ステージに立つ息子
「金曜日ワクチンだからね。忘れないでよ」
水曜日に長男に声を掛けると、驚いた顔で「あっ」と言った。
「どうした?」
「土曜にスタジオ予約しちゃった。大会の動画撮るのに」
高1の長男は軽音部でドラムを担当している。
軽音部にも大会があって、12月の本選に向けてライブ審査による予選が行われるのだが、その予選に応募する動画撮影を土曜日に行うという。
「いや、無理でしょ。ワクチン2回目やで」
1回目は何ともなかった長男だが、夫も私も2回目は発熱があり、次男に至っては1回目からダウンしていた。我が家の確率的には副反応が出る可能性が高いだろう。いくら体力に自信があっても、こればっかりはどうしようもない。
「日にち変更できんの?」
「月曜が締切なんだよね。日曜に変えれるか聞いてみる」
日曜日もヤバイんじゃないかと思いつつも、締切に間に合わないようでは元も子もない。なんでもっと早く準備しないのかと呆れるが、先週から今週にかけて長男の学年は3班に分かれて林間学舎に行っていて、メンバー全員が揃うのが週末しかなかったようだ。
「日曜は根性で行くしかないね」
「しまったなぁ、キャンセル料いくらかかるだろう?」
心配なのそっち!?とさらに呆れつつ、どうにか副反応が軽く済みますようにと願った。
*
1年生ながら音楽経験者ばかりで組まれたバンドは、9月に行われた文化祭でステージに立つことができた。
長男が通う高校は、自由で生徒の自主性を尊重する学校で、特に行事が多くて長い。文化祭は前夜祭(昼に開催)から始まって体育祭→舞台発表会→討論会→文化祭→文化祭+後夜祭の6日間行われる。
その日程の中で、軽音部は前夜祭に体育館で演奏ができるのだが、出場するには生徒会によるオーディションがあり、選ばれた6バンドしかステージに立てない。全体で何バンドあるのかは知らないが、1年生で唯一選ばれ大勢の生徒の前で演奏した長男は「人生で一番楽しかった!」と興奮しながら話し、それを聞いて私も嬉しかった。
ステージに立つ。
それは大人になると特別になってしまうが、多くの子供達はたくさんのステージに立っていると思う。
お遊戯会だったり、運動会だったり、文化祭だったり、発表会だったり、試合や大会だったり。そんな大きなものではなくても、家のソファの上で歌うとか、テレビの前で踊るとか、可愛いステージもたくさんある。
人前で話すだけで顔が真っ赤になる私とは違って、あまり緊張しない長男はどのステージに立っても堂々としていて、大概「あぁ、楽しかった!」と言って帰ってくる。
「楽しすぎてスティックぐるぐる回しちゃった」
友達が撮ってくれたという動画を見せてもらうと、そこにはずっと笑っている長男がいた。観客に向かって笑顔を振りまきながら、曲の終わりにぐるぐるとスティックを回し、最後に両手を高く上げて何か叫んでいた。
「すごいな」
何色ものライトで照らされた真ん中で、全身から「楽しい!」が溢れ出していた。
見ている人を楽しませるためではなく、この瞬間を、ここにいる人達全てを、一番後ろから見れる喜びを、「どうだ!いいだろう!!」と言わんばかりに、ドラムを叩きながら青春を謳歌している息子を、私は心底すごいなと思った。
「ちょっと間違ったけどね。まぁ、アリでしょ」
「アリだね」
どこで間違ったのかなんて私には分からない。それよりもキラキラした空間の中で、ライトよりも輝いている笑顔の方がアリだった。
*
案の定、土曜日は熱を出したが、日曜日には復活してスタジオに行くことができた。
「いい動画撮れた?」
「なんかイマイチだったから、前に撮ったやつを使おうかって話してる」
「えっ?撮ってあったん?」
「そうだけど?」
それを先に言え。
副反応でスタジオに行けるのか、そもそも演奏できるのかとずっと心配していたのに損した気分じゃないか。
「キャンセル料、2千円だったんだよね」
「それは自分で払いや」
「…はい」
長男はちょっとシュンとしながらも、大好きなプリンを食べて幸せそうだった。熱が下がって一番嬉しいのは、好きなものを美味しく食べれることらしい。
「おいしい」
そう漏れた声を聞いて、予選通過したらキャンセル料は払ってやるかと思った。
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