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インスタント廉価品の海、ライムライトの距離感。

最後に飲んだ記憶がいつになるのか分からないクリームソーダ。

喫茶店かどっかで見たことのある、緑の着色料がしっかり入ったソーダに乗せられた丁寧な丸いバニラアイス、おまけにちょこんと添えられたシロップ漬けのチェリー。

ぶっちゃけどの辺がクリームでソーダなのか分からないアレを作ってみた。

プリンアラモード、アフォガード、パンナコッタ。一体どれが何を意味しているのかすら分からないスイーツの文脈をガン無視した、濃厚豚骨チャーシューメンのように無骨な『メロンクリームソーダ』だ。

今夜はブギーバッグでお馴染みの、大学生のカジュアルな夜を彩るほろ酔いを、こんなんジュースやんwとイキるためのジュースをグラスに注いで、冷凍焼けしていたバニラアイスを浮かべる。

SNS映えしそうなお手軽なそれっぽい概念は、別にそこまで美味しいわけではなかった。普通だ。

本物に触れる機会が減っている気がする。

別にオーセンティックなバーでしか酒は認めないとか、そんな話ではない。

何かにつけて「それっぽい」しか触れていない気がする。というそれだ。

コンビニでは燻製液に潜らせただけの燻製風味のチキンを買っているし、インスタではハイブランド風の服の組み合わせを見ている。

今だって、ふと思い立って普通な普通のクリームソーダのようなものを作って、充実している土曜日を証明すべく、半ば義務感に駆られてストーリーに投稿した。

SNSといえばTwitter。それかLINE。それくらいの生活をしている。

どうもインスタはキラキラすることを強いられているような気もするし、くすんでいる自分が何か投稿するのは息苦しい。

他者の承認が欲しいのかと考えるとそうではないし、だからといって消してしまうかとなると、そうでもない。

フォローとフォロワーの数字でしか繋がっていない人との繋がりを保つべく、義務の気持ちで何かしらの投稿をし続けている。

幸福感の納税。幸福であることを満たされる、あるいは同等の幸福を見て安心する。高低差のすごい土俵でする背比べをし続けているような気がする。

彼氏や彼女はアクセだし、誕生日をホテルに風船を並べて祝ってくれる友達はステータス。

花火がついたパフェが出てくる鉄板焼きはどれくらい自分を愛してもらえているかのボーダーライン。

くだらない。茶番だ。

理解のある彼氏、理解のある彼女。例え世界が敵になっても味方だと血迷った安心をくれる錯覚を並べるのがSNSなのだとすれば、やっぱり自分は人の怨念の最終処分場のTwitterがやっぱり居心地がいいのだろう。

定期的に更新される「サイゼデートの是非」に「クリスマスの4℃」。風物詩と化した発達障害の私を愛してくれる理解のある彼氏。

それでも、その茶番を茶番と割り切って楽しめているインスタの住民の方がきっと人生は楽しいに違いない。

近くで見える悲劇を遠くで喜劇に変換できるのがインスタ村を生きる条件で、近くの悲劇をどれだけ茶化せるかがTwitter海溝の深海魚としての生き方なのだろう。

そうやって今日も結局、何人自分の満たされてるストーリーを見てくれているのかを確認すべく、閲覧数の部分をタップすることでしょう。39人が自分が幸せだと許してくれているらしい。

チャップリンが今この状況を見たら、どんなことを言うのだろうか。

幸せです。幸せ。

まさしくほろよいで書き切った今日のnoteでした。

幸せですか?私は幸せらしいです。

とっくにほろよいはアイスと氷で薄まってジュースと化した。いい土曜日です。

とりあえず今日はこの辺で。

良い夜をお過ごしくださいまし。

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