見出し画像

左胸を失って、生きやすくなったと思う

私には左胸がない。5年前に乳がんの手術をして、全て切り取った。乳房再建はしなかったので、私の左胸があった部分には、今も横一文字に引かれた傷跡が残っている。

服を着ていれば分からないので、見た目は普通の人と同じだ。普通の母親で、普通の店員で、どこにでもいる普通の人。術後も以前と同じように過ごしているので、こちらから伝えた友人以外、誰も私が乳がんだとは気付かないだろう。

唯一、温泉に行った時だけは、コソコソと着替えて、チャチャッと洗って、ドボンと浸かる慌ただしさにはなったが、それでも子供達と一緒に入っていた時期を考えると、湯船にはゆっくり浸かることができている。


そんな普通の生活を送る中で、ひとつ大きく変わったことがあった。

それは、自分に甘くなったこと。

術後2年目までは、再発の恐怖から自分を甘やかしていた。身体に負担をかけないようにと、パートの出勤日数を減らしてもらったり、小学校のPTA役員の打診を、病名は伏せつつも「通院中なので」と断った。夫は「当然だよ」と言ってくれたが、私は周りに申し訳なくて、いつも「すみません」と謝っていた気がする。

それが3年目を過ぎた頃から、これでいいじゃんと開き直るようになった。

自分ができる時間だけ働けばいいし、PTAもまずやってくれそうな人に話が来るので、理由があって断ることに問題はないと割り切った。しかも私は乳がんで、今後いつ再発するかも分からない。もっと自分の時間を大切にしてもいいんじゃないかと横柄なことまで考えるようになった。


小さい時から、ずっと周りの目を気にして生きてきた私は、常に周りに気を配り、相手のことを考え、空気を読むことに必死だった。両親の機嫌を損ねないように、近所から笑われないように、人様に迷惑をかけないように、そして嫌われないように。

こうすれば喜んでもらえる、こうすれば役に立つ、こうすれば良い人と思われる。そうやっていつも外側から自分を観察し、上手くいかないと「こんな自分じゃ駄目だ」と落ち込み、上手くいっても「これじゃ足りない」と不安になった。

他人の上でのみ成り立っていた自分の存在価値は、必要とされることを求め続け、気付かぬうちにココロを疲弊させていた。


そんな私は左胸を失ったことで、自分を内側から見るようになった。最初は乳がんであることを言い訳に「これはできる、これは無理」と選別していたことが、次第に「これはしたい、これはしたくない」と選り好みをするようになった。

それは、他の人とは違う身体になったことで、周りに合わせなくてはいけないという概念がぐらつき、次第に無理に合わせる必要もないと気付いたからだと思う。

どうしたって私の左胸は戻らない。たとえ再建手術を受けたとしても、それは本来あったものではないし、そもそも戻る必要を感じていない。

少しぐらい人と違ったっていい。

そうやって自分で自分を認めることは、私のココロを軽くした。


もし、今、生きづらい人がいるなら、少しだけでいいから内側から自分を見て欲しい。最初は難しいかもしれないけど、その世界にいる自分を見るんじゃなくて、自分が見る世界を大切にして欲しいと思う。

そう気付くまでに、私は相当な時間がかかってしまった。でもその分、今では存分に自分を甘やかしている。好きな仕事をして、好きな本を読んで、このnoteで思ったことを好きに書いている。

そうやって自分を甘やかしながら、自分の人生をもう一度歩いているのかもしれないなと思う。今まで走ってきた、誰かがつけた道路の轍の上からはオサラバして、ゆっくり歩道を歩くのも悪くない。

私が左胸を失って得たものは、生きやすさだった。それはこれからも大切にしたい。



この記事が受賞したコンテスト

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?