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【言い訳の材料としての鍼灸院】

博心堂鍼灸院の、いんちょです。

よく聞く話で、体にいいからあれやこれやを食べる、ということ。

そもそも具合が悪いなら、具合の悪くなったもとを正さないと、良くはならないんじゃないかと。

また、別に具合が悪くなくても、体にいいからという安心感を得られるというだけで、そんな外から得られた新情報に飛びついてみるって、そんなセンスはどうなのだろうと、ついつい思ってしまいます。


僕は仕事柄、自分の体をいつもフラットな状態にしておきたいので、無理や無駄をしないようにしています。

運動一つとってみても、克己的に毎日欠かさずトレーニングするとか、アクティブにあれやこれやとジムや道場に通うなんてこともしません。

自分の体に必要だなと思いついたら運動してみる。
そして、今の自分には運動が必要だと思えば、そんな運動習慣を持つようにして見る。

でも、必要以上には行わない。

というのも、なぜ運動しなきゃいけないか、という理由があって運動するわけで、別に好きでやっているわけではないということ。


わずかな時間でも体を動かすことで、体調や思考の状態が変わります。

たとえば、自分の体重を踵でしっかり受け止めると、骨を刺激することになり、思考やカラダの保護作用がアクティブになります。

たとえば、手足や体幹部の屈伸運動をすることにより、筋を刺激すれば程よく血流が促され、丈夫に深くなる呼吸が保てると、考えることや目先の作業への集中力と根気が強くなります。


カラダにいいから食べなきゃ、というよりは、必要なければ食べない、という選択肢もあったりして。


そんな頭でっかちに、いいか悪いか、必要か不要かで、いちいち自分のやることなんて考えていられないのよっ!
という患者さん。

たびたび博心堂鍼灸院に来られるたびに、あんな事やったからここの具合が悪くなった。
こんなことやったからあっちの具合がよくない、なんてことを言ってくださいます。

要するに、やっちまったから、なんとかしてくれっ!
という心づもりで、鍼施術を受けに来てくださる。

感情に素直で、自由に生きていていいなぁって、僕は率直に思います。
そんな生き方を、僕はディスるどころか、リスペクトさせていただきます。

で、鍼灸院って、そんなところなんだろうなぁって思っています。


僕が20年以上前に開業したての頃は、患者さんが自らの生活習慣を律する養生ということを、教え伝えるのが鍼灸師の仕事と思っていました。

でも、そんなこと、余計なお世話だと、開業後すぐに気が付きます。

もちろん、そんなカラダにかなった生活習慣を手に入れたい人に対しては、そんな情報提供をさせていただく準備はいつもしています。

でも、僕のもとに鍼施術を受けに来られる患者さんの多くは、程度の差こそあれ、「やっちまったから、あとは何とかしてくれっ!」というスタンスの方が多いかなぁ。


感情に素直に過ごしていて、やっぱり無理がかかっちゃったってこと、よくあることなのだろうと。

「やっちまった」言い訳として、鍼施術でカラダのご機嫌を取ってあげるって、それだけでなんだか健全だなぁって感じてしまいます。

つねに健康であらねばならないということに危機感を抱き続けながら、具合が悪くなった時にかかる鍼灸院へ行くなんてもってのほか、ってまるで自分のことを罰するように考えるよりは、「やっちまった」言い訳やカラダへのご褒美として鍼灸院へ来ていただいた方が、なんだか健全。


そんなわけで、カラダへの言い訳材料としての鍼灸院は、今日も患者さんの気楽に立ち寄られる場所になっているみたいです。

最後までお読みいただきありがとうございます。


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