見出し画像

天の岩戸 イイ・ヤシロ・チ⑱

天岩戸が日本各地に在ることを知ったのは、いつだろう?

わたくしの天の岩戸デビュー?は、日本神話の舞台と言われる、宮崎県に観光旅行で訪れた時。神話どころか神様についても全く興味も知識もなかった20代女子旅だった。友人の九州の温泉に行きたいという希望で、フェリー旅の宮崎行きを選んだ。

初めての宮崎旅は、かつて新婚旅行の人気スポットだったとかそんなガイドさんの説明を聞きながら、夏のビカリと眩い海と碧い空が南国な雰囲気の場所だなあ、と感じたのを憶えている。普段見慣れないフェニックスが立ち並んでいたせいか、気温が高めだったせいか。

定番ワードの神話の里と聞いて、神話?作り話だよね、とその頃流行ったシラケルという言葉の感覚に浸っていたように思う。(わたくしはシニカルでかなり生意気な娘だった)

もし、今当地に赴くなら、全く違った視点や感覚で臨むだろうな、と思うと、人間長生きしてみる意味はあるなあと実感できる。あの頃とはまったく違う見え方、感じ方を楽しめる自分に出会えたのだから。

https://www.travel.co.jp/guide/article/20880/

不遜かもしれないが、岩戸隠れとは、日本最古の引きこもりと言えるなあ、と思ったことがある。いやな物事を見聞きした後、文句を言うのでも戦うのではなく、穴の中に隠れてしまう。一番偉い神様がそうなさったというのは、なんだか複雑な心持ちである。

さらに穴の外の神々も相談の結果編み出したのは、説得でもなんでもない斬新な解決方法だ。それを決めたのは、知恵の神オモイカネとされている。これが智慧?とこれまた複雑。

https://kotobank.jp/word/%E6%80%9D%E5%85%BC%E7%A5%9E-1064088

①トラブルの原因を作ったスサノオには、被害者や最高神抜きで、周りで懲罰を決めて与えた?(少なくとも被害者の言い分も聞いて、当事者に納得いく処し方を探るのがよいと思うのだけれど)

②引きこもったトップを穴から引き出すために、騒がしく楽しげな音楽や踊り(ストリップショー)で盛り上がり、不思議に思わせて当人(女性)が出てくるのをいざなう。(無理があるなぁ)

③ちょこっと開いた扉を力づくで開けて、当人を引きずり出して、戻れないように穴を塞ぐ。(なんだか逃げ場失ったのは厳しそう)

概ね3点ほど気になる。こんな解決方法、もう問題はどこにあったとか、どう処理したかとか、これっぽっちもない。つまり、反省とか今後の改善点とかにもまったく触れない。これは所謂「うやむや」というヤツではないのか???これを繰り返すと、今の日本の姿に至るのかもしれない。良くも悪くも、である。

と、神話に対する素人の見当違いなイチャモンはこのくらいにしたいが、なんだか腑に落ちない感がどうしても拭えないのであった。

画像2

さて、ここから本題。天岩戸という名の神社は西日本での主だったものだけでも10か所ほどある。気が付くと、わたくしはこれまでそのうちの6か所を巡っていた。多くは清流に近く、人里からは離れているロケーションであった。立派な磐座が在って深い閑さを含む空気に包まれた場で、心身が再生される感覚をおぼえる処が多く、何度でも巡りたいと思うイヤシロチである。

そして、少なくともわたくしが思い出すに、宴会をできそうな場所はそのそばになかったなあ、と振り返る。どちらかというと、その前に立てば自然と神妙な心持になる、神聖で清らかな雰囲気が漂っている。わたくしには、天岩戸はその時、此方と彼方の境界を意味しているようにも感じるのだ。

丹波に見られる、クシイワマドの「窓」の漢字が当てられているところも、天岩戸と同義かもしれないと思えてくる。

そして、境界としての天岩戸のそばにはなぜだか、タチカラオの存在が見え隠れすることが多いように感じる。それは、他のイヤシロチ巡りの記憶も併せてのことである。

https://kotobank.jp/word/%E5%A4%A9%E6%89%8B%E5%8A%9B%E7%94%B7%E5%91%BD-427134

タチカラオは力の神、オモイカネを智慧の神としてペアとする視点もあるようだけれど、その組み合わせで並んでおられるところをお見受けしたことが、わたくしには無い。

タチカラオの神は、現在はお相撲さんの神様のようにも扱われているが、本来はどんな存在だったのだろう?別の本当の名前と姿があるようにも感じてしまう。

タは田、チカラは力、オは王。男である王の意味か?そうであるならば、戸隠の祭神であることも龍をシンボルとする王として、すんなりと通る。今はあちこちの神社の脇のほうに坐ますが、本来は中央に鎮座する王なのかもしれない、などと妄想する。

隠された男王とは誰だろう。岩戸の中に未だにおられるのかもれない。などと、気ぜわしい年の瀬を忘れて、愉しく夢想するひと時に浸った。もちろん、わたくしが真相にたどり着けるわけもなく、その謎の残影をかすかに感じるくらいが関の山であるのは、百も承知しながら。

そうしているうちに、もう一つ、まったく別の視点からの解釈も現れた。それは、天の岩戸の神話は、踊りと音楽つまり祭こそが人の仔にとって、古からの最上の愉しみであり、神への捧げものであったというメッセージを含んでいるというものだ。

それをきわめて純度高く芸術的に昇華した作品がある。坂東玉三郎と鼓童のコラボレーションが最高に素晴らしいアマテラス。現代に蘇った天の岩戸の祭である。わたくしは、この芸術を味わえる歓びに、無上の幸せを感じる。

https://youtu.be/EPqJBItaPfQ

天の岩戸には、いくつもの疑問や謎、メッセージが隠れている。思考と感性の連携があらゆる考察を生み出す自由が、ここには在る。是非ともそれぞれが惹かれる各地の天岩戸なるイヤシロチに赴き、御神気を体感しながら謎解きに挑まれてはいかがであろうか。参拝旅がさらに面白くなること請け合いである。

画像1

最後までお読みくださり、ありがとうございます。和風慶雲。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?