見出し画像

もののまわりなんだなぁ

我が家には、友人の作った由緒ある鉄瓶が2つもある。
だが、もうずっと、キッチンの棚の奥にいる。なかなかそこから出てこない。もちろん、出してくるのは僕だけど、もちろん、購入したのも僕だけれども、ずっと使っていない。なぜなら、

鉄瓶の友達が我が家にはいなかったからだ。

誰も、彼と遊んであげていない。
誰も、彼と普通の日常を過ごしてあげたりはしていない。だから、彼は僕の家には来たけれど、それまでだった。彼は「購入」されただけだった。

もちろん、僕の家に来ることになるきっかけは「店」にありました。
作っている人が説明してくれて、作っている人が制作の現場を案内してくれて、そんな感動的な買い方ってないじゃない。その人の表情、話し方、
仕事の丁寧さ、購入を決めた時の満面の笑み。

この鉄瓶を買えば、この人と繋がって、この鉄瓶が
僕の家にひとつ、大きな文化的な生活をもたらしてくれる。
そう思って思い切って購入しました。

手入れの仕方も本人から教わり、購入した後も、お茶を鉄瓶で入れてくれて、それを飲みながら、その仕事場の鉄臭い感じ、そのライブ感が多分、家に帰ってもずっと続くと思っていた。でも、

続かなかった。

なぜなら、僕が、その感動と一緒に家に帰り、買ったところでの一つ一つを再現するかのように、彼を使ってお茶を沸かし、それを一口飲んで、大満足して、お風呂に入り、布団に入って寝て、翌朝も、彼を意識したけれど、彼を使ってお湯を沸かしたけれど、なんとなく、これがずっと続くとは思えなくて、でも、せっかく感動しながら手に入れたのだから、きっとこれは使っていかなくてはならないものなんだと、思って、翌日も使ってお茶を飲んだ、けれど、少し「頑張って」使っている感じがあって・・・・・。

それから1か月が経ち、彼はキッチンの棚の奥の方に行ってしまいました。
なぜなら、彼には友達がいなかったのでした。
主人である僕が、例えば「お茶」を習っていて、お抹茶や火鉢やお茶碗があって、しかも、それを定期的に使う習慣があったら、鉄瓶の友達は最初から家にたくさんいて、彼のことを歓迎したと思う。けれど、そういうことは、僕の家にはなかった。だから、彼は、孤独なまま、生まれた場所にも戻れず、新しい家の邪魔にならないところで、そっとするしかなかった。

多くの、「買い物」とは、そんなものじゃないかと思うのです。
買ったあなたの家の環境次第で、買ったその彼の友達などいなかったり、
自分の生活の中に彼が活躍する気配や、もともとそういう生活をしていないと、ただの「買い物」でただ、購入されただけということになってしまう。

僕の家には、鉄瓶だけじゃなくて、そんな「友達のいない」ものが、たくさんあります。つまりものを買うとは、

買った自分が忙しくなったとしても、その友達が、ほっておかない生活環境がないと、購入したそのものは、孤立してしまう、ということだと思う。

ものを購入することで、人は変われると思ってしまう。
成長できると思ってしまう。

しかし、本当に成長しようと思ったら、その"もの"のまわりを丁寧に整えていく意識が、まず、必要だと思う。

ものには、まわりが必要なのだと思う。

その"もののまわり"にあるものとは、まず、「背景」である。
わかりやすく言うと「産業」である。

どんなフィールドで生まれたのか、どんな業界、どんな産業の中で生まれたのか。そのものの背景を知ることで、そのものが住むジャンルを知ることで、そのものに一段と感心が湧くし、まわりに暮らす、そのものの友達の人生も気になり始める。そのものを購入するということは、長らく続く、そのものが生まれ住む環境に関心を寄せるということである。
そのものの友達を意識できる。

次にずっと飽きずに、ずっと使い続けた方がいい、としたら、定期的にそのものを使って楽しむことが必要となる。
僕はそれを「四季を楽しむ」としてはどうかと思っている。

購入した場所や作られた場所で、少なくとも年4回、四季を感じて
その商品を楽しむ。それが用意されていたら、そのものを通じて、自分の生活が変わるかもしれない。いや、自分ではできないけれど、また、自分の生活の中にそうしたことがなかったとしても、
年4回、それを購入すると参加できる会があって、その交流に参加していくうちに、自分の生活の中にそれを使った素敵な上質なものが入り込んでくるかもしれない。


そして、3つ目は「仲間」。2つ目のことを実際にやっていくと、自然と仲間と出会い、交流し、対話する。使い方がわからなくなったとしても、自分と同じものを持っている仲間がいるということは、とても勇気になる。


そして4つ目は「手入れ」。手入れし続けることで、自分の人生道具に思い出の経年変化が宿る。茶碗を落として割れたとしても、頑張って仲間に聞きながら手入れをすることで、まるで新品を手に入れたようなワクワクする気持ちになる。
新しくものを購入する時は、舞い上がっていてとにかく早く購入して、家に持って帰りたいと思う。けれど、1週間も使っていると次の新しい何かがきになるのが人だと思う。

古く使い古したものは、新しいものに勝てないのだろうか。

それを決めるのは、購入したあなたであり、使ってきたものが、新しいものに全く劣らないと思うようになった時、その自分の変化、進化、成長に
ワクワクするのではないかと思う。
人が成長するように、ものも成長する。それはあなたによって成長させてあげることができる。あなたの思いが、ものに伝わり、そして、あなたにかえってくる。

最後は「旅」。そのものが生まれた場所を訪ねてみよう。
あなたに故郷があるように、
あなたが購入したものにも、故郷があります。作られた工場を見て、作っている人の表情を見て、自分の中にそのものの故郷を感じる。

近くに美味しいお蕎麦屋さんがあるということで、お昼はそこに。ついでに
B級グルメのお菓子があるらしく、そこにも行こう。
電車で山間を抜け、少し遠くのそのものの故郷を巡っていくと、いつの間にか、その土地が好きになっていく。それは、あなたが購入したものの故郷。
そこに流れるゆったりとした時間の気配が、自宅にかえってから、そのものから感じてくる。「君の故郷へ行ってきたよ、いいところだね」と思い合える。そのものを生活で使うたびに、その旅を思い出す。
もう一度、行ってみたいと思うかもしれない。今度は一泊二日で行ってみようと友達を誘うかもしれない。


約20年路面店「D&DEPARTMENT」をやってきました。

約20年前の2000年は、家具やアンティークなどのブームもあり、私たちは情報によってそうしたものを買いました。店での接客も「これは柳宗理というデザイナーのデザインです」と言えば、買ってもらえました。
そのものを使ってどんな生活が手に入るかということよりも、
有名デザイナーのものが欲しいという時代。


それが終わると、生産者の顔の見えるものを買いましょうという動きが、
グローバル化の反動から起こり始めます。
スーパーの野菜コーナーにも、生産者の顔写真とコメントが書かれたPOPが貼られていました。しかし、今、思い返すと、
この時も、その生産者に会いたい、会えるかもしれない・・・・などとは、
思わなかったのです。ただ、生産している人の情報が、少し体温を持ったようなことでしかありません。そして、


震災や自然環境、働き方の変化などにより、人は「簡単に手に入れられる」ものはWeb ストアなどで買い、そうではないものは、
じっくりとその土地の小さくて楽しくて、体温の通った音楽フェスなどをきっかけに、その土地で購入するようになっていきます。
ここで多くの路面店は閉鎖したり、規模を小さく変えたり、Webストアに専念するようになっていきます。

「D&DEPARTMENT」の大阪店、福岡店、静岡店を閉店したのは、そんな状況からで、ここで無理に続けることの不自然さを感じ、思い切って未来の予想図を書きながら店を閉じ、これから先もD&DEPARTMENTを続けるのか、続けていいのか、それをみんなで話し合い、一つの結論を出しました。



Webストアにできないことを路面店という実店舗でおこなっていく。
その新しい販売のスタイルが、「もののまわり」です。



ものは最終的に買ってもらいたいのですが、その前にその商品の「もののまわり」にあるもの、ことを紹介する。時には有料で勉強会をしたり、ツアーを組んでそのものが生まれた場所を訪ねたりする。
目標はすべての商品をそうして販売していく。



私たちが、デザイントラベル、食堂(食べる研究所)、ホテル、d schoolという活動をしてきたのは、これからの新しい路面店を作るためなのです。


ということで、これからは「旅」「産業」「四季」「仲間」「なおして使い続ける」という5つを必ず一つ一つの商品で行っていこうと思います。
何しろ、1,000、2,000もの生活用品を扱っていますので、急に全てというわけにはいきませんが、スクールやイベントなど、これまでやってきたことが、「もののまわり」という意識で一つになり、皆さんに楽しく継続的に、仲間とともに産業をも視野に入れて使い込んでいくような、そんな「道具」を使い続けられることを一緒にやっていけたらと思っています。


まずは、ひと月に1商品から。徐々にペースを上げて、楽しく新しい路面店の未来になっていきたいと思います。


さて、「もののまわり」始まりました。次回からは、具体的な商品の「もののまわり」をじっくり書いていきたいと思います。
そして、毎回、こうして終わった後のコーナーを、全く関係ないこと、いろいろ、書いてみたいと思います。

ということで、今回のここからは・・・・・
メルマガ(ナガオカケンメイのメール)に書いたことの中から、ずっと考えていることを切り売りします。メルマガを読んでくれている方は、読み進まずに大丈夫。

[つづける・一緒にやる とは]
最近、経営交代し、会社の役員会議にも、今度の社員合宿にも出ないように引っ込みながらも、自分が何が出来るのだろうと考えていた時、立ち位置を引っ込めるのと、何もしないのとは違う。そう気づきました。そして、今の僕が今の立ち位置でできることは何か、と、考えた時、スタッフと一緒に考えることじゃないかと思いました。



それは社長の経営を邪魔することなく、それでいて、まぁ、そんなことは到底、今からではできませんが、例えば店頭に立つことに匹敵するようなこと。ずっと続けていく、ずっとみんなで楽しくやり続けていく。それとは何かと考えていく時、関わり続ける。気にし続けるということだと思いました。「気にしている」ということをずっとやる。これが関係性の継続の最低限度なんだと思いました。
長らく特別なバージョンを制作して頂いた一澤信三郎さんにもお手紙すら書けていない。店頭に立つスタッフと食事会すらしていない。店のある県に来ているのに、店にも顔を出せない・・・・・。あらゆることは、関係性の積み重ねだと思いますし、それとは毎日が無理なら、定期的にでも何か一緒に考える。「一緒にやっている」とは、そういうことじゃないとそう呼べない・・・・・。
最近、立て続けに2つのお断りをもらってしまいました。「一緒に何かやりましょう」と誘い、打ち合わせもして、途中から担当者をつけ、その方が確実に事は進む。そう思っていましたが、結局、「一緒にやるって言ったじゃないか、ナガオカさん」ということなんだと思いました。担当をつけ、進行させることが「一緒にやる」と、どこか僕は勘違いしてしまっていた、そんなこともわからなくなってしまっていた。そう思ったのでした。フランチャイズパートナーとのことも、そういうことが当てはまる。僕とオーナーが一緒にやろう!!と言い、そのあとは、店長やら担当者が実際のオープンを目指す。オープン日にはオーナーは現れるけれど、店頭に立つわけでもなく、実際にそこにはいない。これは「一緒にやる」では、ないんだと思いました。
どこかでそんなに大きくもない会社組織を、まるで大企業のごとく勘違いして、細かなミーティングは担当者に任せてしまう。少なくともdはそんな大きな会社ではないし、本当に一緒にやるという状態ができる規模や成長スピードだと思うのです。担当スタッフに任せるのではなく、担当スタッフと一緒に打ち合わせに参加する。今、こうして書いていて、随分、そんな現場のことはやってきていませんでしたが、今一度、スタッフと「一緒にやる」をやってみようと思っています。思いの外、出張も多く、講演などに呼んで頂くこともありますが、できる限り「一緒にやる」状態を工夫しあう。そう考えると、そんなたくさんの人や企業、商品やお客さんと出来ないと思うのです。「知らない人」とは一緒になどできません。その規模感についても、考えなくてはなりません。今度、20周年を迎える東京店も、どこか「商品部」「店長層」「経営層」の壁の中で、分離してしまっているようなそんな感じに見えて、これは僕のせいだなと思いました。一緒にできない。これでは。正直、バタバタした日々の中で、ここに書いたような事は難しいとは思うのですが、それに対する創意工夫もしないまま、なんとなくの一緒にやるでは、続かないと思いました。僕は人の評価や働き方作りなどは、全く苦手ですが、まずは対話して、少しでも一緒にやってみようと思っています。

ここから先は

0字
D&DEPARTMENTの新しい商品の買い方「もの・の・まわり」を実験的に創業者である僕、ナガオカケンメイとライターの西山薫さんとで書いていくものです。

ロングライフデザインをテーマとして20年活動してきた「D&DEPARTMENT」で、これからの「もの」の「出会い方」「付き合い方」を考えた…

この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?