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『人脈』って、何?

人とのつながりについて色々考えたり、インスタで自分の考えとか足りていないところをメモしていた投稿を見たりして、『人脈』という言葉について考えていた。

「人脈を広げる」という言葉がある。

自分と誰かとのつながりを広げるということを「人脈を広げる」と表すのなら、自分もそれなりに人脈が広がりつつある。大学だったり、前からバイトしてる店長のお知り合いの不動産屋さんの社長だったり、業界では有名な塾の社長だったり、そのほかにも色々な人との「つながり/人脈」がある。

でも、この「人脈」の言葉が、どこか一方的に感じてしまうようになった。

ポケモンの図鑑を埋めていくように人とのつながりを求めることを「人脈を広げる」というのなら、それは間違っているだろう。

いつからこの人脈が重要視されるようになったのかは分からないけど、SNSの発展と一緒に遠く離れた人とも繋がれる人脈の広がりのスピードも加速したのではないだろうか。

そして、この人脈というものがいつの間にか自分自身のブランディングの一つとして利用されるようになっているのではないか。という推測をしている。

それはきっとかつての江戸時代とかから続いている天皇家献上品とか幕府謹製みたいに、「すごい人が使っている」という付加価値をつけていることにも通じるはずで、現代では「こんな人が自分を知っている」ことがアピールされることになっているのではないのだろうか。

で、問題は人脈を広げようとしている人たち、いわば「人脈コレクター」たちがしていることは、既に有名な人やすごい人に向かって、自分自身の悩みだとか提案だとかを伝えてアドバイスを求める。

あわよくばもっとすごい人に繋げてもらえるかもしれない。みたいな見え透いた期待だってあるだろう。

求められた「すごい人」たちにしてみれば、特にこれといって旨味はないだろう。

大したこともできないしやっていないその辺の一般人がなぜか自分のところにやってきて「こんなことを思ってます!」とか言われても、「あ、うん。そうなんだ」くらいしか思えないのではないだろうか。

すごい人からしてみれば、意識が高いだけの人に自分自身の何かを提供しているだけで、実質的なメリットは何もない。

意識が高い人は、一体何をすごい人に差し出せるのだろうか。

例えば、何か意識の高い人から話を聞かされて興味があればうちの会社でそれをやらないか?みたいに青田買いできるかもしれないけど、ただ意識が高いだけのこの前覚えたSDGsの文字を使いたいだけの人間は何を対価にしてくれるのだろうか。

そして、自分も「人脈を広げる」とかの言葉は使っていたからこそ思ったけど、「自分は何を差し出せるのか」を考え直す機会になった。

あの有名なスティーブ・ジョブズのスピーチにある「点と点が線になって……」みたいな話にもあるけど、誰かとの出会いと誰かとの出会いが繋がって重なって生まれるものが人脈であって、マイルストーンのようなものでは決してない。

誰かと繋げてもらった。繋がった。それはいいことだし、ラッキーなことだろう。存分に利用すべきだ。

でも、そこで享受することに甘んじているままではいけないのかもしれない。

「何かをやりたい」と夢だとかそんなやつを語るだけではなく、「これだけのことができます!」を語ってビジネスなりムーブメントを起こすことの方が、強いし美味しいのではないだろうか。

ご縁を見つけて誰かとつながることが難しくなっている今の時代に、相手もプラスで自分もプラスになる。

その関係を構築できるよう成長したいものだ。

そんなことを考えた。

きっと自分は「人脈」の文字に違和感があったわけではなく、あってないようなつながりを「人脈」と呼ぶ薄っぺらい人間に対して違和感があっただけなのかもしれない。

やりたいことをやれるように具体化して、さらにそれが実現できそうな人にきちんと伝えられるようになることが課題になった気がする。

そうか、相手にとっての人脈になりうる存在になればいいのか。知らんけど。

そんな感じで今日のnote、2本目は終わりです。

今日は最初に暗い話をしてしまったので、禊としてちょっと意識が高いことを考えて書いてみました。

ではまた明日。

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