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アフター・ザ・自己実現。未来予想図の先へ。

長い間追い続けていた将来の夢が、とっくの昔に叶っていた。
ずっと悩んでいた問題が、実はすでに解決していた。
もしそんな事が起こったらどうですか?最高ですよね。

それ、ほんとに最高かな?
いや、やっぱ最高だよな。

私は1978年生まれの43歳です。WEBディレクター、マーケターです。
子供の頃から美術や漫画や映画や音楽などが好きで、そのようなことを生業にできる将来を夢見て、新潟のクソ過疎地で育ちました。
1995〜1997年頃は高校生でした。デバイスで世代を表現するならポケベル世代ですね。持ってませんでしたけどね、ポケベル。映画はタランティーノやウォン・カーウァイの時代。北野武のHANABI、トレイスポッティング、ハーモニー・コリン。雑誌はロッキンオンから出てる音楽誌にCUTやH。宝島社はsmartとかminiとかzipperとかの時代。ファッション誌は平川武治の「ジャップ」とか、ストリートスナップは「ストリート」とか「フルーツ」とかの時代。カルチャーはスタジオボイス、ワイアード。川勝正幸。ファッションはアントワープ6の時代。ウォルター・ヴァン・ベイレンドンク。国内でもドメスティックインディーズブランドがいっぱい。20471120、アンダーカバー、栄養失調の勃起。裏原宿。音楽はUKはOASIS、ブラー。ジャミロクワイ。ビルボードではボーイズⅡメンが13週連続1位。ホイットニー・ヒューストンからマライヤ・キャリーへ。チャートはR&BとHIPHOPに染まってゆく。国内は小室とエイベックス。奥田民生。ダウンタウンと坂本龍一。ゲイシャ・ガールズ。渋谷系。電気、スチャダラ。デザインやグラフィックアートも多様で、立花ハジメの信用ベータ、TVのアートディレクターは田中秀幸、CGは谷田一郎、モーションタイポグラフィはデザイナーズリパブリック、TOMATO、カイル・クーパー、代官山に信藤三雄のCTPP、京都はグルーヴィションズ、ヒロ杉山はエンライトメント。ミュージックビデオはミシェル・ゴンドリー、スパイク・ジョーンズ、マーク・ロマネク、ジャンバプティスト・モンディーノ。ストリートカルチャーは、建築では、、アートでは、、言い出したらきりがない。私の高校時代はこういう情報で頭ギッチギチです。カルチャー全方位フォロー体制で日々を過ごしていました。時代まだ90年代。パソコンもインターネットも無い。情報源はTV・ラジオ・書籍・広告だけ。

10代も年頃になると、高校の先生に進路を聞かれるわけです。

先生「将来、お前はどうするんだ?」
私「FBI心理分析官になって異常犯罪者のプロファイリングをしたいです。」
先生「・・・おお、なんだそれは。」

先生「そろそろ進路決めろ、どうするんだ?」
私「ピチカートファイブに就職します。」
先生「・・・おお、そうか就職か。大学いかないのか?」

私は周りの人間全員をナメ腐ってました。生活圏内には自分の言うことを理解できる人間は一人もいないと思っている、クソ生意気なクソガキでした。

将来の夢はどう見ればいい?どう描けばいい?
どうやったらアレにたどり着くのか皆目見当がつかない。
そうだ、とりあえず渋谷に行こう。きっと渋谷は世界一ギュッとした街だ。

そうして私は一浪して、渋谷のデザイン学校に進学します。
さぞかしびんびんに尖った連中が凌ぎを削ってひしめき合っているのだろうと思って、こちらもとっくにびんびん物語なわけですが、蓋を開けてみれば全然そんなことはなく、普通の子達が普通に学校に通っていました。

おはよう、おつかれ、
バイバイまた明日。

ちょっと、ふざけんなよおい。と、肩透かしを食らって落ち込んだ事を覚えています。

約束の集合場所に鎧武者の甲冑姿で登場したのは自分だけ。他のみんなは動きやすいカジュアルなスタイル。履きなれたスニーカー。

こうなっちゃうと、少しずつ、甲冑をちょっとずつ外してくよね。一個ずつ、ちょっとずつ、違和感ないように、音を立てないようにね。

何人か、槍や鉄砲を携えた足軽兵のような者もチラホラといて、お互いに目が合って会釈をするくらいのことはあったが、彼らも私と同じように、そっと具足を脱いで草の陰に隠したりしていた。

こうして渋谷に上京した田舎っぺ大将の一人暮らしが始まる。
時は世紀末1999年。私はちょうど20歳でした。

甲冑をタンスの奥に片付けたのもつかの間、この年「パワーマッキントッシュG3」というパソコンが発売されます。
これはとんでもない革命でした。

通っている学校にもパソコンルームがあり、このG3が何台か導入され、インターネットも使える環境になった。友人たちも、みんなパソコンを買いだしていた。学生の間では、高額なアプリケーションソフトのコピーや不正のシリアルコードが出回り、同級生や知り合い同士で不正コピーをして情報交換しながら夢中でスキルを身に着けていった。
このパワーマックG3の登場と、アドビのイラストレーター、フォトショップ、その他映像編集加工ソフト等の登場で、「誰でもデザイナーになれちゃう時代が来た」とまで言われたし、それは、本当だった。

さて、確認です。
将来の夢はどうなったでしょう?

例えば、子供の頃に描く「未来予想図」というのがあり、成長とともにその図には手が加えられていくとします。
ディテールを細かく書き込んだり、新しいキャラクターやアイテム、ファッション、建物や乗り物とかが書き加えられたり、部分的にカラフルに着色されてゆきます。そういうものです。
「未来予想図」は「2」になり「3」にバージョンアップしてゆく。
で、このパワーマックG3とアドビのソフトの登場で、そのバージョンは「未来予想図 ver.500」くらいまでぶち上がってしまったわけです。バージョン500はね、もう別物ですよ。別の図。最初の未来予想図がもう思い出せないくらいの別物。いままで避けて通れなかった、コツコツとした徒弟制の修行とか下積みとか順番待ちとか資金集めとか、そういうのぶっ飛ばしていきなり実践で戦える武器が全員に配られた感じです。
そりゃ撃ちまくるよね。もう一回タンスから甲冑を引っ張り出して着てさ、法螺貝とかも吹いちゃったりしてね、いざ鎌倉、関ヶ原ですよ。
「未来予想図 ver.500」は戦国絵巻みたいになっちゃってるわけです。
こうなったらもう止まんないですね。興奮状態ですから。
私は学校を辞めて、野原に飛び出します。

それから5年後、2004年。

この年はさらに凄い大革命が起こります。
インターネットのサービスが劇的に進歩します。
当時この変化は「Web2.0」と言われていました。
いままでのWEBが1.0だとして、いよいよ2.0にバージョンアップするぞ、と言う意味です。
バージョンアップといえば、私の「未来予想図 ver.500」は、このWeb2.0の衝撃とともに「未来予想図 ver.2万」くらいまで跳ね上がります。500から2万ですから40倍です。また全然違う図になります。

で、なにが「2.0」なのかというと、簡単にいうと、とにかく一般ユーザーの参加ハードルが下がり、インターネット内に膨大な情報が全世界からとめどなくインプットされるようになったのです。要するに、誰でも簡単にテキストや画像などをアップロードできるようになったので。特にブログサービスの一般化と乱立、mixiやフェイスブックなどのSNSの登場、あとはwikipediaの日本版公開と、掲示板2ちゃんねるも一般的に知られるようになった事で利用者数が大きく増加しました。Googleの日本語版もこのころようやくリリース、YOUTUBEも登場、アマゾンで買い物するのも普通になってきました。
iPhoneやスマートフォンこそまだ登場していない時代ですが、とにかくとんでもない情報インフラの激変です。

世界が変わる。

私はこの頃25歳。祖父母が残した廃屋同然のボロ家に住み着きながら、画塾の講師バイトをしながらフリーのデザイン制作の仕事や映像制作、イベント参加などの活動をしていました。ちょうど2004年にブログやSNS、YOUTUBEやポッドキャスト、ライブ配信など、一通りのWEBサービスを使い倒し、ああ、これは凄い、とても凄い、こうしちゃおれん。と、WEBに関わる業界にほぼ手ぶらで飛び込み、そこから15年くらい経って今に至ります。

あれから随分時間が経ち、スマホもSNSも当たり前になり、人間が将棋や碁でAIに負け、リーマンショック、3.11を経て、covid-19でリモートワークの時代。世の中のルールも価値観も変わりまくりました。

私自身はあれからなにか変わっただろうか?
なりたかった自分の姿には近づけているだろうか?

さて、もう一度「未来予想図」を確認してみる。
2022年現在のバージョンはいくつになっているのだろう?

確認してみると、意外なことに、2004年の「ver.2万」からバージョンアップされてない気がします。

私の将来の夢、未来のビジョンは「Web2.0」で止まっている。
これはどういう事なのか。

おそらく、2004年の「ver.2万」以降の世の中の変化は、私にとって特に大きな変化ではなかったのだと思います。
または、描いた将来像、未来予想図に現実が追い着いたため、もうバージョンアップする必要がなくなった、とも言えます。

これはつまり「夢が叶っちゃってた」ということかもしれません。

確かに、自分の手元で好きなものを作れるようになり、それを自宅から世界に発信できるなんて、あの頃の、田舎の高校生の自分にとっては夢のような未来です。おそらく、私の夢はずっとそれだったんです。

家から好きなように世の中に情報発信ができる未来。

もしも、今のようなインターネットという環境がなかったら、このように自分の言葉を、自分の表現を、世界に公開することなんて一生できなかったんじゃないかと思います。ほんの一握りの選ばれしものにしかできないことです。高校生のころは、この「ほんの一握りの選ばれし者」になるには、とんでもなく優れたものを作るか、めちゃくちゃ有名になるしかないと思っていましたから。

さらに、クリエイティヴとWEBが好きすぎて仕事にしてるし、それでちゃんと食えてるし、会社いい人ばっかだし、妻も子供も元気で仲いいし、体は運動不足で太り気味ですが、私は今とても恵まれた状況にあると思います。

長い間追い続けていた私の夢は、2004年に叶っていた。
たどり着きたかった地点が、向こうから勝手にやってきた。

これって、最高ですよね。
ほんとに最高なのかな?

自己実現が完了したら、人はどう生きるべきなのでしょう。
取り急ぎ、アイス食って、スーパードライ飲んで寝ます。

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