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「虚無る」を嗜む

副反応が終わった朝、普通に大学に行って普通にご飯を食べて普通に帰ってきて風呂入ってました。

72時間ぶりくらいの風呂、体が溶けるかと思った。

多分爪先あたりは溶けました。

風呂は日本の文化と言われているらしく、全裸で胸も股間も他人に晒す文化は海外では理解されないらしい。

混浴文化はあっても男女もれなく水着を着てプール感覚で風呂とか温泉に入るそうな。まぁ日本に住み続けていても混浴に行ったことはないし男同士で裸を晒し合うことは全然抵抗はないけど女性の前で裸になるのはどこか抵抗がある。女性も然りだろう。

思い返せば長い間温泉に入っていない。温泉に行きたい。温泉。

いや、そういえば3月くらいに入ったな。まぁ半年くらい入っていないから実質長いこと入っていないにカウントされるだろう。

ただのお湯とは違う、どこか特別なお湯。鉄分だとかミネラルだとかそんなものとは違う薬物的な何かが入っているのではないかと思わせてしまうあのお湯。

宝くじが当たったら家にも温泉を引きたいと思ったけどよく考えたら出っ放しの温泉の管理絶対めんどくさいからやめておこう。

風呂が好きだ。風呂が好きだというよりも何も考えない時間が好きなのかもしれないと最近は思い始めている。

「虚無る」と言われる言葉があるそうな。

虚無、何も存在しないことや雲ひとつない空を指す言葉らしく、何もないみたいな感じに聞こえるかもしれないけどよく考えたらこれっていいことなのでは?と感じてしまう。

スマホを見ているわけでもない、何かを考えることでもない、その行為そのものに集中しているわけでもない、何もしないことをする。その行為が自分を助けてくれている気がする。

例えば最近だと煙草を吸う時がそう。吸い始めて1ヶ月そこらのキッズが言うことで説得力がないかもしれないけど、あの瞬間はどこか自分を縛るものから解放される気がする。

火をつけてから漫然とフィルター近くを燃やす瞬間まで、何も考えないを楽しめている気がしなくもない。

千鳥の大吾も言っていた。あの瞬間は何もしなくていい時間なのだと。

思考の切り替えのタイミングとして楽しむ煙草、健康上の問題とか副流煙とかの問題が挙げられているけど当事者としては分煙でいいんじゃないかなとは思っている。

ここ最近の孤独を推奨する世界に変わっていくなかで、孤独を受容できるか否かでその人が今の世界を楽しめているかの瀬戸際になっているように感じている。

1人でご飯を食べることは悲しいことのように言われていたのに、今となっては「孤独のグルメ」が凄いものと言われている。面白い世の中だ。

おひとりさまが受け入れられていく世界で、これからも孤独を愉しむことを許されるのだろうか。

死んだ目と言われながらも、これからも禁煙を目指すまではもくもくと虚無と共に生きていきたい。そんなことを考えながら風呂に浸かっていた。しっかりnoteのことを考えていた。

どこか本末転倒な気もするけど、多分合ってるのだろう。

今日はそんな感じで終わろうかと。

明日はサウナに行ってきます。

ではまた明日。おやすみなさい。

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