野球少年だったころ

家は寿司屋だった。けっこう繁盛をしていた。家の裏には空き地があって、そこで雇ってた板前さんに遊んでもらった。そのころだと釜本さんが晩年で何となく見ていたが、僕がやったのはサッカーではなく野球だった。初めて買ってもらったグローブはキャッチャーミットだった。小学校でともだちに上手い奴がいて、そいつにかてなかった。それで僕はキャッチャーとなった。僕の子供の時は住宅街だったが結構空き地があってそこでキャッチボールとかした。けっこううまかったと思う。

何となく覚えているのは、長嶋巨人が初リーグ優勝をした年のことが何となく覚えている。僕の周りはみんな巨人ファンだったと思う。僕らの時代の必然じゃないかと思う。もちろん僕も巨人ファンだ。たまにどういう訳かパ・リーグファンがいて今で言うオタクのと言っていいかと思う

引っ越しをした。上の階に3人兄弟がいてそいつら仲良くなって、学校が終わるとほぼ毎日ボールを投げていた。ドカベンを知ったのも、こいつらの家だった。野球漫画の頂点はドカベンだと思う。キャッチャーミットを持っているくらいだから、山田太郎を崇拝していた。水島先生は神だ。

思いでだけをたよりにすると、第一次長嶋巨人は日本一にはなれなくて阪急がめちゃくちゃ強かった。山田、足立というアンダースローの二枚看板、山口という豪速球の抑え。攻撃では福本、簑田、長池、加藤、バランスのとれたいいチームだった。

おとうさんといっしょにたまにキャッチボールをした。おとうさんはあんまりうまくなくて、遅い球しか投げられなかった。おとうさんは結構うれしかったのかな。僕は子供がいない。やっぱり子供が息子ならキャッチボールと酒はやってみたかったと思う。

小三のときリトルリーグの試験を受けた。五十メートル走、遠投、キャッチボールで僕は落ちた。からだが大きい奴が受かってた。僕は遠投は自信があった。バッティングとかあったら受かってたと思った。悔しかったが。小四の時お母さんが町会のソフトボールでやんないかというんで、練習に参加した。春、夏、秋、僕らの町会の集まりで大会があって、夏に優勝すると市の大会に出れることになってた。夏の大会を目指してる練習をしてるとこで僕も参加した。二十人がユニホームをもらえるのだった。結論から言えば十一番のユニホームをもらった。僕の四年のころはあまり強いチームではなかったが五年になって強くなった。春夏秋3大会完全勝利した。夏市の大会にでた。一回戦はコールドで勝った。二回戦はいい試合したけど、残念ながら負けた。

僕が六年のときは夏は勝てなかった。小学校のときは楽しかった。
中学では野球部に入らなかった。理由は色々あるが、言っても仕方がない。
野球は好きだ。今でも好きだ。
今年はどうなるかわかんない。僕は岡本のホーラン王になるところが見たい。

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