【なぜ神は大切なものを捧げよと言うのか?】証

◆状況 営業時代の苦しみ
私は昔、いのちのことば社というキリスト教出版社の営業マンでした。
文書伝道デーという、日曜日に様々な教会に行き、沢山の本やグッズを車に詰めて、教会のスペースを借りて並べて売る、ということをやっていたのです。

各営業マンが毎週それぞれの教会に行き、その日の売上を報告します。
教会によって事情が違うので単純比較はできませんが、誰がいくら売ったという営業成績が気になるのです。
特に去年自分が営業した教会の売上より、今年その教会に他の人が行って売上が高いと、素直に喜べないのです。

売上自体が去年より伸びることは会社にとってとても良いことです。
チームとしてやっていくので、全体の売上が伸びるのは喜ばしいことである、と頭では分かっているものの、やはり素直に喜べない自分がいるのです。
自分が負けたような気になる。
自分よりその人の方が価値が高いと感じてしまい、喜べない。

そのような事を毎週のように売上を見ては一喜一憂していていくと、段々心が疲れていきました。
なぜ私は営業成績が気になるのだろうか、と。

◆出会い 「偽りの神々」
そのような時に出会ったのが「偽りの神々」です。
テーマは偶像礼拝についての説教集です。
偶像礼拝、それは神以外のものを神とし、自分の中心におくことです。
お金、異性、権力などです。
そのテーマでアブラハムがイサクを捧げる箇所からの説教が書いてありました。

この物語は、アブラハムとサラという夫婦の間に、彼らが年老いた時に待望のイサクという赤ちゃんを授かり、手塩にかけて育てたイサクが青年になった時のことです。
神がアブラハムの信仰を試すために、山に行ってイサクを生贄としてささげろ、と言います。
そしてアブラハムは神に従い、イサクを殺そうとした瞬間、神はそれを止め、彼の信仰を認め祝福した、という物語です。

今まで私はこの箇所を、信仰のために我が子を捧げる勇気、信仰のあるアブラハムと、わざわざ彼の信仰を試すために子どもイサクを使うひどい神様と思っていました。
でもこの本では偶像礼拝という切り口から見ると全く違ってくると。
そこにはこう書いてありました。


「当時の社会では、最初に生まれた男子に託されたのは、今より比較にならないほど家族の全ての希望や夢をその長男に託されていた。
当時の長男というのはそういう特別なものであった。
待ちに待って与えられたイサクは、アブラハムにとって盲目的なくらいに愛情を注いでいたのではないか。
それは健全な親子関係ではなく、依存的な親子関係になるほどに。

そしてもし、イサクを捧げよ、という神の介入がなかったら、アブラハムは早かれ遅かれ、息子イサクをこの世界で何よりも溺愛することになり、彼の人生に破滅をもたらすものになっていたのではないか。
この視点から見ると、神のアブラハムに対する非常に残酷とも思える仕打ちが、実は神の憐れみ深いものだったと理解できる、、、」


今まで私は神のイメージというものが、やっと手に入れたイサクを、取り上げようとするひどいものがありました。
でもこの文章を見た時、実はそうではなく、そのままだと、やっと手に入れたイサクによって、今度は苦しんでしまい破滅に向かっていく。
だからそんなアブラハムを救うための神の愛の介入であるという良い神のイメージに変わったのです。


◆なぜ偶像化してしまうのか?
私は新人の時、既存の営業のやり方を一から考え直し、様々なやり方を試しながら営業していたので、最初は結果も出ず、当時の上司からはあまりイメージがよくありませんでした。

しかし次第に結果が出るようになり周りから認められるようになりました。
当時の私の悪いイメージを払拭してくれ、会社での私の存在を証明し、助け救ってくれたのが売上だったのです。

売上を上げること、そのために試行錯誤すること、それ自体は良いものです。
でもそれが線を超え、売上が自分の心の中心に来るその時、偶像礼拝になるのです。
当時の苦しかった時の私を助けてくれたのは売上でした。
でも今度はその売上によって私は苦しめられるようになったのです。
私の存在価値を証明する売上が、他の人によって奪われるかもしれないと思ってしまうからです。


◆気付き
でも思わされるのです。
今まで私にとってこれがなければ私は幸せになれない、と思って握っていた営業成績は、これすらも、あの辛い状況の時に私を助けるために神が、売上を通して私を助けてくれたものではないか。
神は売上を通して、その時の私を助け救ってくれたのです。
売上が私を助け救ってくれたのではない、神が売上を通して私を救ってくれた。

神はこう言われると思うのです。
「今の状態のままであればいずれあなたはもっと悪くなる。
なぜなら今あなたが心の中心に置いてある、その偶像はあなたの期待にいつか耐えきれず崩壊していき、支えきれず、助けきれず、いつかあなたを裏切るものだから。
あなたが今大切にしているものは偽りの神だから」。
だから、そこから私を救うために神は言われるのではないだろうか
「あなたのイサクを捧げなさい」。


私は告白しました。
「主よ、私は日々の営業成績で自分の価値が決まると思い、一喜一憂していました。
それは今までに売上で結果を出す事によって人々から認められ、辛い時もそれがあったから乗り越えることができたと思っていました。
この営業成績は今まで私を助けてくれたものでしたが、これからもずっと助けてくれるものではなく、ましてや私が死ぬ時に支えるものではありません。

これ自体は良いものではあります。
しかし真の神ではありません。
死から唯一甦り、私を死ぬ時も支え続けて下さるあなたのことを、今改めて受け入れたいと思います。」


こうしてからしばらくの間、売上は下がっていきました。
小手先の技術などをする事をやめたからです。
でもその後不思議と段々と売上は上がっていき、長い目で見たら営業成績は上がっていきました。

その理由はおそらく、どんなに最もらしいこと言ってても心の奥底では自分の存在価値が欲しいために物を売る営業マンより、自分の存在価値はイエスキリストによってもうすでに与えられているから、ただ単純に目の前のお客様が必要なのを聞いて、時には今日はあなたにとっていいものはありません、と言える営業マンなら最終的に顧客は後者を選ぶからではないか、と思うのです。

私を支えるものは、営業成績ではない、物でもない、あの人からすごいと思われる他人の評価でもない。
私を生かし、救い、死ぬ時すらも支え続けるのは復活されたキリストだけであり、そしてすでに私はこのキリストに支えてもらって今日も生かされている。


◆結語
これは一回悔い改めればあとはいつも平安、というわけではなく、繰り返し試練にあい、試されます。
これさえ手に入れば、これさえ握っていれば私は幸せになれる、と思わせるものがあります。

だからこそ、今私は何を神としているのか、何を救い主としているのか、問い続けていきたいと思うのです。
そして死から復活した真の神以外には本当の意味で私を救ってくれるものは無い、ということに気づき、死を打ち勝って甦られたキリストを中心として歩んでいきたいと改めて思わされています。



今日も最高の1日を😄
God bless you〜(神の恵みがあなたにありますように)
長瀬雄大

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