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「私より先に死なないで」と送り出してくれた人へ。

まずは本日、3.11ですので、東日本大震災で被害にあわれた方へ、改めて心よりお悔やみ申し上げます。

死を深く考える日でもありますから、この話をしようと思います。



僕がアフリカにいくと決めたのは、2012年のことです。

誰にもナイショで青年海外協力隊を受けて、奇跡的に合格。

もちろん親にも言ってませんでした。





「ねえ、おれ新しいことやろうと思ってんだよね。」

久しぶりに実家に戻ってきたぼくは、母親に向けてこういった。


「へえ。いったいどんなことをするの?」

夜ご飯の仕度をしながら母は言った。



「アフリカにいこうと思う。」


「はぁ?」


「いこうと思うというか、もう行くんだ。青年海外協力隊ってやつに合格して、来年の3月にはルワンダってところに行く。」


「ちょっと待ちなさい。なにも聞いてないよ。」


「うん、言ったら反対されるだろうって思ってたからね。」


自分の都合で考えると、この作戦は成功だと思う。

でも、親からすると先に相談してほしいと思うのが当たり前だろう。



「行くとしても、その前に親戚にちゃんと報告しないといけないじゃない。きっとみんな反対するよ。」


「反対されてもいいから行くよ。おれの人生だからね。」


「・・・」



ぺこぱさんの言葉を借りて、時を戻そう。





僕が中学2年生のときに、親父が死んだ。

ガンだった。まだ45歳だった。


親父の死について、一番よく覚えていることはなにか。

それは、亡くなる少し前、自宅で誕生日会を開いたときに、親父が泣きながら「パイロットになる夢に挑戦しなかった後悔の念」を語っていたことだ。


葬儀が終わったころ、中学生の僕は、ようやく父が死んだことを自覚した。

「ああ、もう親父に親孝行できないのか。」

そう思うと、途端に悲しさが込み上げてきた。


1週間くらいその辛さと戦っていたのだが、ある結論にたどり着いた。


「親父は挑戦しなかったことに後悔してたから、おれは親父の分もやりたいことに全部挑戦する人生にする。」

それから僕は、親父と同じ45歳を自分の寿命と決めつけ、そこに向かって生きることを決めたのだ。



また、時を戻そう。アフリカ行きを母に報告した時間へ。





そんなことがあったから、僕は絶対に「アフリカに行かない後悔」はしたくないと思っていた。


(最悪、母にも大反対されて、親戚からも勘当されちゃうかもしれない。それでもいい。)


そのくらいの想いだった。



「わかった。いってきなさい。」


「え?」


自分で宣言しておきながら、予想外の反応に驚く。



「その代わり約束しなさい。私より先に死なないってこと。」


これを聞いたとき、僕はなんて自分が身勝手な行動をしてるんだと反省した。


母親は、自分の愛した人を亡くし、今度は子どもが死の可能性のある決断をしようとしてる、そう感じていたのだ。


もちろん、アフリカはちゃんと対策をして気をつければ安全に過ごすことができる。だが、母親はアフリカに詳しくないから危険なイメージが強くあったはずだ。


そんな気持ちなのに、僕を送り出す覚悟をその場で決めてくれたのである。


そして「私より先に死なないこと」は母親の本心だと思う。



「わかった。絶対死なないと誓って行ってくる。」





これが僕がアフリカに行くときのエピソードである。


母親があの場で応援してくれなかったら、もっと後ろめたい気持ちで行っていただろうし、あの言葉のおかげで死なない覚悟をもって生きられている。


今日は、そんな母親がお腹を痛めながら僕を産んでくれた日でもある。


いつの日か、自分の誕生日というより、母に感謝する日に変わっていた。



お母さん。僕を産んでくれて、34年が経ちました。


あなたのおかげで、僕は今日も父の分も思いっきり生きています。


産んでくれてありがとう。そしておめでとう。




追記です。(3/11 6:00pm)


最後までお読みくださりありがとうございます。

今年の大きな挑戦のひとつとして、日本に住んでいるアフリカンの方への支援プロジェクトをやっていきます。

それを立ち上げて軌道に乗せるまでに皆さんのお力を貸していただきたく思っています。

3分でお読みいただけるかと思いますので、もしご覧いただき共感いただけましたらマンスリーサポーターか拡散にご協力いただけますと嬉しいです!

よろしくお願い致します。

人生賭けてアフリカで活動中ですが、ご飯を食べないと死んでしまいますので、いただいたサポートは僕の燃料として大切に使わせていただきます。