けて、スキルを高めるか、助けを求めることができるようになります。

わかりやすい話でいえば、加齢による様々な機能低下も個体差による「弱み」といえますが、「もーー。私も50歳を過ぎて、あちこちガタが来てるし、老眼でよく目も見えなくなってきているから、若い人に何とかしてもらわないと困るんだよね」というようなことを言ったとして、誰がその人に手を貸すのか。という話です。

「私には個体差による『弱み』がある。そして、より大きな目的にコミットしている」
この立場を確立できるかどうかが重要です。

(3)スキルの向上や阻害行動の克服によって、慢性的なコンピテンシー不足を解消できるのかどうかを見極め、その改善に努める
→最も難しいのは、この見極めにあります。「変えうるものなのか、変えられぬものなのか」の識別できないでいる結果、この「個体差とコンピテンシーの混同」の問題を引き起こすといっても過言ではありません。

また、多くの場合、スキル不足として「足し算」が不足していると認識しがちですが、実際には、免疫マップでいうところの「阻害行動」の「引き算」の問題が潜んでいることがかなりあり、それを扱うことで諦めるしかなかったような慢性的なコンピテンシー不足が、実は解消できるものだったということが判明することは少なくありません。


(4)「助け」を適切に求める
→ここが、個性診断の「強み・弱み論」の本質とも言えるでしょう。
個体差である「弱み」は誰にでもあるものですし、先天的なものばかりではなく、加齢、病気、事故によって後天的に獲得してしまう「弱み」も人間だれしもあります。

その「弱み」の領域を誰かに面倒をみさせるように、人に依存するのではなく、「助けてもらえる」状態であるために、(2)で書いたようなことも含めて、自分自身が何を高めていくことが求められているのか。そこが明暗を分けるといえるでしょう。


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