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『コロナは光冠?コロナはウィルス?コロナに試される』

今、メキシコに来ている

コロナビールの国、メキシコです
コロナ事情が始まって、4度目の渡航です

夏至に向けて…またメキシコ行きたいという
自分の心の声に正直に 自分の快適に正直に

現地でコロナビールを飲む為に!
(嘘です。わたしはお酒を飲みません(笑)

わたしは、超現実と非現実的な世界は同じだとする人間で
リアルとスピリチャルは同じ世界に存在すると思ってる

2021年の下半期に向かう 節目の夏至

陽の氣が最大となる夏至の時期に
陽の氣の満ちるメキシコで 夏至を過ごしたい

地球で生きてる
って事実の「今」の過ごし方が、わたしの一番の現実

命に執着し過ぎて、大切な物事の捉え方を履き違えた
人間社会というシステムの生み出した「コロナ禍」

大切な事の順番を履き違えたが故に
人間として生きる上での
本当に大切な事が、無惨にされている

わたしには、そう感じてならない

そして、これからの未来に向けて
着実に「今」を未来の現実に繋げたいから 動く

陽のエネルギーって宇宙そのものだと感じてる
そして、そのパワーを1番に信じて動いてる

すべては大きな大きな、目には見えない世界の中に存在する
それが、わたしの信じる世界の源点

目には見えない力と共に、現実の世界で動く
↓は今年の春分の時期のチチェンイツァ
世界三大パワースポットで、アセンションプレイスと言われる場所



世界の資本主義社会の影響から
全世界が大騒動で大変動のコロナ渦中の今

表層上は、動きが止めらた様に
「動くな」と言わんばかりの社会のガイダンス

社会のガイダンス通りに動かされてる 社会人

そのガイダンス

どう受け止めているんだろう?

わたしたちって、地球に生きて 地球の上で社会を築く人間

「生きる」って言う意味の捉え方の順番を
社会という小さな世界から始めてしまっているんではないか?

大半以上の一般社会人は 動きを社会にコントロールされて
その流れと共に生きている そんな現状の「コロナ禍」の様に思う

社会には、その流れを作っている大元があることまで理解して
情報を処理出来ているのだろうか?

そして、事実の情報を自ら掴みに行き
理解した上で、自分の意思と判断で行動しているのだろうか?

もし、情報処理が的確に出来た上で
自らの意思と判断で、今を選択する行動で生きているのであれば

何ら疑問も抱かないし
異和感も感じないのだけど

わたしは疑問と異和感を感じずにはいられない

そもそも…
にたどり着く情報を辿り 調べて行くと

今起きている社会現象が、誰か人間の操作の元で起きている
としか思えて来ない

日本という国で、日本の法律の元で
日本社会に身を置くわたし達は、
多くの他国より実に恵まれている社会に居る

欧米諸国や他の先進国の人たちの様に
個の自立心や尊重意識が、もう少し確立していたら
きっと現状の様な動きには至っていない事だろう
と思う

だから、わたしは日本国民として
罪を犯しているワケでもなく

悪い事しているワケでもないので

自分の好きでしている仕事の「国外と交流する」事を続けている

ただ、

そんな私を、「社会」を重んじる人たちが
どう見て判断するのか?は別のもの

みんながしている行動をしない事が、悪いこと?

国は法的に規制をしてないのに

法律違反はしてないのに

マスク付けてない事や
平気で海外へ行く事が

みんなしてる事と一緒じゃない。

連帯感が取れない。

そんな受け止め方になる社会人たちも、きっと少なくないのかな?

これって、生きてる自分の世界が小さくて
不安が大きくて
情報という本来の情報を整理出来てなくて
誰より自分中心の人の
陥り易い思考

私は、自分の命を自分が責任持つ生き方が、1番大事だと思っている
地球で生きる人間として、地球や自然の流れを重んじて
生きてる時間を大切にして
人間として社会活動に繋げること

この順番で生きたい。
と思っている


仕事や生活も、大切だと思っている

でも、自分の時間の活用の仕方が
仕事や生活という在り方になるだけだと思う

わたしは、誰かや何かに自分の命を任せられるほど、
他者や社会を信用してないのかもしれない

自分の命のがあって
生きることが出来ているから

生きる上で1番大事な時間を、他者任せの時間で生きるなんて出来ない

言葉に表現すると
なんとも複雑な思いになるけど
それが、わたしの考え方だし生き方なんだよね



他者を信頼し、他者に委ねて何が起きても受け入れる
そんな覚悟が出来ているなら、それはそれで命の生かし方だと思うから
そう出来る人は、それで良いと思う

わたしは看護師時代に
余りにも命の選択を医者に委ね過ぎる人たちをみて
疑問を抱き続けてきた

特に介護の看護師時代は
人生の終末期の残された時間に関わる立場で
医療と命の狭間で、疑問を抱くことが多かった

医者も1人の人間で、神ではないのに
医者が言うなら、他の選択があっても鵜呑みにしてしまう
疑うこともなく…

疑うことをしない
素晴らしい心だと思う

信じる
素晴らしい心だと思う

が、反面で複雑な境地の思いが湧き上がる

本当はどうしたいの?

あなたの命の残された時間
どうしたいの?

医者の指示の元
家族の思いの元

彼らの思いや考えを優先に
残された時間を過ごして行く

仕方ない…

仕方ないのか?

命だよ あなたの生きる時間だよ

仕方ない。で、良いのか?

高齢者だからとか、関係なく
命は命でしょ

人は必ず死ぬんだから

遅かれ早かれ、絶対いつか死ぬんだから

今の命をどう活かすかは、誰もが平等に持つ権限だと思う

その命を大切に活かす為のサポートをするのが
本来の医療と介護だと思う

命を守るやコントロールする事ではない。
わたしはそう思う

大切なのは命を大切に生かす サポートをすること

そして、現場に関わる1人1人の医療従事者たちの多くは
みんな、そんな思いで仕事をしていると思う

しかし
組織という在り方になると
その在り方は、カタチを変えてしまう
決まりやルールが命より重んじられる在り方になる

わたしは、そんな組織の一部である事に異和感を感じ
看護職を離れた

わたしは、わたしの想いで目の前の命に向きあえば良い。
そう言い聞かせて社会のシステムに属していたが…無理だった

決まりやルールは
社会システムを稼働するには重要なこと

命を大事にするが故に
命に携わる仕事が故に
いつのまにか
命より、決まりやルールが優先となる

そうなのか?
決まりやルールの中で、選択して生きることが

本当に命を大事にしてる事になるのか?

決まりやルールが命より大事な事なのか?

わたしは、わたしの思う「大事や大切」とは
何かがズレた「社会の大切」な在り方に、同調出来なくなった

そして、そこに気付いてしまっていながら
「お金」を稼ぐという選択を重んじて
そのシステムの中で、自分の命の時間を費やすことが出来なくなった

だから、社会システムのレールの上から
ドロップアウトした

「わたしは、わたしの大切に大事に思う生き方で
わたしの命の時間を活用したい」

この思いから
今の生き方の方向へ 時間を使い始めた


どんな仕事をするとか
どんな職業に就くとか

そんな事は2の次で…

自分の大切と大事に思う事を1番に
目の前のやりたい事と出来ることの「今」に
丁寧に向き合う生き方を選択し続けて来た

自分に嘘がつけないから

自分の感覚と思いに正直に
行動をし続けて来た

自分に正直過ぎるが故に
時に他者から「自分勝手」と嫌われながら

何してるのか分からないとか
言われながら

自分の大切な思いと、自分が思う大事な事を貫いてきた

そしたらね
そんな生き方と思いが
今、共に活動する友たちに届き始めた

わたしの生き方が、在り方が「勇気」になると言ってくれる
そんな人たちが増えてきた

わたしの心の奥の小さな思いは、遠い昔から変わらない

思い返せば幼少期から、変わらない

目の前の命を生かしたい
その為に出来ることをしたい

幼い頃から動物に囲まれて 彼らに癒されて
沢山の命を目の前で見送って来て
それが悲しくて 悲しくて…心が痛くて

でも、命の終わりはどうにもしようがない事だって受け入れてから

目の前の事に 自分のしたい事で最善で向き合う

それがわたしの出来る事

わたしのしたい事で出来る現実の事なんて
たかだか、半径3m以内の事くらい



目の前の時間を丁寧に生きる

衣食住を、先ずは丁寧に生きる
世の中には、表層をキレイに繕って
蓋を開けてみたら、衣食住はごちゃごちゃな人たちを
沢山見てきて
言ってることと、現実が違い過ぎる側面を見て

嘘付きになりたくない

自分の半径3m以内の環境を丁寧に
出来ることをして過ごして来たら
仲間が出来た
友が増えた

今、わたしはメキシコに居る
メキシコにも、思いを共有する仲間が出来た

日本から遠く離れた異国なのに
わたしの出来る半径3m以内に入ってきた

わたしは、わたしのしたい事を
いつも半径3m以内でし続けて来たら
いつのまにか、したい事が出来る世界が広がった

世の中は、コロナ禍と言われる実情だけど

わたしは今の時間を生きて、活かして
未来に「今」を繋げる為に動き続けてる
わたしの生きてる時間に
誰かの都合の為の「不用と不急」に当てはまる時間なんてない
わたしの命の時間だから 自分が活用したい様に活用する

コレって、基本はみんな同じじゃないのかな?





小さなわたし1人の出来ることなんて
たかが知れてるけど
小さなわたしの「したい」思いが 大きな何かが出来る事になりそう

しかも、未来に繋がる社会に向けて
自分活用が出来る仕組みを創る

今年、わたしと友たちでNPO法人を創る
そして、その友たちとNGO の活動に繋げる
それが、今のわたしが見る未来

生きてる「今」を大切にするって
必ず来る未来の「今」を創ることになる

わたしは、やる。と言ったら「やる」

自分の事だから、やれる

どんなに他者を思い、他者の行動にやる気を求めても
他者には他者の思いがある
他者の思いや行動は、他者が決めること

自分のことは 自分で如何に様にでも出来るから

1人でやる

人は、本来は孤独なモノだと思う

どんなに他者を愛し、愛されても
1人で死ぬしかないし

だから 生きてるうちは 誰かと共に居たくて
誰かと共に居ることに、安心を求めるのだと思う

孤独な生き物だから 孤独になりたくないのかもしれない

事実を受け入れるって

感情のあるわたしたちにとって
とっても辛いこと
だから、人は事実から目を背けたがる

でも、事実にしか答えはない。とわたしは思う

事実を受け入れて 事実から答えを探す

事実を変えたいなら 今の事実をみて
そこから変えるしかない

行動するしかない

そうやって「今」が未来の「今」になる

事実の中で命を活用することが、生きること

どんな事実の世界で生きるかは、自分次第

わたしは事実というリアルな世界で生きることが好き

フェイクは嫌い
嘘は嫌い

リアルな事実の世界で、命という何より尊いものを大切に生きる

命という時間があって、リアルな事実を楽しめるのだから
順番を履き違えたくない



2021年 夏至…
メキシコという、わたしを更に「生きる魅惑」の世界に連れ込んだ国で
事実の今から 未来を創る

人は1人では生きれないから 「社会」というコミュニティに属する
自分がどんな社会で生きたいのか?
どんな事実のリアルの世界で、生きる時間を楽しみたいのか?

生きるには、社会との切り離しは出来ないから
今の御時世でお金を全く使わず生きれない

だからこそ、お金の活用はとっても重要だと思う

お金の分野について キチンと理解して生きること
コレって、とても重要なポイントだと思う
お金はエネルギーだよ
って、わたしは良く話すのだけど

多くの人たちは、その意味をキチンと理解してない様に思う
理解しているかの様でも
結局は「お金」ファーストになってる人が意外にも多いと
最近、思うことは多い

この辺のことは、また詳しく書こうかな…

すべては、自分の思いからの選択と行動で、生きる世界が変わる
お金の活用方法で生き方が変わるし
社会も変わる

だから、自分の思いをキチンと理解してないと
現実は思うようには行かないし

お金だって思う様には動かない
お金があったって 信頼出来る人たちがいないと
決して、満たされることはない

思いが現実化する。とは、そんなシンプルなこと
「生きる上で大事なこと」をキチンと理解し、行動する

だから、自分の本当に大事なことを知る必要があると思う

今の日本社会って
自分の大事な事の順番を 掛け違えて 
「大事だ」って思い込んで生きてる人が多い

でも、この世界大騒動のコロナ事情から
思い込みに気付いて来ている人も多くなってる様に感じる

気付いたけど、じゃ〜どうしたら良いの?
って人も、同時に増えてると思う

そんな人には…こう言いたい

「バカなんじゃない?
自分の事しか考えてないんじゃない?
自己中なんじゃない?

そんな声には…

はい。
そうなんです

わたしはバカで、自分の事しか分からないし
我が儘なんです」

こう、自分に言い切ってください

ただ、やり方を間違えると痛い人になるし
孤独は間違いなく付いてくるから、要注意です(笑)

でも、周囲の他人様の意見や、情報操作の情報よりも
自分の思いをファーストに、現実で行動する
先ずは、この意識選択からの行動は重要だと思う

人って不安や恐れから 1人で行動するのが苦手な生き物だから
それを利用して
その逆手を取ってくるのが
今の現状の、大きくなり過ぎた社会システム

今は、その大きな社会の中に属しながら 
自分の生きる時間を大切に生きる
同じ社会に居ながら 生き方や活かし方を変えられる

そんな 「大きなチャンス」の時だと思う

事実に気付いて、動いて、変化して…
自分の大事な事を 大切に生き始めている人たちを
わたしは見てるし、現実で関わり仕事としている

わたしは、そんな人が1人でも多くなることを願い
活動し続けてきたから

好きなことだけ選択して
自分の感覚に正直に 「今」を選択する生き方

何やってるのか分からない…と怪しまれながら
多くの人から認めて貰えない在り方で生きてきた

だって、肩書きがないからね

肩書きを重んじる人には
理解できないだろう在り方と行動で生きてきた

でもね
そんな生き方してたら

後から、肩書きが付いてきたよ

プロジェクトナワール 代表 になった
オーガナイザー、アテンダント、カウンセラー、コンサルタント
しまいには、今年はNPO法人の代表理事という肩書きまで付きそう

そんなもんなんじゃない?
後から付いて来る。って、そう言うことなんじゃないかな?

最初から、何かになろうとしなくて良くて

自分の一番大事なことを大切に生きてれば
それが社会で「何か」の役に立ち始めたら
そのお役柄の名前が付く

後から、色々とカタチになって付いて来たよ




大丈夫だよ

って、言える人でありたい。って
ずっと思ってきた
看護師時代から、もっと以前の子供の頃から
「大丈夫」って言葉は、わたしの安心な言葉だから

母や家族に「大丈夫」って言われるのって安心だった
「大丈夫だからやってみな」って言われるのって
わたしのやりたい事が出来る、安心だった

辛い時に「大丈夫だよ」って言ってくれた
誰かの言葉に救われた

だから、「大丈夫」って言えて、見守る人になりたい

人は本当にそれぞれだから

それぞれの状態に応じて「大丈夫」が届く様にサポートしたい

看護職を離れて6年
命を生かすお手伝い役は、全くカタチを変えた在り方で
命を活かし、生きる為の手伝い役になってきている

動くか?動かないか?は自分次第

絶賛、コロナバブル期とも言える現状の「今」です

社会を精通して社会を活用している人たちには
きっと、この意味が理解出来ると思う

すべては自分の捉え方と、活かし方で変化する

動いて、変化して、未来に繋げる

現状のコロナ禍のサポートを存分に活用する事
マスク着用の推奨くらい、推奨します(笑)

Be wise your mind ! 
Change your world better way 
Life is organic 


















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