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味のする球を売る店

季節は11月になり、外はすっかり秋。
俺は秋が一番好きだ。
寒くもなく、暑くもなく、ちょうどいい季節。
妻が出ていったのも、ちょうど昨年のこれくらいだったか。

別れてから俺はいつも、会社に米だけ持っていくようになった。おかずは無い。
食べたいものが気分によって変わるからだ。

近くの定食屋のおかずのみを買って、持ってきた白米と共に胃にかき込む。

いつからか自炊もしなくなった。するのは米研ぎだけ。これも妻と別れてからだろうか。
妻の作る料理はどれも味が薄くて美味しくなかった。だから自分で作っていたが、ある時それが嫌になった彼女が出ていった。恐らくはそれからだ。自分的にも、作るのが面倒になったんだと思う。

嫌なことを思い出したな。さて、今日はどのおかずにしようか。
気分的には、朝のニュースでやっていた生姜焼きなんていいな。

いつも通り定食屋に向かおうとしたら、会社を出て左の路地に1台キッチンカーが来ているのを見つけた。

ほほう、まぁ、たまには。

少し近づくと、とても良い香りがした。この香りは、生姜焼き。
豚か、鶏か…。どちらにせよ、丁度生姜焼きが食べたかったので俺はそのキッチンカーに向かうことにした。

車の前まで来たが、メニューが出ていない。
まだ準備中だったか。

「すみません、生姜焼きありますか?」

俺はキッチンカーの店主にそう呼びかけると、
中からのそっと、エプロンを着けた熊が出てきた。
「あら、これは珍しいお客様だ」

「う、うわ」
俺は驚き、車から2歩離れる。

「生姜焼き、ありますよ」
その熊はそう言って、手のひらサイズの青い球を出した。
「…え、なんですか、これ」
「生姜焼きです」
「生姜焼き…?なんの?」
「さぁ。あなたが何の生姜焼きだと思ったかですね」
「はい?」
「300円です」
「安い」
「まぁ、手間はかかってませんから」

俺は球を持つと、確かに生姜焼きの香りがした。

「食べれるんですか、これ」
「食べられなきゃ売りませんよ」
「まぁそうですよね」
「冷やかしなら帰ってください」
「いや、こっちのセリフなんですけど」

熊はのそっと椅子に座ってふぅ、と息を吐いた。
そして近くにあったメガネをかけて、新聞を読み始めた。
少し怪しく思ったが、まぁ1度この不思議な物を食べてみるのも悪くないと思って俺は買うことにした。

「毎度。これね、いくらでも保存効くから、別に今日食べなくてもいいですよ。今日は別のおかず食べて明日にしてもいい」
「あ、私他におかず持ってきていないので」
「あらそう。じゃあこれだけでもお腹膨れるといいですね」
「はい、そうですね」
「これから寒くなるから、お気をつけて」

熊はニコッと笑った(気がした)。

俺はパッケージングされた青い球を持ち帰り、デスクに広げた。

「うわ、相澤さんいいですね。生姜焼きですか?うまそー」

部下の長谷川が青い球を見てそう言った。

「これが生姜焼きってわかるのか?」
俺がそう言うと、長谷川はゲラゲラ笑って、
「バカにしてるんですか?誰がどう見ても美味そうな豚の生姜焼きじゃないですか」
と言って席に戻った。

「青い球に見えているのは、俺だけ…」

この時点で分かったことは2つ。
これは俺が思った料理の香りがするということ、
そして俺以外には球ではなくその料理に見えているということ。
問題は、味だ。
球に箸を入れると、スフレのような感触でスっと切れた。
ますます生姜焼きとは思い難い。
とはいえこれしか今日の食料は無いので、仕方なく食欲が失せる青色を白米に乗せ、恐る恐る口に入れた。

「美味い…!美味いぞ!」
俺は普通の生姜焼きを食べるが如く、白米に青い球の欠片を乗せ、勢いよく食べ進めた。
食感だけがやはりスフレのような感じだが、味は生姜焼きそのものだった。
そして3分の1が終わった頃、ふと思った。

…妻にもこれを渡してやれば、あんなに美味くない料理をわざわざ作ってもらう必要も、俺が作る必要も無かったのではないか。

俺はそう思いながら、また一口、欠片を口の中に入れた。

「むぐっ!?」

さっきの美味い生姜焼きの味はどこかへ消え、妻が作った味の薄い生姜焼きの味がした。

「…なるほど」

この球は、自分が思った味そのものを反映するらしいのだ。これは、途中で妻の味を思い出してしまった俺が悪い。
もう一度美味い生姜焼きの味を思い返す。
なるほど、確かに今思えばこの美味い生姜焼きの味はあの定食屋の味だ。

「はぁ、美味い。良かった」

保存が効くと言っていたし、明日、あのキッチンカーが来ていたらこれを買いだめしよう。
そうしたら夜に何も買わずにそのまま家に帰っても、これがあるから食べ物に困ることは無い。
それに、その時食べたい味になるなんて最高の料理じゃないか。

俺は空になった白米の容器を鞄にしまい、午後の仕事に取り掛かった。

翌日。裏の路地へ行くと、またあのキッチンカーが居て、俺は球を30個買った。
それが俺が持てる最大限度数だったから。
家に置いておく用の30個。朝晩食べても15日は持つ。
そして今日の昼用の球を1つ買った。
さすがに会社には大量に置いておけないから、昼は1つずつ。
今日はほっけの塩焼きの気分だった。
相変わらずの食感だったが、ちゃんとほっけの味がした。

俺は全く料理をしなくなった。
米すら研がなくなった。100円で赤い球を買ったら、それがご飯の食感になったからだ。
ただ、青い球を親子丼と思った時は食感とかではなく、何故かそれだけでご飯の感じもして、それは少し不思議だった。

1ヶ月くらいが過ぎた頃の昼、長谷川に飯に誘われた。
近くの定食屋に行こう、というのだ。
俺はあの球と味こそ同じものの、店に久々に行くのも悪くないかと思い承諾した。
メニューの文字が懐かしい。
俺は豚の生姜焼きを頼んだ。

「お待たせしましたー」
長谷川の肉じゃが定食、俺の豚の生姜焼き定食が来た。
とても、良い香りがした。

「いただきます」
俺は生姜焼きとご飯を口に入れた。

「……??」

噛みきれない。
柔らかいはずの生姜焼きが、噛みきれなかった。
むしろ、噛むことすらできない。
味は確かに美味いのに。

「どうしたんすか?何か入ってました?」
長谷川が不思議な顔で聞いてくる。
「いや、何でも」
やっとのことで一口目を食べ終わり、俺はその後もゆっくり食べ進めた。
結局、半分も食べれずに終わった。

「体調悪いんすか?すみません。誘っちゃって」
「いや…」
「てか相澤さんって、生姜焼きめっちゃ好きですよね。前も生姜焼きでしたし。あれ、どこのです?」
「会社の横の路地の、キッチンカーだよ」
「キッチンカー?来てたことありましたっけ」
「毎日居たよ。あそこ、店主が変わってて熊なんだ」
「……相澤さん、疲れてるんですか?」
「いや、本当なんだよ。ほら、ここの路地に…」

いつもの路地を指さす。
しかしそこにキッチンカーの姿はなかった。

「昼時過ぎたから、帰っちゃったのかな」
「いたら絶対気付くと思うんすけど…。まぁいいや、また行ってみます。てか相澤さん、顔色悪いっすよ。やっぱり体調悪いんじゃないですか」
「そうかな…いや、そうだな。今日は早退させてもらうことにするよ」

俺は早退して、家のベッドに倒れ込む。

「スフレのような食感だけで1ヶ月過ごしてたら、そりゃあぁなるよな…」

何だかとても眠くなってきた。
そういえば最近、日中も何だかとても眠い。
やらなきゃいけないことはあるが、後でいいか。

俺は眠る。


夜、暗い路地。
「これで、良かったんですか」
そこには、熊が1頭。
「…良かったのよ」
そこには、女性が1人。
「何作っても美味しいって言わないあんなやつ、同じものしか食べない熊になっちゃえばいいんだわ」
「…それは私にも刺さるんですが」
「ごめんなさい、そんなつもりじゃ」
「一応言っておきますが、熊だって色々食べますからね。この事に気づいたその時、あなたが襲われてしまわないことを祈ります」
「そんなこと、ありえないわ」
「私とその妻が、その前例ですよ?」
「……きっと、気付かないわよ」
「一応、です。忠告はしましたよ。それでは、私もそろそろ冬眠の時期なので」

熊は大量の球を持って、山に消えていった。

女性はそのまま、暗い夜の街に戻っていった。

寒い冬が始まる。

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