コミュニティあるある「可愛さ余って憎さ100倍問題」への対処法
みなさんこんにちは。
鹿児島でまちづくりの会社を経営しています永山(@nagayaaan)です。
今日は、コミュニティを通して仕事をしていたり、コミュニティをつくるお仕事をしたりしている中でぶつかる壁の一つ。
「一見するとコミュニティのコアなファンに見える人ほどクレーマーになる可能性ある説」について。
1)かわいさ余って憎さ100倍というアレ
コミュニティとつながり始めた先に、参加者がコミュニティに対していろんなケアを熱烈に求めてくる問題ってありますよね。
例えば、イベントへの参加者とか、登壇者になってくれた人が、初めの頃はコミュニティに参加することで満足していても、やればやるほど期待値が高まり、「このコミュニティはここまでやってくれると思ってた」「これを目指すなら当然これはできるはずだと思った」といった、高すぎる期待値を根拠にクレーマーと化すとか。
中には、意に沿わないことが起きたときに激高して暴力的なメッセージを発し始める方もいらっしゃいます。
2)理念を主張すればするほど陥りやすい罠
コミュニティデザインの軸の一つにビジョン(理想や理念)があります。
例えばTen-Labでは、「対話と挑戦の協働文化をつくる」という言葉をビジョンとしてもう6年ほど使っています。
このビジョンが、抽象的であるほど、ある種の誤解をもったままファンになる層がでてきます。また、コミュニティというものは難しいもので、サービスの利用やコミュニティへの参加にあたって自身が顧客であるかのように錯覚する場面もあります(本当は共に価値を作る側であるはずが、いつのまにか価値を受け取る側にまわってしまう)。
「Ten-Labはビジョンに対話と挑戦を標榜しているのに、俺の話をちゃんと聞いてくれないのは、ビジョンに偽りあり!だ!」となる構造です。
もちろん、そこには対話が生まれない背景があり、状況は常に相互の関係性の中で生まれるので、対話を成立させていない原因の少なくとも半分は先方にあったりするのですが。
3)コミュニティからプロジェクトに軸足を移す
このような状況を避けるためにできることは、
①可能な限り接触時間を増やす(理念の浸透を目指す)
②誤解が多いときには、理念の見直しを検討しする
③参加者ではなく、共創者であると認識してもらう
という3点。
①②は、こちらが常に意識しておけば良い話なのですが、③は非常に難しい。コミュニティが目的になると、一義的なケアの対象が人になってしまい、その構造が「自分はお客様なんだ」という考え方につながるようにも思います。
そこで、Ten-Labでは2年ほど前からプロジェクトを軸にコミュニティをとらえるようになりました。
ここでいうコミュニティは目的を共有した集団を意味し、プロジェクトとは目的を達成するための具体的な行動を意味します。
プロジェクトを目的化してしまえば、ケアすべき対象は一義的にはそのプロジェクトが設定している目標への到達(価値の実現)ということになり、コミュニティの構成員はあくまでも「価値の実現を共に目指す人」として、提供者-消費者の関係性を乗り越えることができます。
4)プロジェクトの土壌としてのコミュニティ論
コミュニティそれ自体を目的とすることから離れ、そこからどれだけのプロジェクトが生まれているか、そのプロジェクトにどれだけの成果が生まれうるかを軸にした場づくり。まだまだ研究途上ですが、最近は少しずつ手ごたえをつかめるようになりました。
「コミュニティのお客様」から、「プロジェクトを共に進める仲間」への目線の切り替え。この分野では、鹿児島ユナイテッドFCのサポーターコミュニティの巻き込み方などが参考になるなあ、と思っております。
ということで、本日のメッセージです。
コミュニティデザインのゴールは、コミュニティのデザインではない!
プロジェクト軸でコミュニティをとらえると、対話が成立しやすくなるよ!
…ということで。
鹿児島未来170人会議、Radio Burn、各地で行っているSwitchシリーズについても、少しずつプロジェクトベースに切り替えていこうと思います。
Ten-Labにかかわっていただいている皆様、2019年度も楽しいこと、どんどんやっていきましょう!
<アイキャッチイラスト:@sekimihoko>
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