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学校のスキー学習にもの申したい

雪国の学校では、スキー学習、またはスキー遠足なるものがある。

一般的な使い分けでは、「スキー学習」はスクール形式で習う、「スキー遠足」は現地では自由ということが多い。
これ本当にやるべき?と、感じる部分があるので、ここに書いておこう。

北海道民は必ずスキーに乗れるという勘違い

本州以南の読者が多いかと思うので一応ことわっておくけど、雪国の人が全員それなりにスキーに乗れるというのは大きな勘違い

北海道は想像以上に広く、植生も生息する野生動物も変わるほど、自然環境も違う。したがって、雪の降り方も、白くなる程度のところから、家が埋まるくらいの地域がある。

例えば北海道最大の空港はなぜ札幌市ではなく千歳市にあるかといえば、雪が少ないということも大きな理由だろう。お隣の苫小牧市も同様で、内陸の人が見たら、冬とは思えない景色だったりする。

苫小牧や釧路は小学校から全くスキーをやらず、ほとんどの学校では校庭にスケートリンクを作る。したがってアイスホッケーなんかは強豪揃いだが、スキーには乗ったことがないという人もいる。

そしてもちろん、小学校からスキー学習をやる地域でも、ほとんど滑れない子がたくさんいるのだ。

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金がかかる

では、学校のスキー学習の何が問題かというと、第ーに金がかかる。

バブル時代はスキー道具なんてたいした高いものではなかったかもしれないけど、今や家計の状況を考えると、負担の割合はけっこう大きい。

うちのように3人いて、健康であれば毎年身体はデカくなる、道具もそれに合わせて用意しなければならない。子どもだけでなく親も一緒にやる場合は、親の道具も用意する必要がある。

スキー板、ビンディング、ブーツ、スキーウェア、帽子、手袋は最低必要。
最近はヘルメットが主流だし、リフトに乗るレベルなら、幼児でもゴーグルくらいないと可哀想だろう。5人家族でいくらかかるのか想像して欲しい。

さらに、親がスキーをやらない場合や運動が苦手なのにスキー学習対策で、民間のスキースクールに通う子も多い。これだって安いものではない。

当然だけど、家族で近所の山に日帰りスキーに行くと、ガソリン代やリフト代に加えてスキー場で一番安いカレーでも食べよう物なら万金がかかる。

お父さんのゴルフ代より安いでしょ?という理論が通用する時代ではない。

スキーが趣味の家族ならいいが・・

最近だと、親は若い頃からボード派だというのに、スキー学習のためだけにスキーを用意しなければならないという事もある。

そもそも、家族全員運動が嫌いな文化系なのに、スキーを用意しろというのは酷な話。お金の問題だけではなく、スキーが乗れるようにまでの苦悩は、大変なものだと思う。

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学校のスキー学習って?

小学校ですら、あまりに格差が大きいので、かっこいいターンを練習するグループから平地を歩くグループまで、いくつかのレベルに分けられる。

これって、昔からの慣習で当たり前みたいにやってるけど、たとえば算数の時間に、同じ学年の子が「今日のAグループは素因数分解を教えますが、Dグループは足し算だけやってばいいです」なんてことになったらけっこう大問題だと思うけど、スキー学習では普通の景色。

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運動会は、足が速い子もそうでない子も、クラスで勝てるとか、運で勝てるという競技があるのでまだ救いがあるように感じるが、スキーのレベルわけは、完全に個人のレベルでわけられるのでなかなか残酷だと思う。

しかも、もっと酷いと思うのは、たった2回ほどのグループレッスンをやるだけで、もちろん小学校の先生はスキー指導の専門家ではない。

だから学校のスキー学習だけで、平地しか歩けない子が、そこそこ滑れるようになったり、中程度だった子が、ショートターンでばんばん滑ったりという奇跡はおきない。高学年になるほど格差が広がるのは必然である。

学校は評価する

以前、うちの子が通う小学校の先生とちょっとその話をしたことがあるけど、小学校とはいえ、通知表で体育の評価をしなければいけない。スキーも他の教科と同じで、いくらその子なりに頑張って取り組んだということが認められても、上手な子、普通な子、下手な子がいた場合、基本的にみんな真面目にやっていれば評価はその通りの順番になる。

現場の先生が疑問視していたのは、学校で教えられることが限れていて、評価はほぼ家庭環境に依存するということだ。

つまり、成績は子ども本人の努力はほぼ介入せず、親次第。経済的な余裕があったりスポーツマンかどうかということに依存する。

家庭環境次第

経済的なことにしても、家族がスキーを好むかどうかということも、子ども自身が選択したり、努力したりするのは難しい

それにもかかわらず、子ども達は学校の友人関係でも優位に立ったり、落ちこぼれ扱いされてしまう。しかも、先生もその通りに評価せざるを得ない。

どうせやるなら、例えば、かけ算九九の練習のように、全員が一定水準をクリアするまで学校でじっくりやりましょうというならまだわかる。自由に練習するために、小中学生は全道のスキー場がタダというならまだわかる。親がやらないならスキースクールの費用が自治体から還付されるというならまだわかる。

そういう対策は無しに、家庭環境に依存するスキーの出来、不出来を学校にさらしにいく機会というのは、本当に必要があるのかというのは、甚だ疑問である。

どうすれば上手くなるか

持ち前の運動神経とか、基礎体力(とくに足腰の筋力)なんかの要素もあれば、教え方が上手な先生に習うということもあるだろう。

ただそれはオリンピック選手になりたいなら、努力だけでカバーできないことも多いが、素人が楽しく滑るというレベルで話をすると、うまい下手に一番差がでるのは、スキーに行った回数である。

パラレル・ターン(通称パラレル)という初心者が憧れる滑り方がある。板をハの字に広げず、板を平行に、足を閉じたままという滑り方だ。パラレルができるというのは、うまい下手をわけるひとつの壁と言っても良い。

あるスキー指導の専門家の話で、平均30日スキーに行けば、パラレルができると聞いたことがある。

この30日という数字はけっこう当たっているという印象を受けた。ワンシーズンに1日程度なら大人になっても出来るようにならない。ワンシーズンに10回行くような家族なら、小学校低学年でも華麗なシュプールを描いている。幼児の頃から通算30日と考えたら妥当だろう。

僕自身はたぶん3歳くらいから1人で滑るようになって、小さい頃は年に2回ほど、大きくなると4,5回という年もあったが、6年生~中1くらいにパラレルが出来た記憶がある。やっぱり30日くらいだろうか。

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学校の話に戻ると・・

うちの子が通う小学校の場合だけど、ワンシーズンに半日のスキー学習が2回。「パラレルまで30日理論」を拠り所とすると、上達の機会にするにはほど遠いということがわかるだろう。

実は一番問題だと思っていることを最後に挙げておく。

スキー学習について「どうして今年も疑いなく続けるのか。」と、もし、学校や教育委員会に問いかけたらなんていう答えが返ってくるだろう。口に出すかはわからないが、「気にしたことないけど、昔からやっているから」と、多くの関係者は思うのではないだろうか。

冬の体力作りなら体育館でも、グラウンド雪遊びでもできる。雪国の文化だ!というなら、そこそこ雪が降るのにスキー学習のない地域はどうなってる。

第一、ここ江別市というところは、市内の公園の山(17.5m)が市内最大の山で、スキー場といえば100%市外なのだ。

スキー学習の悪口ばかり書いたが、メリットが一つも無いとは言わない。ただ、諸々のデメリットを考慮して、それでも本当に授業でやるべき?と、思っている親は多いと思う。スキー自体に罪はない。家族で楽しめるなら、家庭毎に大いに楽しんだらよいではないか。

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