【思い通りにならないとなぜ不満に思うのか?】

「境界線」から思わされたことです。

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神はご自分の境界線が尊重されることも期待されます。
神が選択をしたり、私たちに「ノー」とおっしゃる時、それは神の権利であり神の自由です。
もし私たちが神と本物の関係を持つつもりなら、私たちはその自由を尊重しなくてはなりません。

私たちが「あなたは〇〇をしなくてはいけない」と言って神を縛り付けようとするなら、それは神の自由を試みていることになります。
神が何かをしてくれないと怒っているとき、私たちは神本来の自由を認めていないことになるのです。

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私たちは神を万能だと信じています。
何でもできるお方である、と。
だから〜の能力が欲しい、〜を治して欲しい、など神に要求します。
でも神は私たちの願いに、時にNOを言います。
その時私たちは不満に思うのです。


なぜ不満に思うのかというと、神に対して無意識に「あなたは私の〜の要求を聞くべきだ」と縛り付けるのです。
でも神は自由であり、私よりはるかに違う計画をたてられているお方なのです。
そしてその計画は私たちにとって良いことをされようとするお方です。

神の自由な選択に、自分が縛りかけていないか?それを改めて問われる思いがします。


今日も最高の1日を😄
God bless you〜(神の恵みがあなたにありますように)
長瀬雄大

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