作品と人間性を同一視すべきか?

 ジョニーデップがある映画のキャストから降板したニュースを見た。

 どうやら奥さんに対するDVが原因でワーナー側から降板するようになったらしい。

 役者の人間性とか罪とかを作品と同列にするのは違うのではないか?ってこと。

 この前も伊藤健太郎がひき逃げで逮捕された。そこから出演作品の放送自粛や公開延期などが軒並みされている。彼と伊勢谷友介も出ている「とんかつDJアゲ太郎」は予定通り公開された。北村匠海が可哀想に感じる。ほんとに。

 それでも、やらかした役者が出ている作品は悪ではない気がする。

 アイアンマンのロバートダウニーJrは元々ドラッグ中毒にアルコール中毒だったしそれでもちゃんとヒーローを演じた。

 脱税してた芸能人がバラエティ復帰したのと不倫してた俳優が復帰するのとひき逃げしてた俳優が復帰するのとドラッグ中毒のスポーツ選手が復帰するのは何が違うのか?

 気持ちの問題か?

 こないだバラエティに脱税してた芸能人が復帰した時、苦情の電話が相次いだそうだ。そこまでの罪を求めるのか?一応この国法治国家なのにそんな感じで勝手に人が断罪してるようなことが多々あるような気がする。

 そんなこと言い出したらかつての作家なんて片端から人格破綻者しかいないし文豪ともなれば多少ぶっ飛んでなければあれだけのものは書けなかっただろう。

 となるとどこまでが罪を犯した作家や芸能人を許すことができるラインになるのか?

 個人的には薬と酒はまだ許せるけれど量刑的には軽い不倫とかは許せない。わからん。

 何かを許すって難しい。

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