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性別らしさと好みを絡めて考えることをやめるために

服を選ぶときに性別という概念をなくして、誰でも当たり前に平等に服をはじめとする全てのことを選ぶことができるようになってほしいです。

わたしは物心ついた頃から花も、料理も、ピンク色も、いわゆる「女の子らしい」ものが好きでしたが、それを他者から「女の子らしい」と言われると腹が立ちました。
ただの性別に対しての「らしさ」とは一体なんなのでしょうか。それが決して「わたしらしさ」ではないことは明らかです。

小さい頃は誰かが勝手に決めた性別らしさを押し付けられることが多く、それに対して抵抗する術を持っていませんでした。それが腹立たしく、また悲しくもありました。好きなものを好きと言えず、嫌いなものを嫌いと言えませんでした。

ピンク色を選択すると「女の子らしい」と言われ、それと同時に「男ウケ」や「ぶりっ子」と言った表現が付いて回りました。誰かに媚びようという気持ちなど無くても、周囲が作り上げることは簡単です。

少年漫画を好んで読むと「女の子らしくない」「男の子っぽい」と言われ、その言葉の裏に隠れた「女の子らしい」ものを選ぶべきという空気を感じました。

部屋の掃除が苦手で、少し散らかった方が落ちつくと言うと、「女の子なのだから」と言われます。自分の生きていくための快適な空間のつくり方は人それぞれであるのに。

20歳を過ぎた私はこれまで他者から如何に性別というカテゴリで好みを決めつけられてきたかに気づきました。やっと自分の好みや感情を自分の言葉で伝えることが出来るようになりました。好きなものは好きで、嫌いなものは嫌いです。そしてわたしがそれに気づいてしまったので、周りも私の気持ちを認めざるを得なくなったとも感じています。

しかしもし気づかなければ?思いつく「きっと」が多過ぎて考えただけで思考が止まります。

少し大袈裟に言うと、どの国籍の、どの宗教の、どの年齢の、どの性別の、誰が、何を選んだって良いのです。日本国籍の、無宗教の、21歳の、女のわたしが好きなものが何なんだろう。わたしが選んだものが「わたしらしさ」であってほしいな。あまりにも多すぎるカテゴリにわざわざ分ける必要性はありません。

もちろん服に対しても同じです。
例えば、繊細な表現や柔らかなフォルムを女性らしいと今更言う必要はありません。それ自体が選べない理由をつくっていて、自由を奪っているように感じます。

20世紀、2018年、今の時代は自分の好みだけで選べてほしい。そうであるべきであってほしい。カテゴリに左右されず、好みだけで服を始めとするすべてのものを選べる時代になってほしいです。

どんなものを身に付けても、何を趣味としても、誰とどこに出掛けても、全てが自分の選択です。また、何かを選択しなかったとき、それを選択しなかったことをですらも自ら選択しています。それがわたしであり、「わたしらしさ」です。

松岡夏海

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Natsumi Matsuoka / 服を作っています。自分が大切にしていること、感情のメモを書いてます。 https://www.instagram.com/natsumi_icm/