【忘れてはならないものとは何か?】メッセージ

・イントロ

黙示録というと、隕石や核ミサイルとかがきて滅びる、などの怖いイメージがあります。
でも聖書は隕石とか核ミサイルとかではなく、イエス様が再び来られるのです。

8:ヨハネの黙示録/ 01章 08節
今おられ、かつておられ、やがて来られる方、全能者である神、主がこう言われる。
「私はアルファであり、オメガである。」

アルファであり、オメガというのは、ギリシャ語の文字の最初がアルファであり、最後がオメガなので、
私はアルファであり、オメガであるというのは、最初であり最後であると言うことです。

英語で言うと私はAであり、Zであると。
日本語で言うと私はあであり、んである、と。
なんかフワッとするね。

これは、今も、そして昔も、これからも、過去も現在もそして未来も支配されるお方、ということです。
神様は時間を超えておられるということです。

これは私たち一人一人も、生まれる前から、今生きている時も、そしてこれからの将来も神様は私たちを導いておられるお方なのです。
これから私たちはどうなっていくのか?
色々と時代が変化し、将来の進路もどうなるか分からない、不安がある、でも神様はそんな私たち一人一人を将来にわたってまでも、支配されているお方であると言われるのです。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

そして、アルファであり、オメガであるお方は、全ての教会の間を歩かれるお方です。

1:ヨハネの黙示録/ 02章 01節
エフェソにある教会の天使に、こう書き送れ。
『右手に七つの星を持つ方、七つの金の燭台の間を歩く方が、こう言われる。

7つの星、7つの金の燭台というのは、全ての教会を指し、この全てというのは時間を超え、当時の教会だけでなく、今の教会も指します。
この歩かれるお方はイエス様です。
イエス様が当時の7つの教会だけでなく、現代の全世界の教会にも、そして今このズームを通して集まっているジュニアの、建物はなくても礼拝をしているこの共同体にもイエス様はおられるのです。

そしてこのイエス様は言われます。
「私は、あなたの行動や苦労を知っている」と。
これは同時の教会だけでなく、イエス様は、今生きている私たちの行動や苦労を知っているというのです。

私たちが生きている中で、学校に行ったりバイトしたり、仕事をしたり家庭であったりも、それの一つ一つの行動を知っておられ、苦労であり、悩みであったりもイエス様は知っておられる。
友達や親友もある程度みんなのことを知っているかもしれないけど、全てを知っているわけではない。
でもイエス様は時間を超え、あなたが過去にあったことも今ある苦労であり、忍耐していることも知っておられるのです。

そして私たちを知っておられるということは、苦労も良いことも知っていて、そして私たちの弱さをも知っておられるのです。
この弱さとは何か。
初めの愛を離れてしまった、ということです。

この初めの愛とは、イエス様の愛です。
この愛を忘れてしまったのではないか。
だから立ち返りなさい、私が十字架であなたを救いに導いた、その愛の喜びに立ち返りなさい、と言われるのです。
この初めの愛とは、イエス様の愛を忘れない、ということです。

でもこれにはもう一つ捉え方があって、兄弟姉妹の互いに対する愛とも捉えることができるのです。
これは、当時の教会は偽りの教えを見抜こうとして、互いに他人に対して批判的になって、兄弟愛を失っていないか、互いに私たちは愛することを忘れていないか、と。

イエス様の愛を忘れていた、互いに対する人の愛を忘れていた、どちらも捉えることができると思います。
イエス様が私たちを愛されたその愛で、互いに人を愛すること、それを見失っていないだろうか、と。

ヨハネの黙示録/ 02章 06節
しかし、あなたには良いところもある。ニコライ派の者たちの行いを憎んでいることだ。私もそれを憎んでいる。

ニコライ派というのはキリスト教の信じるものとは違う教えの人たちです。
その人たちの行いを憎んでいた、と。
ここで重要なことは、行いを憎んでいたのであり、その人たち自身を憎んだのではないのです。

私たちも、イエス様についてちゃんと守る必要はあります。
似たような教えであっても、実はキリスト教とは違う教えがあるのです。
それからは守る必要がある。
その代表的なものはニコライ派であり、それと戦っていた。
でも自分たちと違うからと言って、その人自身を憎むのではない。
その行いについて、神様から離れる罪について憎むのです。

でも私たちは、自分の立場を守ることに集中して、その人自身を批判してしまうことがあります。
その人自身と関係を断ち切ってしまうのです。
でもそうではない、初めの愛、イエス様が、私たちがイエス様を拒否して遠くにいて無視していた時も見捨てず十字架を通して私たちを救ってくださった。
その愛によって私たちも兄弟姉妹、人を、愛するようになっていく、その初めの愛に立ち返りなさい、そう言われるのです。

この愛がなければ、
あなたの燭台をその場所から取りさる
と言われるのです。
これは、教会が影響力を失う、ということです。

脅しで、初めの愛に立ち返らないと、見捨てるぞ、というのではありません。
初めの愛がないと、教会が教会でなくなる、世の光、地の塩でなくなる、証できなくなるというのです。
だからイエス様は言われるのです。
初めの愛に立ち返りなさい、と。

私があなたを愛し救い、そしてその愛によって互いに愛しあいなさい、と。
不思議です。
教会の影響力は、異端、違った教えから守るためでありました。
でも守るためにその人たち自身を憎んでは、行い罪を憎むのではなく、その人自身と関係を断ち切るなら教会の影響力がなくなる、と。
守るために良い行いをしていたのに、いつの間にか、初めの愛を忘れ、互いに批判的になり、否定するようになり、それが結局教会の影響力が失っていくことになるのです。

この初めの愛は、アルファでありオメガであるお方、神様がイエス様を私たちに送ってくださり、十字架を通して示された愛であり、これによって互いに愛し合っていく。
この愛に生かされているのです。
そして今も生きておられる私たちに最初の愛をくださったイエス様は、この教会、共同体に今も歩いておられるお方。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

私の奥さんは、いわゆる日本的な育ちの、仏教や新道を信じる家庭で育ちました。
キリスト教とは無縁の家庭だったのです。
で、僕と結婚する時に洗礼を受けたのですが、その時にずっと引っ掛かっていたのは、
「イエス様が十字架で死なれ、それは人間の罪のために死なれた、これは当時の人の罪のために、ならわかる。
でもその時イエスが十字架で死なれたことが、なぜ今の私にまで関係があるのか?」
それがずっと引っ掛かっていたのです。

でもある人に言われました。
ヨハネの黙示録/ 01章 08節
今おられ、かつておられ、やがて来られる方、全能者である神、主がこう言われる。「私はアルファであり、オメガである。」

全能である神様は、過去も、現代も、未来も、全ての時間を超えられるお方なんだよ。
だから神でもおられるイエスキリストの十字架は、その当時の人にも、そして今のあなたにもこの十字架は意味があるものなんだ、と教えて下さいました。
そして神様は時間をも超え、昔も、今も、未来も支配しておられるお方、この事がわかり、イエス様の十字架が私の罪のためにかかり、それを通して今の私が救われた、ことを信じることができました。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
結語
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

「私はアルファであり、オメガである。」
私たちは、昔も、今も、そしてこれからどうなるか、それぞれ不安になることがあります。
テストどうするか、進路をどうするか、と。

でも神様は私たちの生まれる前から、そして今も、これからも私たちを支配し導いておられるお方です。
このお方は、私たちを救うためにイエス様を送ってくださった方。
この方こそ、私の主、支配者、導きてくださるお方、ということを今一度信じ、歩んでいきたいと思います。

お祈りします。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
祈り
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

天のお父様、今は世の中が激しく動いている時代であり、私たちは不安になります。
でもあなたは昔も、今も、未来も支配されているお方です。

そしてあなたが私を救ってくれたその愛に忘れず、その愛を持って人を愛しいくことができますように。

イエス様のお名前によってお祈りします。


アーメン。



今日も最高の1日を😄

God bless you〜(神の恵みがあなたにありますように)

長瀬雄大

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?