自分の感情をどのように扱うか

「12の誤解」からの学びです。

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【あなたに対して罪が犯されたときに沸き上がる否定的な感情は正常であり、罪ではない。】

裏切られたときに怒りを覚えたり、嘘をつかれて傷ついたり、仲間はずれにされたときに悲しくなるのは当然です。

性的または身体的に虐待されたとき、あるいは親を亡くしたときなどに痛み
を感じるのも避けられません。

それは堕落した世の中で傷を負うことに対する正常な反応です。
そこから回復するには、これらの感情を取り扱わなくてはなりません(伝道者の書7:3、4)。

【両方の感情に適切に対処する必要がある。】

妬み、羨み、苦み、プライド、そして裁くことなど、罪は告白し、捨て去らなくてはなりません。

同時に、悲しみ、嘆き、傷、孤独感、拒絶などの痛みは、神と他者のもとに持って行く必要があります。
そうしてこそ、愛され、癒されるからです。


ダビデが詩篇の癒しの箇所で語っているのはこの点です(詩篇13。30。31:9-9。32。38。102。103:1–5参照)。
彼は自分の心を神の御前に注ぎ出し、解放されて感謝を捧げました(詩
篇116:5-9)。

同様に、私たちも恵みを受け取ったなら、自分に過ちを犯した人たちを赦さなければなりません。
恵みを受け取り、また与えることで、過去から自由になります。

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誰かによって傷ついたり、失ったりする時に湧き上がる感情自体が悪いものではありません。

問題はその感情をどのように取り扱うか、です。


その負の感情を認めず、表面上だけはうまくやりすごすのか、
その負の感情を認め、神と他者との関係の上で持っていくか、です。


後者は愛を受け取り、癒されます。
が、前者はいずれ心の中でだんだんとその感情が腐っていき、結果悪い実が起こります。

イエスがパリサイ人の表面上の行動は立派でも内面が悪いことを指摘したのは単に、偽善者ぶるな、というだけでなく、その感情を適切にとり扱い、愛と癒し恵みを受け取りなさい、という救いのメッセージです。


改めて自分も内面も、素直な感情を否定してしまうことがあるな、と思わされました。



今日も最高の1日を😄

God bless you〜(神の恵みがあなたにありますように)

長瀬雄大

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