見出し画像

愛情には二つの段階があるのではないか?


こんばんは。流です。
1人アドベントカレンダー5日目は「愛」についてです。

ちなみに僕がこのようなテーマで何かを言ったり記したりするのはすごく珍しい、いや、初めてだと思います。

だから今回は微笑ましく読んでいただければと思います。


さて、早速本題に入りますが、
僕は「愛情」というものには2つの段階があるのではないかと思います。

誰かを愛している状態と聞いて、
どんな状態を思い浮かべますか?

その相手のことを四六時中考えられて、
その相手のことをどこまでも大切にできる

そんな状態でしょうか?



僕は、これが愛情の一段階目なのではないかと思っています。



では、二段階目とはどういう状態か。

他の人の中に「その相手」を見ることができ、
その相手を通して「誰のことでも」大切にできる

こう言う状態を、僕は愛の二段階目だと思っています。

例えば、公園で知らない子供が迷惑行為をしていても、
その相手を見ながら「自分の愛する子供が同じことをしていたら」と、
知らない子供の中に「自分の愛する子供」を見ることができ、
結果、自分の愛する子供にするのと同様の対応ができる。

店員さんによる粗相を受けた時に、
「自分の愛する人が仕事先でお客さんに迷惑をかけていたら」と想像し、
その店員さんにも感情があり事情がある1人の人間であることに気づける。
そして大切にできる。

全く知らない誰かとの間で何かが起きた時、
全く知らない誰かが困っていた時に、
自分の愛する者の存在のおかげで、
相手を選ばず大切にできる。

誰かへの愛をきっかけに、愛情の注ぎ先が社会全体になった状態が、
愛情の二段階目なのではないかと思っています。

この二段階目に入ってくると、
世の中の全てが許せるような気がしてきます。
僕はイライラすることは多くても、怒る(ブチギレる)と言うことは年に数回もありません。

これは、別に僕がいい人なのではなく、
非常にありがたいことに二段階目で生きていられるからだと思います。
それだけ多くの素敵な方々に囲まれて生きているので、
見ず知らずの誰かに、身近な誰かを投影できるからだと思います。


だからどうしろという訳ではありませんし、
二段階目を目指そうと言う話でもありません。

ただ、みんなが二段階目に入れた世の中を想像すると、
すごく気持が良い。
そんな世の中を作れたらいいなと思いながら、
今晩も目の前の仕事に向かおうと思います。





この記事が参加している募集

noteのつづけ方

サポートいただいたお金は、 自分よりお金がない学生や後輩のために使わせていただきます。