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another story-ほんとのところ①

地下鉄の階段を登ってGoogleマップを開いた。
現在地を確かめながら矢印の指す方向へ歩いた。
とある雑居ビルの1階にそのライブハウスがあった。
お店の入り口の看板に先生の名前を見つけると
心臓が小さくドクンと反応した。

ボーカルの女性のバースデイライブというだけあって
店内はほぼ満席だった。
どうしようと辺りをキョロキョロ見回す。
ご予約はされていますか?
店員さんに、いいえ、していないです、と答えると
ステージ前方の左端のテーブルに案内された。
椅子に座りビールを注文する。
私の姿に気付いた先生が、おっ、と驚いた顔をした。
来てくれたんだね、ありがとう、に立ち上がって会釈をした。

ボーカルとピアノとベースとドラムのカルテット。
ジャズは普段好んで聴かないから、正直よく分からない。
初めて演奏している先生の姿を見て圧倒されてしまった。
そうだよね、ずっとこの仕事で食べているプロなんだもの。
先生、すごく楽しそうって思った。
時々する下唇を噛んだ表情。
気持ち良くなったときにする癖なんだとすぐに分かった。

先生のドラムの音は温かくて優しくて
例えて言うのなら、チョコチップクッキーが焼き上がって
オーブンを開けたときの、あの甘い幸せな香りに似ている気がする。
みんなを幸せな気持ちにさせる甘い香り。。。
心地良い酔いが回った頭でそんなことを考えた。

ライブが終わって会計を済ませて外へ出た。

「なぎさん!」先生に呼び止められて後ろを振り返った。

「先生、楽しかったです、今日はありがとうございました」

「ほんと?良かった、楽しんでもらえて」

そう言って笑う先生の顔を覗き込む。
このまま帰りたくない。

「先生?私ね、すごく方向音痴なの。
ここに来るのにGooglemap見ても全然反対の方向に進んじゃうくらい。
地下鉄の駅まで送ってくれますか?」

気付かないの?もう少し一緒にいたいってことなのに・・・

ふたりで並んで歩き出した。

「先生の姿を見ていたら、あれ?私同じことやっているんだよね?
私のやっているのは幼稚園のカスタネットみたいって思っちゃいました。
私も先生みたいにって言ったら烏滸がましけれど、、、
出来る様になるのかな?って自信なくなっちゃいました」

「大丈夫だよ、頑張ればできるよ」

地下鉄の駅の入り口で足が止まる。

「帰りたくないの。先生ともっとお話しがしたいの」

自分の口から出た甘えた言葉に驚いた。
酔っている?ううん、ビール一杯くらいじゃ酔えない。
先生に拒否はされない自信がどこかにあった。

「僕はいいよ。これから片付けて清算してだから11時は過ぎるよ。
でも、、帰らなかったら、、それはダメでしょ?」

先生の冷静な反応に我に返ったけれど
もっと一緒にいたくて、もどかしい気持ちでいっぱい。
もうっ、と指先で先生の左腕をちょっと優しく小突いた。
初めて触れた先生の肌。
両手を先生の肩にかけて少し背伸びをしてキスをした。
唇が軽く触れるくらいの時間にしたら1秒くらいの短いキス。

先生は目を右往左往させて
自分の唇に指先を当てえっ?えっ?と戸惑っている。
照れている様子がとても可愛い。

「急だったから・・・」

そう言って、道の脇の茂みのコンクリートに腰を下ろした。
力が抜けてへたり込んだというのが合っているのかも。
隣に座り先生の右腕に左手を這わせ掌を摑まえた。
先生の掌は柔らかな笑顔とは正反対で
グローブみたいに硬くてびっくりした。
先生は私の手をぎゅっと握り返す。

「先生、私の気持ちに気付いていたのでしょう?」

隣の先生の見上げた。

「僕の方がそんな空気を出していたのかな?」

そんな空気って、つまり、先生も私のことを
いいなとか、好きとか思っていたということだよね?
そうじゃなきゃ、今こんなことしていない。

先生の指が私の髪を撫でる。
舞い上がるような嬉しさで先生の肩にペタンと頭を乗せた。

「いつなら会えるの?」

「今週の土曜日なら空いているよ」

「ほんと?でも、まだ4日もあるぅ。待ちきれない」

お店を出てからどれくらい時間が経っただろう。
こっそり時間を確認すると10時半を少し過ぎたところ。
やっぱり、帰らなきゃ・・・

「今日は帰ります」と言うと
先生の薄い唇に押し当てるくらいの強いキスをして
もっと一緒にいたい気持ちを振り払うように立ち上がって
目の前の地下鉄の駅へ降りるエレベーター前まで踏み出した。
振り返って「今日はありがとうございました」と頭を下げた。

エレベーターのドアが閉まり
動き出す前にもう一度頭を下げた瞬間、先生が好きだと思った。

足踏みしていた気持ちが急に動き出しどんどん加速する。
そんな予感がする。
走りだしてしまえばいい、難しいことは考えないで・・・
先生が好き、やっぱり好きなんだ。。。


東の空に大きな月が上った。
今日9月29日は中秋の名月。
明るい月に誘われて
夜の散歩に出かけたくなったのは月のせいじゃない。
恋の始まりは、なぜかじっとしていられなくなる。

近くに大きな川が流れていて
その川に人が一人通れるくらいの大きさの橋がかかっている。

その橋の真ん中で東の空に浮かぶ月の写真を撮る。
先生にインスタのDMでその写真を送ると直ぐに既読になった。

ー月めっちゃキレイだねー

ー知っていました?月って毎年1㎝ずつ地球に近づいて来ているんですよー

ーえっー!ぶつかっちゃうじゃんー

すごく軽いノリの会話。
今の私にはそのくらいの軽さが嬉しかった。

先生から画像付きのメッセージ。
居酒屋さんにいるのかな?ビールの写真だった。

ー僕は休みの日はおじさま方と飲んだくれていますー

私の知らない先生の日常の一コマを見れた気がする。

ー飲み過ぎないでね。明日、とても楽しみですー

ーうん、楽しみだねー

先生も明日会えることを楽しみにしてくれている。
二人で同じ気持ちでいることが、何だかくすぐったい。
恋の始まりはいつも胸がキュンとなって甘い痛みがする。
こんな感覚はもう無いと思っていたのに。

橋の上で月を見上げながらふうっと大きく息を吐く。
明日、先生に会える。
何てことのない小さな約束が、私に大きな力をくれるんだ。。。





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