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ひとりごと

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noteに書いたひとりごとをまとめてます。
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#コラム

辛さは確かにそこにあるのに幸せは曖昧で

辛さは確かにそこにあるのに幸せは曖昧で

久しぶりに文章を書きたくなったので書いていこうと思う。

約半年間ほどnoteに文章を綴るどころか、個人的に日記を書くわけでもなくあんなに楽しく綴っていた日々はどこへやらって感じで、ある時noteに文章を綴るのをやめてしまった。
別に嫌いになった訳でも特別仕事が忙しくなった訳でもなく、ただなんとなく辞めてしまった。

かくいう僕は根っからの飽き性な人間故に、どれだけ熱量を持っていたとしても突然理由

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ライツ カメラ アクション!

ライツ カメラ アクション!

僕が生まれたその日、生きていくための意味なんてきっと考えなかった。生まれてきた喜びも感じる暇すらなく、ただただ生きようと必死だったに違いない。本能の赴くままに生きた赤子も、今じゃ会社の愚痴をこぼしながら100数十円の缶チューハイ片手に、どうしようもない毎日を生きているんだから笑ってしまいそうになる。

幼かったあの頃。理由なんていらなかった日々が、いつしか生きるのにも理由を求めてしまう様になってし

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何歳になったって変わらないものがきっとあるのさ

何歳になったって変わらないものがきっとあるのさ

今日はたった1日の休みである。この日のために沢山の時間を仕事に費やし、生活するために時間をお金に変えてる訳なんですが、この日だけは頭をからっぽにし、誰に気を使うでもなくまさに自由奔放に生きられる1日。

何したって誰に何も言われない、誰にも邪魔させやしない大切な日曜日。休みの日はなんだか、何にでもなれそうな気がするのは僕だけだろうか?そんな日曜日の夕方に僕は散歩をすることが最近増えてきた。

通勤

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心の温度がこもる場所

心の温度がこもる場所

きっとこの気持ちも忘れてしまいそうだから、僕は文章に残しておきたいと思い今日も書いている。

スーパーへ買い出しに行った帰り道。夏も終盤に差し掛かり、肌に当たる風も少し冷たくなってきた。いつもの道をいつも通り、なんて事ないありふれた帰り道に前の方からベトナムの人らしき男の人が颯爽と自転車でこちらに向かってきた。

ここら辺じゃ別に珍しいことでもなんでも無いので、気にも止める事なく通り過ぎようとした

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何がどうしてこうなった。

何がどうしてこうなった。

僕は友達が少ない方である。いや、友達と呼べる人なんて右手の指の本数だけで事足りてしまうし、知り合いを含めてもそれほど多くはない。考えを膨らませていけば、まず友達の定義ってなんやねんとなってしまうが、ここでの友達の定義はあくまでも何でも話せる親友に近い存在を友達と呼ぶことにする。そしてなぜ僕には友達が少ないのかを今回は考えていこうと思う。

まず初めに言っておきたいことは、決して「俺は誰とも群れぇし

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ダサいのは今だけだから

ダサいのは今だけだから

『あとどれぐらい生きられるんやろか?』

そんなことを考えた時、僕は文章を書いた。誰がどう見たって僕の文章は下手くそだ。けれど、いつか終わってしまうと分かっているなら、恥じらいや周りの目なんてどうでも良くなっていた。

小さい頃から僕は、臆病で前に出るタイプではなかった。ただ、目の前の人気者に憧れ、はたから眺めるばかりで行動に移すのが苦手だった。そんな僕でも、いつだって人気者の座をスナイパーの如く

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弱さはあなただけの個性になり得る

弱さはあなただけの個性になり得る

久しぶりに文章と向き合うので、かなりおぼつかない手つきでキーボードを打っている。最近はかなり仕事が忙しくて、自分の本当にやりたい事が疎かになりがちだな〜と思っていたら約1ヶ月もnoteを書けていなかったのでこりゃいかんぞとそんな日曜日の22時です。

僕は一人で考え込むタイプであまり相談を人にしたり、その時その時の感情をわざわざ誰かに電話してみたりするタイプではないし、する相手もいないのでこのno

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好きな自分を生きている時間

好きな自分を生きている時間

僕はごく普通の社会人である。ちなみに仕事は好きでは無いので、やりたくもない事をしている時間が1日のほとんどを占めている。だけれど、生きていく上でやはり稼がないと生活は出来ないのでこの時間の使い方は納得している

仕事をする上で不平不満や未来への漠然とした不安、人間関係の複雑さに疲弊してしまう日も多い。そんな中で仕事が終わった後もうまく自分の心と折り合いがつかず、ウダウダ悩んでしまう時もある。

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大切な言葉ほど

分かった気になる事は簡単である。

今ではTwitterやSNS、本や音楽を通して沢山の言葉や、沢山の面白い考え方を触れられる機会が沢山ある。その中には自分の気持ちと相まって首がもげそうになるほど感心できるものから、自分とはまた違う角度からの目線で捉えられた考えにハッと驚かされるものもある。

言葉を沢山触れられる世の中であるが故に、僕は少し人の考えや言葉を分かった風で終わらせてしまっているのでは

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生と死の間で生きる僕たち

生と死の間で生きる僕たち

僕はよく自分が死んだ後の世界について考えることがある。別に今、「死」を考えるほど落ち込んでいたり、苦しんでいるわけではないがふとした時に考える。晩御飯は何にしよう?とかそれぐらいの軽いノリでふと思うことがある。

この癖のようなものが染み付いたのは僕の過去が原因であると思う。中学生の頃に祖母が癌になり、闘病生活を間近で見てきた。そして大切な人の死を目の当たりにし、祖父、そして父までもがこの世を去っ

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月曜はじまったいつもの日々

月曜はじまったいつもの日々

僕はかなり悩んでしまうタチである。特に最近の悩みのタネは職場の人間関係やこれからの自分のあり方についてが多い。

よく人からは、考えすぎだと言われてしまうぐらいなのできっと悩む必要が無い事まで頭を抱えてしまっているんだと思う。

分かっていても答えが出ない事ほど悩んでしまうのだ。我ながらめんどくさい性格だなぁと思いながらも変えられない自分のめんどくささと格闘する日々を送っている最中だ。

最近こん

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もうあかんわ

もうあかんわ

もうあかんわ。と思う時に怒って欲しい、寄り添って欲しいと思う人がただ1人僕にはいてる。それが、ばあちゃんの存在である。僕は関西一の生粋のばあちゃんっ子であると自負する程に大好きである。

小さい頃、母が仕事の為ばあちゃんの家に預けられた事があった、ばあちゃんちにはウー君と言うシーズーが居てて、それはそれは凶暴やった。凶暴が故にウー君は小さい僕に噛みつき、ほんの少し顔に傷を負った事があったんやけど、

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何をするにしても辞めなければ何かしら特典がついてくる

何をするにしても辞めなければ何かしら特典がついてくる

揺り籠でプラプラ揺られては気分次第で泣いていた赤ちゃんだった僕ですら、何十年という時を経てこうやって自分の気持ちを文章にしている。あの頃は喜怒哀楽を不器用に表現していたのに、いっちょこ前にパソコンに向かい言葉という武器を使って表現するまでになるなんて、当時の僕は思いもしなかっただろうなと思う。

ミルクを飲んで上機嫌だった赤ん坊は、今では1本100円ちょっとの檸檬堂の缶チューハイでご機嫌だ。少しリ

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暗闇でも寂しくないように、月が街を照らすように。

暗闇でも寂しくないように、月が街を照らすように。

寂しい時は記憶の端を引っ張ってみる。決して特別ではない当たり前だった日々が遠い昔のように小さく光る。

ばあちゃんは優しいという言葉だけでは安っぽく感じるほどに温かい人だった。何気ない手料理がまるで、三つ星シェフが作ったんか!?と思うほどに美味しく感じた。

特に、肉じゃがは今でも舌の上で味が広がってきそうなぐらい大好きだった。でも何より僕が大好きだったのは間違いなく、ばあちゃんの笑顔だった。

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