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25歳の誕生日に

25歳になりました。

でも今年は誕生日どころではない。正直、ちょっと悔しいです。

この数ヶ月で世の中は色々と動きました。「外出自粛」「休業要請」「お願いだから観光地来ないで」「帰省もやめて」……。前代未聞のことだらけ、私自身もてんやわんやな中で今年の誕生日を迎えたような気がします。

正直に言いますが、こんな状況の中で、悲観的な将来を想像することは私には出来ないなと思っています。SNSを眺めると、現在の状況を揶揄したようなジョークが少なからず出てきます。背景はもちろん、政府の対応の不信感、特に、この緊急事態宣言が行き過ぎた規制に繋がりかねないという危機感。それでも私は、「そうならなければ、良いけれどね」ぐらいでしか眺められない。
何故かと言えば、今の状況の中では絶望的な将来を考えるだけでも絶望だと私は思うからです。いや、私自身、暗い環境下において更に暗いことを考え、絶望するのが恐ろしいからでもあります。
私のこの25年間の歩みにおいて、絶望の上の絶望を考えることが恐ろしくなったことはたくさんあります。散々今ではネタにしている「2012年人類滅亡説」。アレが流行ったのは2009年から10年にかけてでしたが、この頃は私自身1番辛かった時期であり、世の中にも暗い雰囲気が漂っていた時期でもあります(そういえば、その頃のドラマはやけに陰鬱なものが多かった)。
その頃のトラウマは今でも癒せきれているとは言えないし、だからこそ今のこの状況も、やりきれないものがあるのだと、私は私を振り返って思っています。

かといって、明るい話題があるとも言えない今です。色んな変化が私自身にもありました。とてつもなく悩んでいます。「何処へ進むべきか、あぁまた分からなくなって来たぞ」と、頭を抱えることも近頃は多いです。

それでも私は、「明日はきっと良い日になる」と思いたい。10年前、いや最近まで私が「安易だなぁ」と思っていたこの言葉の持つ力を、今だからこそ信じたい。

世の中が「やり場のない怒り」に満ちている中で、私はどうやってその中を乗り越えてゆけるか。これからの1年は絶望から希望へと駆け抜ける、そんな1年だと思っています。幸せな日々よ、甦れ!

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