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食べるために生きるな、生きるために食べよ。

どうも!日本塩分管理支援協会、チーフクリエイターのこたきまりこです。ソルトコントロールという方法を使って食事をもっと楽しむための活動をしております!

タイトルはもうみなさんご存知の通り、ソクラテスの有名な言葉です。「食べるために生きるな、生きるために食べよ。」言葉の通りの意味なのですが、みなさんもこのように思ったことはありますでしょうか?

この言葉は「生き方」を意味しているように感じ取れますね。「食を一番の楽しみにするのではなく、食は生きるためのヨロコビと位置づけるんだよ」という解釈が近いのかなぁと思われます。

しかしわたしにとってはちょっと違う、どストレートな解釈があてはまったので、3つの体験を交えてご紹介してみたいと思います!

生きる!と思い、食べる

ソルトコントロールの活動を共にしている公私ともにパートナーの根本さんのお父さんは(表現がややこしくてすみません)、彼が小さな頃から腎臓病を患っていました。

いつぞや彼の実家へお邪魔したときに驚いたことがあります。聞いてはいたのですが、キッチンの壁に【あらゆる素材のリン・カリウム・ナトリウム量】が細かく書かれ、貼ってあるのです。

「生きるために、頭を使ってスマートに且つ丁寧に食べてらしたんだなぁ…」と、壁の紙を見つめて深呼吸しました。生きるために食は欠かせません。必要性が求められる中での食の行動ですが、欲望に負けずこのように、まさに「生きるために食べる」を徹底されてきたんだなぁと思いました。欲求を見事にコントロールしていて、心底「すごい!」と感動しました。

きっと「食べるを心底楽しむ」ときと「日常の食事」をバランス良く取り入れてらしたんだなぁと思います。決して食がストレスや不安にならないための見事な工夫。

生きるために食べる

2つ目のストーリーは、根本さんが白血病になって数週間が経った頃の話です。

「数カ月後には骨髄移植だ」と未来を見据え、行動の変化を始める際にも「生きるために食べる」を痛感しました。

骨髄移植は内科の治療で一番辛いとされる治療です。その治療はまさに過酷そのもので考えるだけで(思い出すだけでも)目頭が熱くなるのですが(今はそれはさておき)、過酷な戦いの中で【体重が減る】ということが1つの問題でした。

食べられないときは高栄養の点滴(すごいオイリーな色をしてて、見るからに高栄養!という点滴があるのです)が送り込まれるとはいえ、食べられない日が続くので激ヤセしてしまう方が多いというのです。体重が落ちると回復に時間がかかると知り、根本さんは入院期間中に体重を増やす行動を取りました。

少しでも回復を早めるために、生きるために、【たくさん食べる】ということに注力をしました。(食べるだけではなく、無菌室内にウォーキングマシンを導入して日々歩きまくり体力を温存するというのも一緒にはじめました。まるでファイターです。笑)

生きるために、たべる。

そして最後は彼の退院後の話です。

自宅での食事が大きく変わりました。なぜなら、食べ物は【無菌食】でなければならなかったからです。

病院で出してもらう食事と同じように、器も滅菌、包丁やまな板も毎回滅菌、食材すべてに火を通し、作りたてで、食べてはいけないものは絶対に入っていてはいけなくて、、、という慣れない【無菌食】を、約1年半作り続け食べ続けました。

ときには生野菜やチーズも食べたい、生ハムやお刺身お寿司も食べたい、でも「生きるために食べるものをちゃんと選んで食べないと、明日を健康に生きられないかもしれないから今は必要な方を選ぶんだ」と自分たちに言い聞かせ、しかしそれなりに楽しくおいしく工夫をしながら、健康に生きるために食べていました。

食べるために生きるのもいいけど、生きるために食べることもまた良し。

食は人生におけるもっとも大きな楽しみの一つですが、あくまでも人生の楽しみとし、たまにはストレス発散で暴飲暴食をすることがあっても基本的には【心豊かに生きるための食を楽しむ】、そんなテンションで食べていきたいなぁと思うのでした。

ここまで書いてみて、ソルトコントロールの考え方も全く同じだなぁ…と改めて感じました。
永く健康に生きるために、【出来ることがある内に準備をすすめておく】のがスマートだと思います。(ちゃんと科学的根拠に則って、というのが大事ですね。)

命ってなんとも大事だな、体や健康って宝物だなと、文字通り痛いほど痛感しているわたし達がお届けしたいソルトコントロールもまた「生きるために食べる」方法の1つだなぁと思っています。

では、また!

サポート、とても励みになります!ありがとうございます!