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ワインは神聖性を持ち得るか

この文章は体温が平常時よりも10%ほど上がっている、いい感じで頭が茹で上がった状態で思いついたこと、思い浮かんだことを取り留めもなく捕まえて一つにしたものです。特に校正はしていません。神学、宗教学的な知識を持ち合わせているわけではないので、その点で浅学を露呈している可能性は承知の上です。部分的に論理の飛躍、矛盾、文章構造の欠如等あるかもしれませんが、そういうものとしてご了承ください

人は同じ名前で扱われているものを常に同一の概念を持ったものとして扱う傾向があります。

今回のこの文章の範囲でいえば、「ワイン」という名前の元で、その発祥、伝播、拡散、そして定着に至るまで常に一貫した連続性を持ったものとしてとらえてしまう、ということです。しかしそうでしょうか?

ワインという概念はそれを用いる主体の変化に合わせて、その意味も役割もその時々で違うものに変えてきていたはずです。「ワイン」という名前こそ同じではあっても、その存在は非連続で、断続したものとしてとらえられるべきものであると私は考えます。

そのうえで、キリスト教世界においてキリストの血と表現されたワインというものが神聖性を持ったものだったのか、という点です。
この際には上述したとおり、ワインという概念を扱っているのはキリスト教世界に身を置いている主体ですので、すでにワイン自体の発祥がどこだったか、そこにキリスト教的な意味はあったのか、という質問はまったく意味を成しません。もともと意味があったかどうかではなく、これを扱う主体がそこに独自の、自分たちに適した意味を与えた、と考えるべきでしょう。

これはとても罰当たりな言い方ですが、宗教活動を展開していくうえで、そこに関わるあらゆる存在はワインに限らず何かしらの神聖性を付与されるべき理由があったのではないでしょうか?
神聖性を付与することでより効率的な利益の獲得を実現できたのではないか、という考え方です。

神聖性を用いた利益の獲得、もしくは利益を獲得するための手段としての神聖性の付与、と言ってしまってもいいかもしれません。

この意味において神聖性の表現と利益獲得という二つの異なる方向性は両立しうる、と言えます。むしろ、この両者を併存させることにこそ意味があるくらいだったのではないでしょうか。

確かに畑で作業していた修道士一人ひとり、収穫したブドウを仕込んでいた修道士一人ひとりはワインをどこかの点でワインを神聖視したかもしれませんが、その先にあったのはあくまでも経済の論理だったのではないかと思うのです。

人が人である以上、殉教という選択肢を選ばない限りは神を信じるためにも生きていかなければなりません。そして生きていくためには金が、そしてその金を得るための手段が必要です。
歴史書を紐解けば、その当時、ワインというものが極めて換金性が高く、利益を得るための手段として適していたものであったことは明らかです。

その一方で、神に奉仕し、自分を捧げている人たちにとって、自分たちの存在している時間のすべてが、それこそ生きるため、という篤い信仰心を持った人たちにとってはともすれば信仰のための付属物的な位置づけになってしまう行為のための時間であっても、それが神聖であることは重要なことだったのではないかと想像します。
自分の行いのすべてが、自分を捧げるに相応しい神聖なものであって欲しい、という欲求が神聖なもの、ワイン、という位置づけを創り出し、生きていくための手段の名前として後付けされたのでないでしょうか。

大事なのはワインが神聖であることではなく、神を信じた者たちが生きていくための手段が神聖なもの/ことであると見做されることで、この時代、この世界においてはたまたまワインがその役割を担う存在として最も適していたというだけのことなのかな、と思うのです。

修道士たちが信じたのはあくまでも神であって、ワインではありません。
修道士たちはワインに神を見たのではなく、神の横にワインを見たのではないか、ということです。

神はワインであってはならないし、ワインの中に神がいてはならないはずです。
つまり、ワインで神を表現することなどあり得ない。ワインの中に表現するものは、神に仕える、もしくは捧げる自分の信仰心であり、忠誠心であったはずです。
己を表現しているものの中に神聖性を見出すことなどあるでしょうか?

それは敬虔ではあっても、神聖ではなかったと思うのです。
神聖性というものはその「敬虔なものを造り出す行為」にこそ付与されたのではないでしょうか。そして、そういった要素を内包させることで対外的にはその価値を引き上げ、同時に経済的意味を引き上げることに役立ったのではないか、と考えるのです。



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