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#自己紹介 アフリカ系男子のナイケルと申します。

アフリカ歴7年、株式会社Africa NetworkのCOO、NPO法人AYINAの副代表、Afric-Drone副社長、アフリカ系男子のナイケルこと、内藤獅友(ないとうしゆう)と申します。

こちらは3分で読んでいただける私のざっくり自己紹介です。

今の肩書きからだんだん赤ちゃんに遡っていく、ベンジャミンバトンスタイルでお届けいたします。


現在『アフリカ全土』

歳は34歳。「アフリカと日本を繋ぐ」「Africa by Africans(アフリカ人によるアフリカ発展)」をモットーにベナン人のゾマホンと一緒に会社とNPOをやっています。

やってる事業は「やり過ぎだろ!」と突っ込まれるくらいやってます。

中古タイヤ貿易、中古車販売、古着貿易、アフリカホームステイ事業、ドローン事業、アフリカ進出サポート事業、ヨーグルト事業、在日アフリカン支援事業などなど。

ベナン共和国が拠点ですが、セネガル、コートジボワール、カメルーン、ガーナ、ニジェール、ルワンダでも仕事をしています。

2017年に「世界ナゼそこに?日本人~知られざる波瀾万丈伝~」に出演しました。


2015年『カナダ』

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カナダでワーキングホリデーをしておりました。今後ずっとアフリカで活動をするために最低限の英語を習得するためです。

TOEIC280点だった所から、TOEFL91点、ネイティブと会話できるレベルにまでとなりました。

英語がマジで苦手な人には参考になるかもしれません

2015年7月25日放送の「SONGS 第348回 さだまさし~「現在」を生きる人へ~」に出演しました。


2013年『ルワンダ』

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青年海外協力隊として、東アフリカのルワンダで2年間活動をしておりました。おみやげ屋さんの支援をメインに、当時はほとんどなかった観光マップなどを作ったり、ホームページ制作、体験型ツアーを導入など、ビジネスコンサルに近いことをやっていました。

そこで感じたのが、「アフリカと日本を繋ぐ」必要性。この頃からSNSやブログでアフリカの発信をしておりましたが、アフリカの偏見が非常に強い日本にリアルなアフリカを伝える重要性を覚えます。

同時に、最後のフロンティアと呼ばれるアフリカにヒトモノカネが大量に押し寄せ、経済発展する一方で、現地の人たちは全く豊かになっていない状況を目の当たりにして「Africa by Africans(アフリカ人によるアフリカ発展)」を実現させることを誓いました。

僕の2年間が500円で読めるそうです

2008年『会社員時代』

東証一部企業の株式会社ネクシィーズと株式会社ブランジスタにて、計5年働きました。営業マンとして好成績を出し続け、最短で係長に昇格。しかし、自分が人生を賭けてやりたいことではないことに気がつきます。

本気でやりたいことを見つけるために30人弱のいろんな職業の方とお話をさせていただいた結果、アフリカに出会います。

アフリカの持つワクワクと、多くの国際問題をなんとかしないといけないという、想いが湧き起こり、会社を辞職しました。


〜2008年 バンドマン&ホスト時代、親父の死

会社員時代の前は大学生をやっていました。学校にはほとんど行かずにバンドやったりホストやったりとダメ学生でした。おかげさまで夜遊びは楽しいこともヤバイこともこの時期に体験しました。

高校時代はラグビー部。間違えて特進クラスという月水金9時限まであるクラスに入っちゃって本当に辛かったけど、ラグビー部があったからなんとか中退しないで頑張れました。顔面タックルが得意です。

中学校の時に父親を癌で亡くしました。死ぬ間際に「自分の夢に挑戦しなかったこと」に後悔をしている姿をみて「自分のやりたいことを思いっきりやる」という人生観がこの時に深く刻まれました。



以上が私、ナイケルの簡単な自己紹介です。

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人生賭けてアフリカで活動中ですが、ご飯を食べないと死んでしまいますので、いただいたサポートは僕の燃料として大切に使わせていただきます。