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昨日までの自分を愛するためのnoteの続け方

毎日ではないにしても一年以上何かを続けていると漠然と「いま、見える景色が変わったな」と感じることがある。このnoteというサービスも例外ではない。

見る視点や視座が変わることももちろんだが、何よりも自分のnoteの周りに人の気配が息づく様になること、これがnoteの大きな力になりうる。

今から私が書くこと。

これは別にコンテストに受賞する為の書き方だとかnote運営側からオススメ入りする為の書き方だとか、そういったテクニカルな話ではなく、私がnoteを書き続けるにあたって大切にしてきたものを書き遺すことと言ったほうが近いかもしれない。

書いて発信するということは自身を一旦棚卸しすることに他ならない。時には自己嫌悪に陥ることもあるだろう。でもどうせやるからには幸せになってほしいと思う。昨日までの自分がどうも赦せない人は明日に希望を見出だせないこともあるだろう。それではあまりにも可哀想だ。

もしかしての話だけど、私が今から書くことに対してあなたが深く感動したならば、あなたは明日になって少し金銭的には貧乏になっているかもしれない。
なぜならnoteのサポート機能を使って、100円を私にサポートするかもしれないからだ。

金銭的なサポートは正直うれしい。

でもちょっと待ってほしい。その100円は今しばらくあなたの手の内に握り締めていてほしいんだ。そしてできればその100円はあなたの目の前にいる人に向けて使ってほしいと願っている。
だからなるべく感動させないように冗談交じりでこのnoteを書き進めてゆきたいと思う。

100円は時として100のスキよりも重くあなたの心を突き動かすこともあれば、自動販売機の130円の缶ジュースよりも軽いこともある不思議なお金のボリュームだ。
使いみちはよくよく考えなければならない。

ちなみに昨日のこと、6歳の娘がお手伝いで貯めたジャラジャラの100円玉を私に見せてくれた。そのお金でUSJ(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)に行くのだと言う。あんまりにもキラキラした瞳で訴えかけるものだから思わず許可を与えてしまった。おかげさまで私がUFJ銀行の口座からお金をおろしに行く羽目になってしまった。見せ金でこんなに効果的な100円玉の使い方をみたのは初めてであった。見習わなければならない。

これはこどもだけの話に限らない。
100円一つを取ってみても考えるべきことは無限に広がっている。

◇◇◇

さて、noteを続けてゆく為に一番大切なこと。

それは誰よりもnoteを愛するということでは決してないということだ。それよりも自分の目の前にある確かな存在のものを愛することのほうが大切だということをまずは理解しなければならない。

「noteがメチャクチャ好き!」といくら叫んだところであなたの人生は1mmぐらいしか好転はしない。せいぜい同じnote好きのアカウントが『そうだそうだ。よく言った』と一回スキマークを押すぐらいだろう。気持ちはわかるがそうではないのだ。

愛を大声で叫ぶのは一度でいい。

読者は別にあなたの声量を読みたいわけではない。どちらかといえば、あなたが目の前にある物事に対してどういったアクションを起こしたのか、もしくは起こさなかったのか、あるいは起こせなかったのかを読んでいるだけなのだ。そこをはき違えてはいけない。文章の上手さも実は二の次である。

あなたが愛を持って物事に接していれば、それは行動の順序として如実に現れるはずだ。

一つエピソードがある。

20年も昔のはなしだが、大学の後輩が私に質問してきたことがある。
相談内容はどうやらカラオケで格好良く歌って女に手っ取り早くモテたいということで、そしてどうやったら人の心を打つような歌が歌えるようになりますかということを訊いてきたのだった。

まず、その邪な性根を叩き直さないと一生モテないことは確かだったが、取り急ぎ私の正直な気持ちだけは伝えておいた。「まずは女にフラれて来い」と。
話はそこからだ。

そもそも何が楽しくて他人のカラオケの練習にわざわざ付き合わないといけないのか考えてほしい。
これがたとえば「女にフラれるたびに米津玄師の『Lemon』を歌ってたら、あんなに下手くそだったカラオケが上手くなってしまいました。上手すぎて恥ずかしくなってきたのでいっそのことずっと聴いていてください」というのであれば喜んでカラオケ代くらい奢ったであろうし、鶏の空揚げとポテトフライも追加でオーダーしたと思う。なんだったら二時間くらい『Lemon』一曲リピートであっても構わない。

なんにせよカッコよさをテクニックでカバーしようとするのは順序が違う。

もう一度言うが人が本当にそれを愛しているかどうかは行動の順序として現れる。

とまあ笑い話でまとめているが、これと同じ様なことをなぜだかnoteだとやらかす人が結構いらっしゃるのは確かだ。

『カラオケで歌のテクをみがいて女にモテたい』と『発信力を高めてフォロワーを増やしたい』はニアリーイコールなのである。

◇◇◇

そういったことが見え始めてくるとようやく出発点に人は立つことができる。

何も打算的なことが全て悪いってわけじゃない。始まりは打算的でもいいんだ。ただいつか自分の足でしっかりとした出発点に立つこと。これが重要なんだ。

すると次に自分がすべきことが見えてくる。

まずは自分の生活圏内で目の前に居る人を大切に扱おう。そうは言っても現実の人間関係は複雑だし、思ったよりも難しい。逃げたくなる事もあるだろう。でも目の前の持ち場を離れ、身の回りの人を攻撃して逃げ出し、自分の居場所をネットに作ろうとする方法は決して上手くはいかない。

そういう人はいずれネット上でも攻撃を始めだす。
そうなればどこにも居場所がなくなる。

目の前の人を愛そう。
そうすればネット上でも新しい友達が生まれるはずだ。その時はじめてあなたは昨日までの自分を赦し愛することができるだろう。

その後には素直な言葉が生まれる。すると本当の意味でnoteが楽しくなってくる。

ちなみにこの画像は土曜日に家族で散歩した時に撮影したものだ。後方にはコスモスで有名なお寺がある。でも私が心を動かされたのはこちらの景色だった。こんなに空が広く感じられる場所が近場にあることを知らなかったからだ。

秋の空に浮かぶモクモクとした雲。
その空の下で道行く人と会話を楽しんだ。

これだけでも書く意味が見えてくる。

#note

ここのコメントを目にしてくれてるってことは最後まで読んでくれたってことですよね、きっと。 とっても嬉しいし ありがたいことだなー