「AI崩壊」

「AI崩壊」

Amazon Primeを巡っていたらおすすめにでてきた邦画。

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引用 「AI崩壊」公式サイト


先日「人口知能とキャメロット」という記事を書いたばかりだったが、想像することは皆だいたい同じなのかも、と共感しつつ、現実はもうすこし悲惨なのでは、と思った次第であった。



「怠惰は美徳である」

プログラミングの勉強をしていたときに、出会った言葉で、「とにかく努力!」派だった自分には特に突き刺さる言葉だった。

これは「がむしゃらにやるまえに道筋を考え無駄を省け」という意味だと自分なりの解釈をしていた。


が、

この映画を見る限り、この言葉の本来の意味は、「プログラムを組んでいかに人間が楽をするか」というところだったのかもしれない。


コンピュータというものは、主にディレクトリ、つまり書類管理の一環として発達してきた背景がある。

インターネットもその延長上にある。


問題はその管理対象を「人間」まで含めて良いものかどうか、というところだろう。


生活インフラをAIに頼るということは、「人間がAIをつかっている」ように見えて「AIが人間を管理している」という状況になる。

裏を返せば、生殺与奪の権利をAI側に明け渡していることに他ならない。

これでは家で飼われているペットと同じである。


(ここからすこしネタバレ)

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引用 「AI崩壊」公式サイト







この映画では、具体的な人間の選別と「削除」方法までもが描かれていた。

なるほど、そうやって殺せるのか...と、かなりリアルに描かれていて、すこし怖くなった。

植物が獲物を捕食する方法などをAIが覚えてしまえば、もうすこし悲惨なことになるのかもしれない。

獲物はいうまでもなく人間である。

そしてそれは、自身の捕食のためではなく、社会維持と合理化のために行われるのである。



作者の意図かはわからないが、都心部とは対照的に地方都市はAIが普及しておらず、のほほんとした平和な日常が描かれていた。


「安心安全便利快適」を求め続けるのか、

自然と対峙しながら地に足をつけて生きていくのか、


この選択を現代人は迫られているのかもしれない。

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