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結婚して直ぐの頃の義両親に

「一年くらいは夫婦二人だけの生活を楽しんだら?
今のうちに旅行したり子どもはもう少し後でもいいじゃない?」

そう言われていたので、結婚半年後に妊娠が分かり
妊娠を伝えるときの反応が怖かったけれど、とても喜んでくれた。

私は24歳の出産にほっとしていた。

「23歳から25歳で出産すると比較的IQが高い子どもが生まれやすい」

母の言葉が呪いの様にずっと頭の片隅にあり
何が何でも25歳までには出産したかった。
もし、25歳で独身だったら、お見合い結婚をしよう。
今思えば、母の言葉に科学的根拠など存在しない。

お腹の赤ちゃんが女の子と判って夢が一層膨らんだ。
可愛い服を着せて、布おむつで育てて手作りの離乳食。
幼稚園や学校から帰って来たら、家にお母さんがいて
手作りのおやつを食べながら、その日の出来事を聞いてくれる。
ピアノやバレエやスイミングの習い事も
本人がやりたいと言ったことを習わせてあげたい。
自分ができなかったことを全てしてあげたい。
娘を通して自分の人生をやり直せる気がした。

産まれて来た娘は本当に可愛いかった。
母乳をあげておむつを当てて、片時も離れずに傍にいた。
小さな体で全力で母親の私を求める姿に
もう絶対に離れたくない、ひとりにさせたくないと思った。

母は生後3か月の私を祖母に預けて仕事復帰した。
泣いている赤ちゃんを置いて仕事に行くのに
心が痛くなかったのだろうか?
でも、仕方ない、働かなきゃ生活していけないのだから。
その時の泣いている赤ちゃんの私が娘だったら、、と考えると
今すぐ抱きしめてあげたい、もどかしい気持ちでいっぱいになった。

「子どもを産んで育ててみてはじめて、親の気持ちがわかった」

その言葉に、そうだよね、と素直に頷ける気持ちもあるのに
なぜあのとき、こうしてくれなかったの?
今更言っても仕方のないことを、どうしても思ってしまう。

私にとって子育てとは、親への感謝と与えられなかった愛情を憎む気持ち。
そのふたつが相反して存在するものだった。

娘には私と同じ思いをさせたくない。
私がして欲しかったことを娘には全部やってあげるんだ・・・

すくすく成長した。
娘はその言葉を全身で表現するように、本当にすくすく成長した。

お宮参り、お食い初め、3歳の七五三のイベントは
義両親がとても張り切った。
有難いことに義両親には内孫とか外孫と区別する感覚はないようで
義姉や義弟のところの孫もみんな可愛がってくれた。

私の実家はそれほど孫に対しての執着がないようで
お祝い事に関しても興味がないようだった。

双方の両親が孫に対して同じくらいのバランスでいてくれたら
特に大きな問題にはならない。

「うちはこんなにお祝いするのに
なぎちゃんのところは何もしないんだね。ウチばかりじゃない?」

義両親は言葉には出さないけれど
実は内心そう思っているのでは、、と考えると
とても後ろめたい気持ちでいっぱいだった。
義両親に本心を確かめたことはなかったけれど・・・

娘はおむつが濡れてもご機嫌で遊んでいるくらい
ほとんど泣かなずよく笑い、母乳もよく飲む。
手があまりかからない育てやすい子だった。

『人間(子ども)は、3歳までに一生分の親孝行をしていますよ』

本当にその通りだと思った。
無条件で愛されているのは子どもではなく親の私の方だ。

夫は私が育児と家事だけをしてもいい生活をさせてくれる。
早くに家族を持ったプレッシャーもあったから
毎日の帰宅は深夜を過ぎることもあった。
私は夫が仕事に集中できる環境を作る。

仕事が嫌で結婚に逃げたのは事実。
でも、逃げた先でこんなに幸せな生活が待っていた。
逃げて正解だった・・・

私が27歳、娘はもうすぐ3歳の頃。

大学の同級生が主任になったとか、そんな話がちらほら聞こえてきた。
正直、このまま専業主婦でいいのかなと迷った。

それに母に言われた「社会人経験もないまま母親になって
子どもが学校の事とかで悩んでいたら
何てアドバイスができるの?できないでしょ?」が引っ掛かっていた。

今すぐは娘も小さいから無理だけど
幼稚園くらいになったら働こうかな、、と少し思い始めていた。

そんなある日。
友だちから一通のメールが届いた。
「〇〇さんから、mixiの招待状が届いています」
なんだろう?よく分からないまま、招待状のリンクをクリックした。

それが、今後の私の人生を大きく変えるものになるとは、、
全く考えてもみないことだった。


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