アジアカップはイラクへ……感じたことなど(2007/7/30付)

記事の初公開日:2007年 07月 30日

アジアカップは、イラクの優勝で終わった。
4カ国共同開催や、運営上のミスの多さや、日本の決定力不足など、うんざりすることも多かったが、内戦状態のイラクが優勝したことには、ささやかな感動があった。

独裁者のエゴや大国の言いがかりから、10年近く戦乱状態にあるイラクの選手たちのエネルギーは決して刹那的な爆発ではなかった。どんな状態であっても最後まで戦うと言う闘志にあふれていた。
日本が追求するモダンなサッカーなんかじゃない中東オリジナルのようなサッカー同士の激突は激しく魅力的だった。
この闘志を日本に求めるのは不可能だろう。だって、日本は国民みんなが闘志などよりスマートな生き方のほうを選んできたのだから。口論すること議論することさえ大人気ないと捨てて、感情を表に出さないことがスマートなことだとして戦後からの成長期を生きてきたのだから。そんな生き方をした日本人の子供である今の選手たちに、イラクのような闘志を求めるのは、求める側の責任逃れに感じてしまう。
日本には日本の戦い方があり、それを誇れるまでに作り上げていくことしかないのだ。

今回の日本の敗因みたいなものは、いろいろあるのだろうが、素人目に見ると、今作り上げつつある「日本らしいサッカー」が確固たる自信が持てるほどには成っていなかったからだと思う。
自分たちのスタイルはこれなんだという自信を獲得するには、まだまだ経験不足。今回のアジア杯が最初の試運転の場だったのだから、自信がもてないのはあたりまえなのだ。

最後のPK戦で、羽生選手がはずしたのがその象徴のような気がする。

羽生選手以外のPKを蹴った選手たちは皆、大きな舞台での負けを経験している。その恐怖と屈辱から這い上がってきた経験を持つ。
極度に緊張する大舞台でのPKを経験していない羽生選手はボールの設置のときから迷いが見えた。観戦している私たちが、蹴る前から負けてると感じてしまった。サドンデスでのPK戦の最初のキッカーにするには少しかわいそうだった。
それでも、これで羽生選手はさらに強い選手になっていくと思う。Jリーグだけでは経験できない大きなダメージを経験し、打ちひしがれながらも乗り越えてきた川口、中澤、中村俊、高原たちの強さの源を知るきっかけになっただろうし、自分もその中に一歩踏み入れることになった記念すべきPK戦だったと、後で話せるような強い選手になっていってくれるだろう。

オシムジャパンはまだまだ羽生選手の段階だったのだ。


以前読んだ木村元彦著「蹴る群れ」の最初の章が「イラク代表随行記」だった。
当時(2004年~2006年)のイラク代表は、内戦状態の国内で練習ができず、ホームは1000キロ先の隣国カタールのドーハに置かれていた。代表選手たちはバスでイラク国内から隣国のドーハまで移動して練習していたという。朝早くにバスでドーハまで移動し、きっちり2時間の練習をするとすぐにバスに乗って、明るいうちにイラクのそれぞれの自宅に戻る。暗くなると身の危険にさらされるからだ。
このような状態で練習を続けてきた代表なのだ。そしてこのチームには、国内では敵対しているシーア派やスンニ派だけでなくクルド人の選手もいる。
今やサッカーチームの中にしか「イラクのあるべき姿」は存在していないのかもしれない。
「イラクのあるべき姿」は、失点ゼロの負けないチームだった。
決勝ゴールを叩き込んだユーニス・マフムードも1000キロ移動のバスに乗っていた選手だった。


日本対韓国の3位決定戦を見ながら感じたことは、スタッフの闘志の差だ。
退場になった韓国の監督、コーチがなかなかピッチを去らなかった。最後の最後までその判定に抗議していた。
延長戦、PK戦になると、フォンミョンボコーチは、チームのところに戻ってきていた。これはルール違反だ。フォンミョンボコーチは、制裁覚悟で戻ってきたのだろう。決して軽い制裁ではないはずだ。それでも勝ちたい、勝たせたいという強い意志は、選手たちに伝わっただろう。コーチの覚悟は選手たちを奮い立たせたと思う。

片や日本は、PK戦になると、監督がピッチを去る。選手たちは戦場に取り残された孤児のようだ。日本のコーチたちはどのような言葉を選手たちにかけたのだろうか?それよりなにより、反町コーチはすでに前のゲームから日本に帰っていたではないか。確かにU-22があるかもしれない。しかし、決戦の場にいないコーチに何の意味があるのか。
フォンミョンボのように、選手の心をもったコーチが日本にはいないようだ。日本のコーチは指導者の顔しかないのが残念だ。
韓国戦に負けた要因はいろいろあるだろう。反省は選手ばかりでなく、スタッフもする必要がある「我々はどれほど選手をサポートできたか。彼らのモチベーションを下げるような要因を取り除くことができたか、選手を最高の状態で送り出すことができたか」と。そしてチームに大鉈を振るうのであれば、選手ばかりでなくスタッフも含めてやって欲しい。


8月になると欧州各国のリーグが始まる。
中村俊輔のセルティックは、8月5日が開幕戦。対戦相手は、俊輔とは相性のいいキルマーノックだが、セルティックのストラカン監督は俊輔に数日の休暇をくれたようだ。さすがだね、ゴードン。

2011年のアジアカップはカタールで行われるらしい。
暑さやラマダンの関係上1月の開催をカタールは主張しているようだ。日本側は、1月はJリーグのオフの時期になる。大切な選手のオフの時期にゲームをさせるわけにはいかないと言って反対しているようだ。確かに1年間の疲れを取り、心身のメンテナンスを行うオフは、きちんと取らせたいと思う。
しかし、ちょっと今回に目を向けて欲しい。欧州組の中村選手や高原選手はこのオフの期間をすべてアジアカップの日本代表に使ったのだ。彼らは心身のメンテナンスをする暇もなく、異国での長い戦いに挑むことになるのだ。海外組だって人間なんだよ。彼らへの心配りも忘れずにいて欲しい。


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