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東京のベンチャーで働く傍ら、岐阜県郡上市で学んだこと

この2年、上場準備に勤しむ傍ら、関わり続けた岐阜県郡上市で学んだことをお伝えしようと思います。

この文章を書こうと思った理由は以下です。

・普段の仕事では絶対得られない学びだから伝えたい
・これからのビジネスマンには必要な学びだから伝えたい

上記の背景がありnoteにしたためました。

・自分は本当はどんな人間なんだっけ?

前日遅くまで仕事をした気だるい体にムチを打ち、満員電車に揉まれながら朝がスタートし、ビルに囲まれ、タスクに追われ、目標に追われ、、、日々忙しく過ごしているとつい忘れてしまいそうな、自分に関するこの根本的な問いの答えを探したい人には参考になると思います。

ハードなことが多かったこの2年、折れそうになりそうなことは幾度かありましたが、「自分は本当はどんな人間でどうありたいのか」自分の軸のようなものを何とか手放さず掴んでいたからこそ乗り切れたということもあり、それは郡上のお蔭だと思ってます。

郡上ってどんなところ?

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郡上市は岐阜県のほぼ中央にある、長良川の源流域に位置する街です。清流が真ん中に流れる水の街です。

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透き通るような清流と共に、生活や文化が成り立っています。どこに行っても美しい川の音が常時鳴り響きます。

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郡上八幡という地名は聞いたことある方いらっしゃるのではないでしょうか?郡上市の市街地である八幡地区は城下町です。
その城下町は観光用に造作されたものではなく、人が住み、生活が根付く城下町です。

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夏は、数日に渡り夜通し踊る「徹夜踊り」が有名です。

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郡上には美しい集落が多数存在します。
日本の原風景。宝物のような景観をもつ集落がたくさんあります。

郡上との出会い

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きっかけは、郡上カンパニーというプロジェクトへの参加です。
郡上の起業家と都心の人がコラボして事業を考えるプロジェクトで、2017年からはじまり今年は3期目になります。

あまり何も考えず酔った勢いで応募したら(笑)キャンセルできる雰囲気でもなく、こういうのは苦手なんだよなと思いつつ、修行だと思い心にムチ打ち参加しはじめました。自然や田舎にこれまで縁がなく、ましてや地域での活動など全く縁がなかったのですが、参加以降はハマってしまい、第1期(2017年)、第2期(2018年)ともに参加しました。そして、今年の7月から始まった第3期は運営スタッフとして関わっています。

川をめぐる旅

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郡上の自然の達人、由留木さんに郡上の川を辿る旅に連れて行ってもらいました。

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美しい川の音に耳を傾けていると、数字やロジックに支配されガチガチに緊張した心が解きほぐれ、自分は本当はどんな人間なのか?についてのヒントがふっと思い浮かびます。
人や物事を合理的に捉え判断するだけではなく、時には右脳で、体で、感じることを大事にする、子供なら当たり前にやってることが、改めてできるようになります。

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市街を流れる川をたどり源流まで行きます。
源流は奥深い森にあります。
獣の足跡があり、大木にかこまれ、虫が飛び回る森。怖い・・・
その先に広がる源流は気持ち良い冷たさで、見たこともないくらい綺麗な水です。飲んでみる、うまい・・・

自分もほかの生き物と同じ、動物なんだな、しかもものすごく弱い存在なんだな、ということを思い出します。

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人間という、他の生き物と対等な、一種の動物として自然に対峙してみます。
普段は支配しコントロールしている(と思い込んでる)はずの自然が、ここでは立場は逆転します。自然にのまれそうな感覚を味わいます。自分は無力で弱いひとつの生き物であることに気づきます。
そんな弱い自分にコントロールできるものなんて何一つないという当たり前のことに気付かされます。

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太い幹に四方八方好き放題生えている大木を前にすると、コントロールされず自由に生きればこんなに大きくなるんだと、同じ生き物として学べます。
また、高さだけが木の価値ではないことにも気づきます。高さだけではなく、がっしり張り巡らされた根や、四方八方に生えた枝、周辺の生態系などその全体像が示す"舞台"にも圧倒されます。
企業も人も、高さ(目標や成果、お金や地位や名誉)だけではなく、幅や深さ(意味、意義、世界観、関わる一人一人の想いなど)があり、大きな舞台を作り上げるのではないかと気づきます。

奇跡の集落

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神様を背中に感じる集落、石徹白。白山信仰の修験者が出入りする場所として栄えた場所で、明治まで神に仕える村としてどこの藩にも属さず、年貢免除、名字帯刀が許された村のようです。

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普段生きてる"下界"とは隔絶された、天空の美しい集落。一人で散歩していると、心は無になります。パラレルワールドに来たような、不思議な感覚に陥ります。

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無になった心で、1人で、しばらく集落を歩きます。

ここはどこなのか?
世界に自分しかいないのではないか?

このような感覚は東京では味わえません。内省が深まります。
左脳で解釈するのではなく、右脳でありのままを感じ、それをそのまま言葉にすることで、自分に関する思いもよらない発見が生まれます。

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真冬、氷点下の夜に、野原に水を巻き天然のスケートリンクを作る集落、小川。
美しい星空の下、夜に水をまいて、隣の山小屋で飲みながら水が凍るの待ち、1時間ごとにまた水をまいて、丹念にスケートリンクを作ります。

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夜通し山小屋で飲みながら語り合いながら、スケートリンクを作りをみなでやります。
誰に作れと言われたわけでもなく、いつまでにどのように作れと言われたわけでもないが、作ります。
仲間との共同作業の楽しさの本質を教えてくれます。こんな風に、仕事も仲間との"あそび"こそが本当の醍醐味なのかもしれません。

仕事・友人・暮らしがつながる社会

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郡上の友人の家に泊まろうとすると、隣人の方の家で一緒にバーベキューをやろうということになりました。何でも、その隣人の方とは良く一緒に食事をするみたいで、隣人から食材をいただいたりもする関係らしい。そこに、友人の仕事仲間が訪れる。ごく自然な流れで、一緒に食べようとなる。お互い気を張るパーティなわけでもなく、所属や肩書を名乗るわけでもなく、ただ隣人・友人が共に夕食を取るというシーン。

仕事を一緒にする関係の仲間がいて、その仲間が隣人であり友人であり、暮らす中で共に遊ぶ、支え合う。
このような仕事・友人・暮らしが分断されることなくつながっている共同体のあり方には、古くて新しい関係性のあり方を学ばされます。
簡単に言うと、心が繋がった人付き合いとでも言えましょうか。
この三位一体の中に、人間の幸せの本質があるのではないか?と私は感じました。
ここにあるのは、分断社会で生きる人達が忘れかけている、"つながり"の中で生まれる人生の充足感ではないでしょうか?

情熱に満ちた活動家

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地域で情熱を持ち活動する人は、ビジョンと暮らしが一体化しています。
その土地に根ざしたことに関してビジョンを掲げ活動するということは、その土地に住むということも含めてそのビジョンにコミットしているということ。並々ならぬ情熱を感じます。
そこには短期的な目標もさることながら、明確で、揺るがぬ、その人の人生に根ざした目的意識が存在します。
合わないから、つまらないから、うまくいかないから、いつでも仕事を変えれば良い、という論理はここでは通用しません。
勤める会社や関わるプロジェクトを変えやすくなった世の中だからこそ、こういう覚悟には圧倒されますし、自分に照らすと考えさせられることはたくさんあります。

対等な仲間とのプロジェクト

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コミュニティの中で市民権を得たい。
コミュニティの中で市民権を得ようと思うと成果を残すしかない。成果を残すためには自分を労わることなく自分を酷使し、その結果得た成果をテコに、強い市民権を得て、自分がコミュニティを仕切る。それは、自分の中で常識化している王道パターンです。
高校時代、市民権を得られず自分の存在意義を感じられなかったコンプレックスがその常識の素になっています。そして、その常識は社会人になりより強化されてきました。

結果として何が起こったか。たしかに仕事で成果を残すことができたこともありましたが、対等な立場で、仲間とワイガヤしながら何かを生むという楽しみをいつしか失っていました。

郡上カンパニーの中では、自分がどんな立場で、どんなキャリアで、などを比較することはありません。さまざまな年齢、職業、立場の人が、そういうことは気にせず、ただ1人の人間として対等な立場で議論し、何かを生む。
お互いのスキルの優劣を比較するのではなく、その人そのものを受け入れます。そして、そういう関係の中で生まれるワイガヤは、パワフルです。予定調和ではない、面白いアイデアや取組がたくさん生まれます。

しかし、会社と郡上カンパニーでは前提条件が違います。
社員の皆さんを評価するという強権を持つ人が必ず存在する会社という仕組みの中で、その強権を持ってしまった自分が、しかも会社が残すべき成果と期限を課された自分が、それでも社員の皆さんに少しの遠慮や忖度もされず対等な立場でワイガヤする、してもらう。

究極的には無理なのかもしれませんし、全然できてると言える方も多いのかもしれません。そんなことする必要ないと言う人もいるかもしれません。少なくとも私は「そうしたい」と強く思っています。ですが、まだまだ未熟でそんなことは完璧には実現できていません。頭ではわかっているのですが、いざ仕事の荒波に巻き込まれ、残すべき成果と期限が頭をよぎると、時に人を傷つけてしまったり、時にワイガヤの楽しみを奪ってしまったり、そういう同じ失敗ばかり繰り返してしまう自分が心底情けなくなります。

できていないことと、本当はどうありたいのかということは郡上から学びましたので、できるようになることが私の課題です。

”自分に戻れる”場所を持つ

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自分は本当はどんな人間なんだろうか?という問いに関して、たくさんのアイデアを郡上から授かったと思っています。

東京や都心部で暮らす人たちには、郡上でなくても、暮らす場所以外に”自分に戻れる”場所があった方が良いなと思いました。人口の都市集中やテクノロジーの進化による人間関係の希薄化が起こることが想像されるこれからの時代には、都市に住む、地域に移住する、というだけの選択肢ではなく、第二のホームタウンを持ち、その地域とつながり続けることが、都市に住みながらも人間らしく生きるためのひとつの方法だと思います。

それが結果的には、その地域にとっての「関係人口」増加につながり、残したい綺麗な風景・文化・自然・暮らしが保たれ、さらに関係人口が増える、そういう好循環を生むのではないでしょうか。

そういう思いがある中で、郡上の仲間と共に「ビジネスマンの自然学校」を企画しています。

参加者をプログラムで支配しない、プログラムの結果参加者に生まれる気づきの内容を目標設定しない、参加者それぞれがそれぞれのことを感じてもらう場にしたいなと思っています。

そして、その人にとって”自分に戻れる場所”の候補地として郡上に来てもらえると良いなと思います。

興味がある方や、企画を一緒に考えてみたい方、単純に郡上にあそびに行きたい方、大歓迎ですのでメッセージください😊ぜひ一緒に郡上に行きましょう。

長分かつ乱文にもかかわらずここまで読んでいただき、ありがとうございました🙇‍♂️

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2006年大阪大学卒。リクルート、DeNA、ハウテレビジョンを経てベンチャーマネージャー育成トレーニングを行うEVeM設立。 DeNAでは広告事業部長、㈱AMoAd取締役、㈱ぺロリ社長室長兼人事部長などを担当。ハウテレビジョンでは取締役COOとして同社を東証マザーズ上場に導く。