外灯

昨日は新聞でみかけた蛍を見に、カメラを持って夜道を歩いた。

枯れた草の香りと湿気を感じて、夏だなぁとちょっと穏やかな気持ちになった。

写真はというと、まったくピントをあわせることができず、まともな写真がとれなかった。

唯一、撮れたのは自動販売機だけだった。


画像1



































「外灯が明るすぎる。」

心地いいスタートを切ったと思われた昨夜の散歩で、もっとも印象に残ったことだった。

もはや蛍どころではない。



見る人が見ると、「なに贅沢いってんだ、明るいに越したことないじゃないか」、とおもうかもしれない。

「ない」を前提にエスカレートしていけば確かにそう感じるかもしれない。


が、ものごとには「適度」というものがあると昨日は強く感じた。

外灯の光が強すぎて、目が痛い。

一夜明けたいまでもまだチカチカするくらいだ。

あの明るさは自然界には存在しない。


昔はぼんやりとした薄気味悪い、それでいてどこか不自然ではない外灯だった。

それはおそらく、光度が月と同程度、もしくはそれ以下のものだったからそう感じたのではないかとおもう。

自然の光源の明るさを超えていなかった。


しかし、昨日見た外灯はあきらかに、自然のそれを超えていた。


とはいえ、社会は自分を中心に設計されているわけでもないし、明るくて助かる、暗いより明るいほうがいい、という人の数のほうが多いのかもしれない。


画像2


人類はさまざまなところで自然を越えようとしている。

光が強くなればなるほど、その影も深く色濃くなっていく。


十分に田舎のはずだが、さらに奥地へとすすみたくなってくる今日この頃である。

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?
気軽にクリエイターの支援と、記事のオススメができます!
日々感じたことを綴ってく. | URLはポートフォリオサイト https://jun.kyoto |