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髪をチョキチョキ

息子の髪は私が切っている。できることならプロにお任せしたいが息子が嫌がるので否応なしに私が選任された。素人仕事だから仕上がりが多少ガタつくこともあるが一年以上切り続けているとそれなりの腕前になった。

私の息子は耳元でチョキチョキされるのが苦手だ。耳掻きも苦手。少しでも気配を感じると首をブンブン振って抵抗する。しまいには怖いと言って泣き出してしまう。物心つかない頃は問題無かったが五歳くらいからその抵抗は顕著になった。

ある日、床屋に息子を連れて行ったが、カットの最中あまりに首を振るので危うく目にハサミが刺さりそうになった。美容師さんもこれには堪りかねてついには「これ以上は危険なので続けられません」と降参し、我々親子は店をあとにしなければならなかった。中途半端に散髪された髪が痛々しい。

耳元でチョキチョキされるのは怖いんだね。

しかし、髪の毛ボサボサのままは可哀そうだから、散髪用のハサミを買った。通販で買ったそのハサミはセット品で安かったが、斬れ味はそれなりに良かった。いい買い物だと思ったが、唯一残念だったのは私の指が太く、ハサミの持ち手の輪っかに指が入りきらないことだった。おかげで第二関節まで入らないハサミを器用に操らなければならなくなった。

その日から家の風呂場が息子の床屋となり、私は息子専属の美容師となった。面倒なことになったが、キャリア0日で指名が入るとはこの上もない幸運だと思い込んでやり過ごすことにした。

初めは座らせることからはじめた。しばらく大人しく座ってはくれるが耳元にハサミが来ると途端に駄目だった。襟足付近もなかなか触らせてくれなかった。できることといえば髪を指で引っ張り上げて、顔から離れた位置で毛先を切ることだけだった。それ以外彼は受け付けなかった。どれだけ優しく接しても無駄だった。恐怖で泣き震える息子の心が開かれるのを待つことが私の仕事だった。そんなことだから時間はかかる。頼りになるのは根気だけだったから終わる頃には二人ともクタクタになった。

髪というのは不思議なことに切ってもしばらくすると伸びてくる。2ヶ月も経てばモサモサしてくるので、同様の苦労を何度も続けることになった。

ただ、時間というのは緩やかながら流れており、彼にも変化が訪れた。数回繰り返す内にまずは、前髪を切らせてくれるようになった。大きな変化だ。眉の上辺りでカットされた髪が目の前に散っても大丈夫になった。次に襟足を切る時に下を向いてくれるようになった。ジッとしてられる時間の長さに反比例するように散髪の時間は短くなっていった。依然として耳元だけは苦手だったがそれでも首をブンブン振り回さなくなったから、作業は格段に楽になった。息子の小さな変化を嬉しく思った。

いつしか気付くと 私はこの時間を愛するようになっていた。

先日も息子の髪をカットした。散髪後そのまま風呂に入った息子がパジャマ姿でリビングを駆け回ると、台所で夕食の支度をしていた妻がその仕上がりに「あれ?いつもよりもスッキリしてる。」と驚いた。

その日の小さな変化は初めてモミアゲを切らせてもらえたことだった。息子はもうあの頃のように泣かなくなっていた。

ここのコメントを目にしてくれてるってことは最後まで読んでくれたってことですよね、きっと。 とっても嬉しいし ありがたいことだなー